第六話 不運
翌朝。
冷たい水で顔を洗うと、眠気は一瞬で飛んだ。窓の外はまだ白く、吐く息がかすかに曇る。急いで着替え、食堂へ向かう。
長い卓にはすでに湯気の立つパンとスープが並んでいた。だが、昨日より静かだ。席について少ししたところで、向かい側の椅子が引かれ、眠そうな顔のシェリアが座った。髪が少し跳ねている。
「……おはよ」
「おはよう。起きたばっか?」
「昨日夜更かししちゃって、眠いの」
シェリアは頬を膨らませながらパンをちぎる。食事を始めると、自然と昨日の話になる。
「模擬戦どうだったの?」
「勝った」
「えっ!? 父様に?リオンすごい!」
「うん。顔を泥まみれにしてやった」
くすくす笑いながらも、どこか悔しそうだ。シェリアも剣を学びたいのだろう
「今日はシェリアも一緒に教えて貰えるよう頼んでみようよ」
「え、本当!?……で、でもお母様に怒られちゃうかも」
「俺から一緒にやりたいってエレナ夫人に頼んでみるよ、王都には女性の騎士もいるらしいし、女の子でも剣を学んで良いと思うよ。」
俺の言葉を聞いてしょぼくれていた顔をぱあっと顔を輝かせるシェリア。
「そういえばカイル公と父さんは?二人とも随分と遅いね」
隣のライサが俺の口元を拭きながら言う
「日が昇る前に知らせが届きました。カイル公はすでに出立されています。御父上なら朝食は済ませて執務室へ」
随分急だ。ドレイス領で何かあったのか。胸の奥が少しざわつく。食事を終えると、俺は父の執務室へ向かった。
***
扉をそっと開ける。父は机に向かい、難しい顔で手紙を書いていた。蝋を垂らし、アルヴィスの紋章を押す。それを細く丸め、銀の筒に収める。窓辺に止まっていた大きな白い鷹が、わずかに翼を揺らした。
大きい。雪のように白い羽。鋭い金の瞳。我が家の伝鷹のハクレイだ。父は筒をその脚に括り付ける。
「頼んだぞ」
窓が開かれ、白い翼が広がった瞬間、室内の空気が震えた。風が逆巻き、書類が揺れる。一声も鳴かず、ハクレイは空へと舞い上がった。
「ん? どうした、リオン」
「……ハクレイが飛ぶの、初めて見たから」
父は少しだけ笑った。
「あいつはうちで一番賢い。だがもう年だ。仕事をさせるのは特別な時だけだよ。真獣といえど衰えはする。少しでも長く生きてもらって、鷹を増やしてもらわんとな」
真獣。
普通の獣よりずっと大きく、長命な生物。王都では“魔物”と呼ばれる存在だ。ハクレイは5代前の当主の時代からずっと我が家の伝鷹をやっている、おじいちゃん鷹だ。
「それで、何か用か?」
「カイルがもう帰ったって聞いたけど……何かあったの?」
父の表情が少し曇る。
「ああ。西の国境、ウェスタランの城主が死んだ」
「どうして?」
「狩りの最中にヴァレクの騎兵と小競り合いになってな。怪我をしていたらしい。昨日、容体が悪化して死んだそうだ」
嫌な予感がする。
「その息子が怒り心頭で帝国領へ突撃した。帝国とはここ2年小康状態だったが……また戦になるだろう」
戦と聞いて昨日のカイルの話を思い出して、背筋が凍る。
「去る前にお前にすまないと謝罪していたよ」
戦争か。なら剣の指導どころではない。不安が顔に出ていたのだろう。父は俺の頭を撫でた。
「心配するな。ドレイスと帝国の戦は珍しくない。互いの面子の問題だ。本格侵攻まではいかん。お前が生まれてからも何度かあった」
「さっきの手紙は?」
「王家への報告だ。開戦の知らせだよ。春の剣闘祭も近いからな。カイルは間に合わんだろう」
「戦なのに祭りをやるの?」
父は小さく息を吐く。
「年次行事を止めれば民が不安になる。王家の威信にも関わる。それに王家から見れば、これは“王国と帝国”の戦ではない。“ドレイス家と帝国”の戦だ」
静かな声で続ける。
「地方が弱体化するのは、王家にとって悪い話ではない。特にここ数十年はな……」
俺が険しい顔をしているのを見て、父は話題を変えた。
「カイルの代わりの指南役は探す。それと、そろそろフレディ爺に歴史と礼儀を学べ」
「はい……」
「さあ、シェリアと遊んで来い」
部屋を出て考える。父が大丈夫と言ったのなら、大丈夫なのだろう。俺が気を病んでもしょうがないことだと忘れることにした。
***
カイル視点
「ドレイス領に戻るぞ。ローエンにも伝えておけ」
知らせを受けた瞬間、準備を命じた。
不味いな。城主が死ぬとは。
しかも息子が突撃した?まさか跡継ぎがそこまで馬鹿とは予想できなかった。
報復で帝国の貴族を殺せば、歯止めは利かなくなるだろう。
久方ぶりの大戦の予感。ため息が漏れる。せっかくリオンという希望を見つけたというのに。兵を失えば、計画はまた先延ばしだ。馬に跨り中庭へ出ると、ローエンが現れた。
「話は聞いた。王家には俺から急ぎ伝える。剣闘祭を欠席する旨もな」
「助かる。リオンには謝っておいてくれ」
少し間を置く。
「あの子は強くなる。俺より良い指南役をつけてやれ」
「もちろんだ」
ローエンが低く問う。
「今回の件、どう見る?」
「大きな戦になるな。突撃した阿呆が引き返してくれればいいが……どちらにせよ、城主が死んだ以上、俺も弱気は見せられん」
少し視線を落とす。
「この件に王家やノク家は関わっていないだろう、ノク家の連中は南の交易都市の相手で忙しい。王家は表向き忠実なドレイス家よりも4年前の評議以降王都への召還を無視しているヴォルグ家をどうにかしたいところだろう。今回はただ城主の運が悪かっただけだ」
「運か。お前の幸運を祈るよ」
ローエンの言葉に思わず笑みをこぼす。
「賭け事で負け続けているお前に祈られるなど縁起でもない」
馬の手綱を引く。
「戦が落ち着くまでシェリアとエレナは置いていく。二人を頼む」
「ああ」
「次会うときは、もっと上等なワインを用意しておけ。それと――俺の問いへの答えもだ」
短く告げ、踵を当てる。
馬が雪煙を蹴り上げた。
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