夜が吠える
最初に気づいたのは、森だった。
音が、消えた。
鳥の声も、虫の羽音も、
風に揺れる葉擦れすらない。
まずい。
理由は分からない。だが、身体が先に警戒していた。
昼前、見張りが走り込んできた。
「南だ! 軍が来る!」
村が、ざわめく。
柵の外。土煙。
隊列を組んだ兵。
整いすぎた歩調。
そして——そこだけ、空気が重い。
「……祝福持ちがいる」
誰かが、そう呟いた。
姿をはっきり見る前に、分かった。
胸が、ざわつく。皮膚が、粟立つ。
魔物とは違う。だが、人間とも違う。
“何かがそこにある”。
祝福を受けた存在。ヴァルカーンの英雄とその軍団だ。
彼らは、止まらなかった。
村を一瞥し、何も言わず、ただ通り過ぎる。
だが、父は槍を握ったまま、動かなかった。
「……嫌な通り方だ」
低い声で警戒を滲ませていた。
* * * * * * *
その夜。森が、吠えた。
魔物の集団だ。魔獣や亜人の入り交じり、まるで、何かに引き寄せられたかのように現れた。
「来るぞ!」
「柵へ!」
村中に、緊張が走る。
父は、迷わず前に出た。
俺は、母に引き寄せられる。
「大丈夫。いい?」
母の声は、落ち着いている。
だが、手が震えていた。
夜が明ける前、村の代表と年長者たちが集まった。
俺は、家の隅で、聞くともなく聞いていた。
「数が多すぎる。」
「祝福持ちが通ったせいだ。」
「……ここは、守れない。」
「この村は終わりだぁ…。」
沈黙。
代表者が、言った。
「逃げるぞ。」
準備は、最低限。
食糧。子ども。戦えないもの。
父は、槍を手放さなかった。
母が、声を落として言う。
「……あなた。」
「分かってる。」
短いやり取り。
「子ども達を頼んだぞ。」
「あなたは?」
「俺は、残る。」
母は、少しだけ目を伏せた。
それから、静かに言う。
「……無理はしないで。」
「約束はできねぇな。」
それでも、二人は視線を交わした。
母の手が、俺の肩に置かれる。
父は、俺を見る。
「お前は賢い子だ。母さんを頼むぞ。」
大きくてゴツゴツした父の手が俺の頭を撫でる。
そして、村は分かれた。
戦える者は残り、それ以外は北へ。
母や他の女性が一子どもたちを宥めながら、北の関所を目指して走った。
泣く子。動けない子。一人でも置いていけない。
「リュシアン、離れないで!」
「ハァ…ハァ…うん!」
だが。森の奥から、狼の魔獣の影が現れる。
「急いで!」
「走れ!」
混乱。
叫び声。
駄目だ。
このままでは追いつかれる。
転んだ子を抱えて走る大人。転びかけている足。
それが、異様に鮮明に頭に残る。
「リュシアン!」
呼ばれている。
だが、身体が先に動いた。
横へ。森の奥へ。
「——待ちなさい!」
母の声。
振り返らなかった。
枝を折り、音を立て、必死に走る。
後ろで、魔獣が反応する気配。
これでいい。
分かりやすく群れから離れた子ども。魔獣からすれば格好の餌だ。
俺の名前を呼ぶ叫び声。足音。それが、遠ざかる。
一人で走っていく。
やがて、前にも、影。後ろにも、影。
4匹の魔獣に追い詰められてしまった。
もう逃げられない。
足元の石を拾い、前方の魔獣へ投げる。
だが、軽々と避けられ、ジリジリと距離を詰められる
棒切れを拾い前へ構えるが、今にも飛びかからんとヨダレを垂らし、こちらを睨みつけている。
——ここまでか。
母や子ども達は逃げれただろうか。子どもの力では抵抗も虚しく喰い殺されるだろう。それでも、せめて一瞬でも時間を——
「伏せろ!」
閃光。
魔獣が、吹き飛んだ。
現れたのは、見知らぬ大人達四人。
立っているだけで、空気が違う。
「ラッシュウルフ4匹!子ども1人!」
「俺が前方へ行く!子どもを任せた!」
マントをたなびかせ、大柄な剣士が前方の魔獣に斬りかかる。
スカウトのような格好の男が俺を庇いながら弓を打ち、魔法使いの男が後ろの魔獣に魔力弾を放つ。
プリーストらしき男は全体を見渡し油断なく構えている。
素早い状況判断と連携。
強そうだ。それだけで、分かった。
遠くで、戦いの音が続いている。
父が、まだ戦っている音だと、その時は思っていた。
それが、最後だとも知らずに。




