第九話 祝宴
今回は主人公の父ローエン視点です
春の陽気が街道を包んでいた。頬を撫でる風はまだわずかに冷たいが、冬の刺すような寒さはすでに消えている。枯れていた草も色を取り戻し始め、遠くの森も淡く緑を帯びていた。ローエンは馬上で空を一瞥し、小さく息を吐いた。――もうそんな時期か。第五王子の成人式。正直なところ、気の進む用事ではない。だが欠席すれば、北部領主は一人も参加しないこととなる。戦場にいるカイルはともかく、ヴォルグ公がせめて代理の者を送っているといいが……
横を並走していた護衛の一人のロブが口を開いた。
「久しぶりの王都なのにため息か?」
「ああ、これから王都の貴族達の相手をすることを想像するとな、お前が代わりに王子の成人式に出るか?」
「はっ、お前も俺も役割ってのがあるんだよ。お前は王城で貴族達の相手を、俺は王都の娼館で愛しのあの娘の相手をしなくちゃならん」
ロブの言葉に、ローエンは眉をしかめる。
「そりゃ大層な役割だな、だが今回のお前の役割は護衛だ。娼館で遊ぶ暇など与えん」
「そもそも、そんなに嫌なら招待など受けなければよかっただろう」
「そうもいかん。王族の成人の儀に北部領主が一人も出なければ、王家に不信を抱かれる。――ただでさえ、王都は後継者争いで荒れているからな」
「後継者争い?随分昔に第一王子が王太子に叙任されているだろう?」
「ああ、形式上な。だが――それを任じた陛下の王宮での発言力は弱くなりつつある。そのうえ、軍部や南部領主達の支持が厚いのは第二王子だ。このまま陛下が退位して、王太子がそのまま王に即くとは思えん。ひと波乱あるだろうな」
ロブと話しながら馬を進めていると、やがて視界の先に王都が現れる。高い城壁と、その奥にそびえる塔。陽の光を受けて石壁が白く輝き、遠目にも他の都市とは一線を画していた。
――相変わらず、派手な街だ。
街道にはすでにいくつもの貴族の一行が見える。豪奢な馬車を連ねた家もあれば、騎士を多く従えた家もある。王都の入り口へ近づくと、一人の男がこちらへ歩み寄ってくる。王家の紋章を胸に付けた使いだった。
「アルヴィス公、お待ちしておりました」
男は深く一礼する。
「陛下の命により、ご案内いたします」
ローエンは軽く頷き、馬を降りた。手綱を従者に渡し、そのまま城へと歩き出した。
やがて城の中庭へ向かう。
今夜の第五王子アストル・ゼノスの成人式には、王都の貴族の多くが招かれており、会場はすでに豪華な装飾と灯火で満ちていた。貴族たちのざわめきの中、壇上に国王マリク・ゼノスが姿を見せる。年齢のせいか背はわずかに曲がり、頬も少し痩せていた。
マリクは集まった諸侯を見渡し、口元を緩めた。
「諸侯よ、本日はよく集まってくれた。今宵は我が子アストルの成人を祝う席だ。息子が成人を迎えるというだけだが、これほど多くの者が祝いに来てくれるとはな。王としても、そして父としても誇らしいことだ。どうか堅い話は抜きにして、存分に楽しんでくれ」
わずかに口元を緩めると、王は杯を掲げる。
「王国と、そして若き王子の門出に」
その言葉を合図に、周囲の貴族たちも一斉に杯を持ち上げた。
一瞬の静寂。
次の瞬間、誰かが声を上げる。
「乾杯!」
それが引き金だった。
「乾杯!」
「乾杯!」
重なる声が中庭に広がり、無数の杯が一斉に掲げられる。ガラスと金属が触れ合う澄んだ音が響き、控えていた楽師たちが一斉に演奏を始めた。軽やかな弦の音と笛の音が夜気に溶け込み、場の空気が一気にほどける。
貴族たちは笑顔を浮かべ、互いに杯を打ち合わせる。先ほどまでの緊張はどこへやら、誰もが楽しげに振る舞っていた。
宴が始まると同時に、諸侯たちは一斉に王族のもとへ群がる。
王太子、王子、王女。
それぞれの周囲に貴族たちが集まり、笑顔と媚びを振りまいている。
――まるで餌を撒かれた豚だな。
ローエンは内心でそう思いながら、グラスのワインを一口飲んだ。静かに酒を飲んでいると、人だかりの一つが割れた。そこから一人の男が歩いてくる。
第二王子ラザル・ゼノス。
整った顔立ちに冷たい眼差し。周囲の貴族たちは自然と道を開けていた。王子はローエンの前で止まる。
「久しいな、アルヴィス公」
ローエンは軽く頭を下げた。
「ご無沙汰しております、殿下」
ラザルはグラスを傾けながら言う。
「どうだ?そろそろ腹を決めたか?」
――また、その話か。
「はて?何のことでしょう?」
「とぼけるな、貴公が誰に忠誠を誓っているのかと問うているのだ」
「……私は王家に忠誠を誓っております」
ラザルは小さく笑った。
「心にもない事を言う、王家への忠誠などどうでもいい、貴公の忠誠を欲しているのは王家ではない――私だ」
声は穏やかだったが、目はまったく笑っていない。
「父はもう長くない」
ローエンにだけ聞こえるように端的に告げる。
「国を割るつもりがないなら、私に忠誠を誓え」
ラザルはローエンをまっすぐ見た。
「王になった私に忠誠を誓うのと、まだ王子の私に忠誠を誓うのでは話が違う。貴公も馬鹿ではないなら、その違いは分かっているはずだ」
「……ええ」
頭の中に、カイルの言葉が浮かび、王子の申し出にどう返答すべきか考える。
ラザルはしばらくローエンを見つめていたが、やがて肩をすくめた。
「いじめすぎたな。冗談だよ、私に忠誠を誓わぬものを皆閑職に追いやっては国が成り立つわけがあるまい」
ワインを一口飲む。
「これは好意だ、アルヴィス公」
静かな声だった。
「アルヴィス家にはノク家に準ずる待遇を約束しよう。……正直に言えば私は貴公ら北部領主の支持がなくとも王にはなれる。だが……」
ほんのわずか、口元が歪む。
「だがこれ以上北部との関係に溝が深まれば、私の代で良からぬ事を考える輩も出てくるだろう?」
試されるような物言いに顔をゆがめるローエン。
ラザルはグラスを軽く掲げた。
「時間はまだある。考えておけ」
それだけ言うと、ラザル王子は踵を返して去っていった。
ローエンはグラスの中のワインを見つめる。
その時、背後から陽気な声がした。
「おやおや、アルヴィス公お久しぶりです。」
振り返ると、ティフォン・セリウスが笑っていた。
肥えた体を揺らすその男は、セリウス家の当主――第一王女を妻に迎えたことで知られるが、その手段から「王族を金で買った男」と陰で嘲られている。
「セリウス公」
軽く会釈だけ返す。
ティフォンはにこやかな笑みを崩さないまま、ちらりと先ほどラザルが立っていた方へ視線をやった。
「王子と何を話しておられたのです?何やら随分と楽しげにお話しされていたようで」
「ただの世間話だ」
ローエンは素っ気なく返す。
ティフォンは「ほう」と小さく頷き、ゆっくりと一歩近づいた。香の匂いがかすかに鼻をかすめる。
「それは結構。ですが――」
ティフォンはわずかに視線を巡らせ、周囲の人だかりを眺めた。
「近頃は、王都も少々寂しくなりましたな。北の諸侯のお姿をあまり見かけなくなった。今回のような場ですら、これですから」
ティフォンは肩をすくめるように続ける。
「ヴォルグ公に至っては、最後に王都へ来られたのは……三年前でしたか。年に二度の議会にも、長らく顔を出されていない、ドレイス公は戦の最中とはいえ、王家からの招待に代理人すら寄越さず、贈答品の一つもなし。少々、無作法が過ぎるのではないかと噂にもなっております」
ローエンはグラスを傾けながら、短く返した。
「北は今、余裕がないのでな。何人もいる王子の祝い事に一々王都に訪れるわけには行かんだろう」
「ええ、承知しておりますとも」
ティフォンはあっさり頷く。
「そういえば……少し前にドレイス公がアルヴィス領を訪れておられましたね」
ローエンはわずかに眉を動かした。
「ご子息と同じ年頃の……シェリア嬢でしたか?彼女を連れてはるばるアルヴィス領までどういったご用件だったのです?」
「……耳が早いな、どこで聞いた?」
ティフォンは楽しげに目を細める。
「さあ、どこでしょうな。シェリア嬢とリオン殿の婚約前の顔合わせ、といったところでしょうか」
「まだ決まった話ではない」
短く返す。
「おや、そうでしたか」
意外そうな声音だが、顔には笑みが浮かんだままだ。
「いずれにせよ、両家が近しい関係になるのは結構なことです」
グラスを揺らしながら、続ける。
「ただ――最近は北部の動きに、色々と憶測も飛び交っておりますので、誤解を招くような振る舞いはなさらぬ方がよろしいかと」
ローエンは小さく鼻で笑った。
「ずいぶんと世話焼きだな」
「これでも王国の行く末を案じておりますので」
――満面の笑みで答える顔を見ていると、本心からそう思っているのかもしれないと思えてくる
「ではそろそろ、私もアストル王子のもとへ参りませんと」
ティフォンは軽く一礼する。
「せっかくの祝宴です。アルヴィス公も、どうぞ楽しまれては?」
穏やかな口調だった。
だが、その言葉のどこまでが本心なのかは分からない。
「そうさせてもらおう」
ローエンは短く返す。
ティフォンは満足げに微笑むと、ゆっくりと背を向けた。
肥えた体を揺らしながら、人の輪の中へと消えていく。
***
宴も佳境に入り、王家の席の周囲に集まっていた貴族たちも、徐々に散り始めていた。
ローエンは頃合いを見て、ゆっくりと王のもとへ歩み寄る。
「陛下、少しお時間をいただいてもよろしいでしょうか」
マリクはすでに酒が回っているのか、上機嫌に頷いた。
「おお、アルヴィス公か。構わん、何だ?」
「実は、息子が先日大きな怪我を負いまして。王家の治癒魔術師の手をお借りできればと――」
「ああ、それくらいなら――」
軽く答えようとしたその時だった。
「お待ちください、陛下」
横から低い声が差し込む。
第三王子、イカロス・ゼノスだった。
鋭い視線がローエンに向けられる。
「王家の祝宴に参じておきながら、贈り物もなしに王家の力を借りようとは、随分と図々しいな」
場の空気がわずかに冷える。
ローエンは表情を崩さず、静かに返した。
「贈り物なら、すでにお渡ししております。治療費も治癒魔術師殿にお渡しするつもりです」
「それは第五王子への祝いの品だろう?今はお前の息子に治療枠を融通する代価の話をしている」
こちらを見下ろしながら、続ける第三王子
「陛下、王族の魔力を安売りすれば、王家の権威を損ないます。しかも、よりによって北の田舎者共になど……」
――面倒なことになったな。第三王子に目を付けられるとは。
内心で舌打ちする。
その時。
「まあよいではないか」
穏やかな声が割って入る。
王太子だった。
「祝いの場だ。東の国境を守るアルヴィス家への労いとしては、悪くあるまい」
軽く笑みを浮かべ、ローエンに視線を向ける。
「余の名で、治癒魔術師を融通しよう」
一拍置き、続けた。
「代わりに――今度、アルヴィス領の鷹を一羽譲ってくれぬか?」
ローエンは深く頭を下げた。
「感謝いたします殿下。鷹は後ほど、必ずお届けいたします」
「うむ、それでよい」
王太子が頷くと、場の空気は再び緩む。イカロスはつまらなそうに舌打ちし、杯をあおった。
目的は達した。ローエンは小さく息を吐き、その場を離れる。
窓際へと移動し、給仕を呼び止めた。
「ワインを」
給仕が瓶を持ち上げようとした、その時。
白い指がそれを制した。
「ここは私が」
静かな声だった。隣に立っていたのは、銀髪の女性。
第二王女イリシア・ゼノス。
年齢を感じさせない整った顔立ちと、どこか現実感の薄い美しさ。彼女は何事もないように瓶を手に取り、グラスへとワインを注いだ。
「……これは失礼いたしました。殿下に酌をしていただくとは」
ローエンは軽く頭を下げる。
イリシアはわずかに微笑んだ。
「お気になさらず。アルヴィス公にお会いするのは久しぶりですね」
「ええ、第三王女殿下の婚姻の儀以来です」
「……もう、あれから随分と経つのですね」
イリシアはグラスを見つめるようにして、小さく呟く。
「王都にも、もう少し足をお運びいただければよろしいのに」
柔らかな口調だった。責めるでもなく、ただ少しだけ残念そうに。
ローエンはわずかに肩をすくめる。
「王都の空気は私には合いません、それに私を歓迎する者も王都にはいないでしょう」
「……そうですか」
イリシアは静かにグラスを傾けながら、ふと視線をローエンへ向けた。
「先ほど、陛下とお話しされていましたね。ご子息が怪我をされたと」
「ええ、森で獣に襲われたとのことで。命に別状はないですが、足に怪我を負いました」
「……そう」
イリシアはわずかに目を伏せる。
「北は、やはり危険なのですか?」
ローエンは静かに首を振る。
「いえ、近年は北方山脈から降りてくる獣は増えてますが、それでも普段は城の近くまでは来ませんよ、今回はたまたま、盗賊に襲われた旅人が川に流され、その死体の匂いに引き寄せられた猪に遭遇したようで……運が悪かっただけかと」
「……そうですか、ご子息も恐ろしかった事でしょう」
イリシアは小さく頷いた。
「うちの鷹が助けに入らねば危ない所だったようで、肝が冷えましたよ」
「しかし、近くに護衛の者等いなかったのですか?」
ローエンは小さく息を吐いて言う
「どうやらシェリア嬢と二人で城を抜け出して森に入っていたようでして、二人とも普段からいたずらっ子なので、あまり強く従者を責めることもできませんよ」
イリシアはわずかに微笑んだ。
「……どんなお子なのですか?」
「まだ六つでございます」
ローエンの声が、わずかに柔らぐ。
「大人びていて手のかかる子では無かったので、城を抜け出したと聞いた時は驚きましたよ」
「ふふ」
小さな笑いが漏れる。
「元気なお子なのですね」
「ええ、男の子ですから、多少やんちゃな方がこちらも安心できます、妻は心配で仕方ないようですが」
イリシアはグラスを指先でなぞりながら、ふと視線を上げた。
「……私も子を持ってみたいものです」
その言葉に、ローエンが口を開きかけた、その時だった。
「――おやおや」
横から、ねっとりとした声が割り込む。
「今度はアルヴィス公か」
振り返ると、イカロス・ゼノスが立っていた。
にやにやと笑みを浮かべ、二人を面白がるように、嘲る視線で見比べている。
「兄上の次は北の領主とはな、姉上も随分と節操がない」
その言葉に、イリシアは一瞬だけ視線を向けた。そして、ふっと微笑む。
「イカロスは、相変わらず噂話が好きなのね、そういう噂を、すぐに真に受けてしまうなんて」
わずかに首を傾げる。
「私はあまり、そういった話には詳しくないの、噂話をしたいなら今度若い侍女達のお茶会に混ぜて貰うといいわ。ではアルヴィス公そろそろ私も席に戻りますので」
そういって立ち去ろうとするイリシアの腕をイカロスが掴む
「待て」
イカロスは一瞬だけ目を細めたが、すぐに笑みを戻した。
「相変わらずだな、姉上」
面白がるように言う。だが、その声にはわずかに苛立ちが混じっていた。
「姉上の噂など王宮にいるものなら皆知っている。正直に話しても今更皆の見る目は変わらんよ」
イリシアは初めて顔を歪ませ、イカロスの腕を振りほどこうとする。
「離しなさいっ」
イカロスは下卑た視線でイリシアの身体を舐めまわすように見ながら言う。
「兄上に飽きられたのなら、北の蛮族などに尻を振らなくとも、次は俺が使ってやるというのに」
イリシアはカイロスを冷ややかな目で見つめながら言う
「妻を二人殺した男は言うことが違うわね。お相手がいないのなら厩舎のヤギを部屋に届けるように私から言っておくわ」
イリシアがカイロスに言葉を返した次の瞬間――
パンッ
イカロスがイリシアの頬を打つ音が響く。周囲の喧騒がやみ、注目が集まる。
「貴様っ……躾が足りていないようだな」
イカロスの声は低く、怒気を孕んでいた。つかんでいた腕を引き寄せ右手で拳を握る。イリシアは抵抗せず、ただ静かに目を閉じる。
だが――
拳は、振り下ろされなかった。
「イカロス殿下。祝いの席でございます。――陛下が見ておられますよ」
ローエンはイカロスの右手を掴み、周りの貴族達に聞こえるように言う。その言葉に、周囲の視線が一斉にイカロスへと集まる。イカロスは動きを止めたまま、ゆっくりと周囲を見回した。集まった視線を確認し、わずかに舌打ちする。やがて拳の力を抜き、ローエンの手を振り払った。
「……興が削がれたな」
吐き捨てるように言う。
そのまま背を向け、何事もなかったかのように人混みの中へと消えていった。
「ありがとうございます。アルヴィス公」
「……申し訳ございません、殿下。間に入るのが遅れました」
ローエンは一歩下がり、静かに頭を下げた。
「お怪我は……」
イリシアは軽く頬に指を添え、何事もないように微笑む。
「大したことではないです。慣れてますので」
さらりと言う。
その言葉に、ローエンはわずかに目を細めた。
「助けていただいてありがとうございます、アルヴィス公」
「いえ……当然のことをしたまでです。今のようなことがあれば、遠慮なくお声がけください」
イリシアはくすりと笑う。
「ふふ……私に忠誠を誓う騎士はいないから、ありがたい申し出だわ」
わずかに視線を逸らし、続けた。
「でも、それほど私を庇わなくてもいいんです。イカロスの言うことも、あながち嘘ではないから」
いたずらっぽく笑う。
ローエンは一拍置いてから口を開いた。
「……私には妻がいます。殿下にはもっと相応しい殿方がおられるかと」
「……そうね、年増でも私の美貌と王族の血を欲しがる貴族は山ほどいるでしょうね……。ではまた会いましょう、アルヴィス公」
そう言い残し立ち去るイリシアの背中は、華やかな祝宴の中でも際立って美しく、孤独に見えた。




