1義賊の娘
月が厚い雲に覆われる夜。
国内有数の名家王家の邸宅の屋根を、夜闇に紛れて黒い影が忍んでいた。
義賊『黒燕』の娘、李燕燕である。
彼女の狙いは金銀財宝ではない。
父が無実の罪で捕らえられた事件、その証拠品とされる密書だ。
父を陥れた捜査官の一人である王家の若き当主、王蒼月がそれを所持しているという情報を掴んだのだ。
(さすが王家の邸宅、警備が厳重だわ。だけど何かあったのかしらいつもよりは緩い。この機会を逃すわけにはいかないわ……)
燕燕は持ち前の身軽さで庭木の枝から書斎の梁へと飛び移った。明らかにいつもよりは警備の人数が少ない。
音もなく着地し、真っ暗な室内を見回す。夜目の効く燕燕は文机の引き出しをそうっと引き出した。
奥に同色でカモフラージュされた箱を見つける。
やっぱり。
隠し箱を髪留めの針金一本で鮮やかに開ける。あった。父の筆跡を真似て偽造された密書だ。
これを持ち帰れば、父の無実が証明できる。そう確信して手を伸ばした、その時。
「——実に鮮やかな手並みだ。鍵を開ける音すらさせないとは」
背後から、氷のように冷たい声が響いた。
振り返る燕燕の喉元に冷ややかな切っ先が突きつけられた。
雲の切れ間から月が顔を出した。
窓から差し込む月明かりの中に浮かび上がったのは、王家の若き当主、王蒼月。
その男らしい精悍な美貌は冴え冴えと冷酷で、手にした剣には一切の迷いがない。
燕燕の命をいつでも奪えるぞと言っているような感情のともらない視線に脂汗が滲む。
「王家の書斎に鮮やかに忍び込む手練れが、まさかこれほど小柄な女とはな。実に殺すには惜しいが……死ね。」
慈悲のない宣告と共に、剣が一閃した。燕燕は間一髪、呪縛が解けたように咄嗟に体を捻った。
ギリギリ逸れた切れ味の鋭い切先に覆面が切り裂かれる。
顔を覆った黒布がはらりと落ち、月明かりの下に彼女の素顔が晒される。
その瞬間、容赦なく振り下ろされようとしていた蒼月の剣がピタリと止まった。彼の瞳が驚愕に見開かれる。
「……珠蘭?」
殺気立った空気が凍りつく。
燕燕はその隙を見逃さず、宙返りで距離を取った。だが逃げ道は既に塞がれている。とても逃げ切れない。
蒼月は剣を下ろさぬまま、信じられないものを見るように燕燕を凝視した。
「いや違う。珠蘭ではない。だが、瓜二つだ……」
蒼月はしばらく沈黙した後、剣を収め、酷薄な笑みを浮かべた。
「殺すのはやめておこう。小娘、取引だ。お前のその顔、利用価値がある。」
剣を突きつけらてるよりも遥かに強烈な殺気に燕燕はもう逃げられないと悟ったのだった。




