第八話 ふーふー
俺はシェリアに肩を貸してもらいながら、なんとか小道を進んでいた。折れた足を地面につけるたびに鋭い痛みが走る。門まで戻らなければならない、それだけを考えて歩き続けた。気が付けば空はすっかり暗くなっていた。その時だった。
「リオンー!!」
遠くから大きな声が響く。松明の明かりが森の奥で揺れていた。剣士たちが俺を探しているのだ。
「見つけたぞ!」
一人の剣士が叫び、こちらへ駆け寄ってくる。しばらくすると父が現れた。俺たちの姿を見るなり駆け寄ってくる。
「ああ、良かった……」
父は俺を抱きしめた。
「母さんが心配してる。帰ろう」
俺は父に抱えられ、そのまま城へ戻った。城に着くと、母さんとエレナ夫人が不安そうな顔で待っていた。すぐに父――ローエンはフレディを呼び、俺の足を見せる。フレディは俺の足を確かめると従者に指示を出した。
「ケシの瓶とお湯、それから添え木を準備しなさい」
心配そうに見守る父さんと母さんに、フレディが落ち着いた声で言う。
「運が良かったですな。骨が肉を突き破っていたら、傷が膿んでいた」
しばらくして従者がお湯と薬瓶、布を持ってきた。フレディはお湯に薬瓶の粉末を溶かし、布を浸して取り出す。
「今から骨を元の位置に戻します。痛むのでこれを噛みなさい」
嚙まされた布からは甘い匂いがした。なんだこの匂い――。顔をしかめたが、しばらくすると痛みが和らぎ、意識がぼんやりしてくる。ぼんやりとした視界の中で、俺は母さんの顔を見ていた。少し乱れた銀色の髪が頬にかかっていたが、松明の明かりに照らされた母の顔は、こんな時なのに妙に綺麗に見えた。母は俺の手を握り、心配そうに俺を見つめている。その顔を見て、勝手に城を出たことを後悔した。
フレディは俺の足を軽く触り、曲がった骨の位置を確かめた。
「抑えていてください」
フレディの言葉に父とライサが俺の体を押さえる。次の瞬間、ゴリッ、と骨が擦れる感触が走った。ぼやけていた意識が一瞬で冴える。
「っっつ!!!!」
声にならない悲鳴を上げ、布を噛み締める。布から甘い汁がじわりと滲み出し、再び意識が遠のいていく。そして俺はそのまま意識を手放した。
***
目を覚ますと、俺はベッドに横たわっていた。起き上がろうと体を動かすと足に鋭い痛みが走り、そこで自分の怪我を思い出す。
「起きたのね、リオン」
目を開けると、すぐそばに母の顔があった。泣いた後なのか少し目が赤い。
「ライサ、簡単な食事と水をお願い」
ライサは俺が目を覚ましたのを見ると、すぐに食事を用意しに部屋を出ていく。
「……ごめん。母さん」
母はすぐには何も言わなかった。ただ静かに俺の額の汗を拭き、濡れた布で髪を整える。手つきはいつもと同じなのに、どこかぎこちない。
「もうしないよ。勝手に城を出たりしない」
母は一度だけ小さく息を吐いた。それから俺の顔を見つめる。怒っているようでも、泣いているようでもない、けれどひどく疲れた顔だった。
しばらくして母が静かに口を開く。
「……別にリオンに怒ってないわ。男の子だから、いつかはこういうことをするだろうと思っていたもの。」
そう言いながらも、母さんの指先はまだ俺の手を握ったままだった。
「ただね……」
母は一度言葉を止める。視線が少しだけ揺れた。
「リオンがいなくなった城であなたの帰りを待っていた時、驚いたの。このまま二度と戻ってこなかったらどうしようって思ったら、足の先の感覚がなくなって何も手がつかなくなって……こんなに怖いと思ったのは初めてよ」
母はそこで小さく笑ったが、無理をしているように見えた。
「……ごめんなさい」
母はしばらく俺の顔を見つめていたが、やがてそっと俺の髪を撫でた。
「反省しているならいいわ。しばらく安静にしてなさい」
そう言うと母は椅子に腰掛け、編み物を始めた。しばらくして扉が開き、ライサと一緒に父が入ってくる。
「起きたか、リオン。どうだ?足は痛むか?」
「ちょっとだけ」
「そうか。ならいい。あまり痛み止めを何度も使っていると頭が馬鹿になるからな。これに懲りたらもうシェリアと二人だけで森に行くなよ」
「ごめん。もうしない」
「まあ俺も餓鬼のころは同じことをしたからな。気持ちは分かるが、せめて十歳になるまでは子供だけで城を出るのは禁止だ」
「うん。シェリアは大丈夫?」
「無事だよ。話を聞いたエレナ夫人に尻を叩かれて、部屋の外まで泣き声が聞こえるくらい元気だ」
「そっか……」
そう言ったきり、俺は黙り込んだ。さっきから胸の奥に引っかかっている言葉があるのに、うまく口に出せない。
父が不思議そうに俺を見る。
「どうした?」
「猪に追いかけられた時、シェリアに助けられて……俺は死ぬのが怖くて、このままじゃ助からないって分かってたのに、シェリアが自分を置いて逃げない事に安心してた」
父は俺を見て言う。
「ああ、話は大体聞いてる。森の死体に引き寄せられたでかい猪に襲われたらしいな。シェリアからはお前に助けられたと聞いたぞ?お互い様だろう、気にすることはないさ」
黙って考え込む俺を見て、父はため息をついた。
「逆に考えてみろ。お前に言われてシェリアが大人しくお前を見捨てて城に戻ったら、彼女の立場はどうなる?」
「それは……」
「お前が優しく良い子に育ったのはうれしいが、死を恐れないようになるのはアルヴィス家の嫡男として困るな。」
父さんは淡々と続けた
「お前のためなら俺はシェリアが死んでも仕方なかったと割り切れるぞ?」
父の言葉に、俺は言葉を失った。
「まあいい、説教をしに来たわけじゃない」
父は俺の足を見る。
「骨は二ヶ月もすればくっつくだろうが、その時立ってみて元通り歩けるかは分からん」
「え」
「安心しろ。だから、念のため王都に行って王家の治癒魔術師の治療の枠を取っておいてもらう。足が綺麗に直らなければ足を切り落として治癒魔術で治せる」
安心すればいいのか、怖がればいいのか分からなかった。母が不安げに言う。
「王家が枠を譲ってくれるかしら……」
「ちょうど来週王都まで行くからな。ついでに陛下に頼んでみるよ。多少ごねられるだろうが、直接陳情すれば無理な話は持ちかけてこないだろう」
よく分からないが、俺のせいで家の不利益になるかもしれないと思うと申し訳なかった。自分の魔法で何とか治せないものだろうか。そんなことを考えながらシチューとパンに手を伸ばすと、ガチャリと扉が開いた。
シェリアだった。どうやら俺が起きたと聞いて飛んできたらしい。
「リオン!大丈夫!?」
ベッドの横まで駆け寄ってくると、シェリアはまず俺の足の包帯を覗き込んだ。添え木で固定された足を見て顔をしかめる。包帯の上からそっと指で触れる。
「うわ……ほんとに折れてるじゃん」
それから俺の顔をじっと見て言う。
「痛い?」
「まあ……ちょっとだけ。しばらくは一緒に遊べないね」
俺がそう答えると、シェリアはしばらく俺の顔をじっと見ていた。何か言いたそうに口を開きかけて、結局閉じ、目を泳がせる。
テーブルの上のシチューに気づいたのはその時だった。
怪我した俺を心配してか、はたまたやってみたかったのか、シェリアは俺のシチューをひったくり、スプーンですくって俺の口元に差し出した。
「はい、あーん」
ぱく。
「あちっ!」
シェリアは慌ててスプーンを引っ込め、息を吹きかける
「あっ、ごめん。ふーふー」
「おい、もういいってシェリア」
「はいどうぞ、あーん」
そう言って再びスプーンが差しだされる。
俺が口を開くと、横で生暖かい目で見る父がいた。
母は編み物を続けながら、わざとこちらを見ないふりをしている。
俺は気恥ずかしさを覚えながら、父と母の前でこの辱めに耐えるしかなかった。




