【短編】婚約破棄された伯爵令嬢は和菓子好きの王子に溺愛されました
もう店を出て行っていいだろうか?
目の前でイチャイチャする自分の婚約者ブライアンと、自分の妹キャンディスを見ながら、アンジェリカは溜息をついた。
今日は街でデート。
数分前まで2人で楽しく店を回っていたのに。
「ブライアン様は乗馬が得意なんですかぁ?」
「今度遠乗りに連れて行ってあげようか?」
「行きたいですぅ」
ピッタリとくっつけた椅子。
ブライアンの腕に大きな胸を押し当てながら妹キャンディスがあざとい角度で見上げると、ブライアンの喉がゴクッと動くのが見えた。
あぁ、ブライアンもか。
彼だけは婚約者の私を見てくれると思ったのに。
アンジェリカは冷めた薔薇の紅茶を飲み干し、ゆっくり立ち上がった。
「さようなら」
声をかけても婚約者のブライアンとは目が合わない。
アンジェリカは今日何度目かの溜息をつくと、自分の分だけ支払いを済ませカフェを後にした。
◇
「キャンディスが可愛いすぎてごめんなさいね」
ニヤニヤと嬉しそうに婚約破棄の書類を見せる義母にアンジェリカは溜息をついた。
令嬢にとって婚約破棄は死活問題。
もう結婚できないかもしれないし、できたとしても後妻や次男・三男の嫁。
どんなに男性が悪くても、不利になるのは女性だけだ。
「アンジェリカ、シエラさんの所へ行かないか?」
シエラはアンジェリカの伯母。亡き母の姉だ。
今まですまなかったと、もっと早く義母の嫌がらせに気づけばよかったと何度も父は謝ってくれた。
今更遅いけれど。
アンジェリカはすぐに荷物をまとめシエラ伯母さんがいるクラレンス公爵邸へ向かった。
荷物は最低限。
キャンディスに取られないように隠していた母の形見と数日分の着替えのみ。
クラレンス公爵も公爵夫人のシエラもアンジェリカを温かく迎えてくれたが、その優しさが今は逆につらかった。
月曜日、アンジェリカは学園を休んだ。
きっと婚約破棄された傷物令嬢だと学園でウワサになっているはずだ。
平気で行けるほど鋼の心臓は持ち合わせていないと言い訳をしながら、アンジェリカはリビングのソファーで溜息をついた。
「アンジェリカ、見て! 今、倉庫を掃除していたら懐かしい物が出てきたの」
伯母シエラがアンジェリカに手渡したのは古い一冊のノート。
パラパラと捲ると花のような絵と文字が並んでいるが、半分以上は白紙だった。
「それね、あなたのお母さんのノートよ」
「えっ?」
初めて見る母の字にアンジェリカは驚いた。
花の絵はデッサンのような絵ではなく、簡単な絵。
矢印で色が書かれている。
「ギューヒ……?」
「求肥ね」
知らない言葉にアンジェリカが首を傾げる。
「あぁ、これは練りきりの作り方だわ。これも、これも材料は同じで色と形で季節を表すのよ」
梅、アジサイ、紅葉のイラストを指差しながらシエラはアンジェリカに教えた。
「伯母様、練りきりって何?」
「お菓子よ」
シエラの祖母、アンジェリカの曾祖母が昔よく作ってくれたお菓子で、この国のクッキーやマドレーヌとは全然違うお菓子なのだとシエラは懐かしそうに語る。
アンジェリカの曾祖母は他国から嫁いできたので、故郷のお菓子を家でよく作っていたと、アンジェリカの母は作り方を教わり、一生懸命メモしていたと当時の様子をシエラは話した。
「これはその時のノートね」
「伯母様、このお菓子作れる?」
「私は無理よ。作った事がないわ。作ってみたかったらキッチンを自由に使っていいわ。料理長には言っておくから」
シエラは食べる専門で作っている様子もほとんど見た事がないと笑った。
「ひとつだけ条件があるわ! 私にも食べさせること!」
「はい、伯母様」
アンジェリカが嬉しそうにノートを眺めると、シエラは良かったと小声でつぶやいた。
やることがあれば落ち込む時間が減る。母のことだったら興味を持ってくれるのではないかと、ノートを探してよかったとシエラはホッとする。
「材料とか道具とか、必要なものは料理長に言って」
「ありがとう伯母様」
もち米を水洗いし、石臼で水びきして沈殿物を乾燥。
あ、こっちはうるち米を精白・水洗いし、乾燥させてから粉に。
同じ粉でもいろいろあるのね。
「これにしよう」
アンジェリカが選んだのは求肥を使ったアジサイ。
今は6月。季節的にはピッタリだろう。
材料を書き出し料理長にお願いすると、翌日には揃えてくれた。
母のノートを見せながら材料を頼んだので、アンジェリカが書き忘れた着色料なども料理長は買っておいてくれた。
裏ごしのためのザルや布巾などの道具もすべて。
「ありがとう伯父様!」
パン屋で使用される小麦を挽くための石臼もクラレンス公爵は買ってくれた。
翌日に道具が揃う公爵家の力がすごい。
石臼は力が必要なので料理長が挽いてくれる。
ノートを見た2日後の朝には、沈殿物を乾燥させて完成した白玉粉がキッチンに置かれていたのでアンジェリカは倒れそうなくらい驚いた。
「伯母様、あの、凄すぎます」
「だって早く食べたいじゃない」
白玉粉を測り、水を少しずつ入れてよく混ぜる。
砂糖も加えて混ぜると、トロンとした不思議な白い液体になった。
濡れた布巾の上に枠を置き、流し入れて蒸す。
蒸し終わったら鍋に入れて砂糖を加えて練り上げた。
「わ、すごい」
出来上がった生地はよく伸びる不思議な生地。
「これが求肥……」
これであっているのかはわからないが、母のノートに書かれた特長「よく伸びる」は出来ていそうだ。
食事の支度もあるので今日の作業はここまで。
アンジェリカは豆をたっぷりの水につけてキッチンの片隅に置かせてもらった。
二日目は白あん作り。
昨日から一晩つけておいた豆の皮をむいて煮る。
「力作業は遠慮なく言え」
「ありがとう料理長」
料理長は身体が大きくて腕がムキムキで強そうな見た目なのにとても優しくて、あっという間に煮た豆を潰してくれた。
鍋に戻し、砂糖と塩を入れて練り上げたら白あんの完成だ。
母のノートは丁寧にわかりやすく書かれていて、普段料理をしたことがないアンジェリカでも順番にやっていくことができた。
わからない言葉を料理長に教えてもらい、力仕事も手伝ってもらいながら作っていく。
お菓子を作るのがこんな大変だと知らなかった。
三日目は、白あんと求肥を合体。
水あめを加えて練り、裏ごししてさらに布巾でまとめる。
まとめたものを何個かに分け、青、紫、ピンク、白の4色になるように色付けした。
「ちょっとピンクが濃すぎたかも」
4色の生地を混ぜ過ぎないようにくっつけてながら1つ分に分けていく。
「料理長、この生地で白あんを包みたいんですけど、やり方がわからなくて」
「あぁ、これは、ちょっと見てろ」
料理長は左手の親指で練りきりあんを押さえ、右手であん玉を軽く押し込んだ。
左手親指で時計回りに回し、簡単そうに包んでいく。
「すごい」
左手の親指、右手の親指と人差し指で三角形を作りながら押し合い、あっという間に料理長は包んでしまった。
アンジェリカも真似してやってみるが、うまくできない。
なんとかギリギリ包めたかもしれないという状態が限界だった。
棒で十字に線を入れ、左手でお菓子を支えながら、右手人差し指で外側に押す。
押して飛び出た部分を右手の人差し指と親指でつまむと、花びらのような形になった。
真ん中に白い小さな丸めた餡を乗せたら完成だ。
「おぉ、すごいな。アジサイみたいに色がピンクと青で綺麗だな」
いびつなアジサイを褒めてくれる料理長と一緒に一番形の悪い物を半分に切り、味見をした。
「もっと甘いかと思ったが、そうでもねぇな」
「なめらかでおいしい」
クッキーなど普段食べているお菓子と全然違う異国のお菓子にアンジェリカは驚いた。
「これが曾祖母の国のお菓子……」
「うめぇじゃねぇか。奥様が喜ぶぞ」
シエラが喜ぶと聞いたアンジェリカは嬉しそうに微笑んだ。
料理長は夕食の前にアンジェリカのアジサイを出してくれた。
「すごいわ! この味よ、アンジェリカ! 懐かしいわぁ」
「面白いお菓子だね」
シエラもクラレンス公爵もおいしいと言ってくれる。
「ねぇ、これってまだある?」
「あと8個ありますよ」
「もらっていいかしら」
アンジェリカはシエラが全部一人で食べてしまうのかと思い驚いた。
「明日お茶会にお呼ばれてしていて。手土産どうしようと思っていたところなのよ」
街のお店では誰かと被ってしまうこともあるし困っていたから丁度いいと、シエラがニコニコする。
「私が作ったもので良いの?」
「もちろんよ。異国のお菓子なんて珍しいじゃない」
形が不揃いで恥ずかしかったが、料理長ができるだけ形を整え綺麗に箱に入れてくれると、急に素敵なお菓子に見えてしまった。
恐るべしラッピングマジック!
今度は何を作ろうかなとアンジェリカは母のノートをのんびりと眺めた。
「アンジェリカ!」
公爵邸には似合わないバタバタという音と共に部屋の扉が開き、アンジェリカは驚いた。
「どうしたの? 伯母様」
「今すぐ着替えて!」
わけがわからないまま、アンジェリカはワンピースから外出用のドレスに着替えさせられてしまった。
久しぶりにつけたギュウギュウのコルセット。
髪も上だけ編み込みに。
なぜか香水まで吹きかけられ、あっという間に侍女たちが身支度を整えてくれる。
馬車に乗せられ、すぐに出発だ。
「アジサイのお菓子を持っていったら、作った人をすぐ呼んでくれって」
「えぇ? ごめんなさい。もしかしてお腹が痛くなったとか?」
「違うわよ、懐かしいお菓子だったからとにかく会いたいって」
待って。
馬車が向かう方向にあるのは王宮。
「伯母様? あのお茶会って、どなたと……?」
「王妃様よ」
「む、む、ムリです、伯母様」
王妃様なんて!
遥か雲の上のお方です!
「大丈夫よ。お優しい方だから」
アンジェリカの心の大絶叫は伯母には届かず、馬車はあっさりと王宮の門をくぐってしまった。
◇
……イケメンが眩しすぎる。
アンジェリカは金髪青眼のイケメンを見上げた。
「息子のハリソンとオセアン国からの留学生のシリウスよ」
美しすぎる王妃様に紹介されたのは、王子と留学生。
オセアン国は地図でしか見たことがない海に面した国だ。
「アンジェリカ・コルトニーです」
伯母シエラにお菓子を作った子だと紹介されたアンジェリカは淑女の礼をした。
「よろしく」
シリウスはアンジェリカの右手を取ると、さりげなく爽やかに手の甲に口づけを落とす。
イケメンは仕草もイケメンだった!
された事がないアンジェリカは動揺する心を必死に抑え、ニッコリと微笑んだ。
「アンと呼んでも?」
「はっ、はい」
いきなりの愛称呼びにアンジェリカは驚いた。
アンジェリカの一般的な愛称はアンジーだ。
留学生と言っていたので彼の国ではアンが普通なのかもしれない。
呼ばれ慣れない名前にドキドキする。
イケメンは気遣いもすごい。
エスコートして、さらに椅子まで引いて座らせてくれる紳士っぷり!
すぐに薔薇の紅茶が準備され、いい香りが届いた。
「急に呼び出してすまない」
練りきりは子供の頃に最後の店がなくなり、もう二度と食べることができないと思っていた。
店主が突然亡くなったため、跡継ぎもおらず作り方もわからなくなってしまったが、とても好きだった菓子。
まさかこの国で食べられるとは思わなかったとシリウスはアンジェリカを呼び出した理由を説明した。
「オセアン国のお菓子……?」
アンジェリカが伯母シエラに確認すると、祖母の出身はオセアン国だったとシエラは答えた。
「もう一度食べたいのだが、作れるだろうか?」
「は、はい。大丈夫です」
材料はまだありますとアンジェリカが答えると、シリウスは嬉しそうな顔をした。
「アンジェリカ嬢は高等科?」
「はい、高等科3年です」
「じゃ、学園のサロンで会えるかな」
第3王子ハリソンとシリウスは博士科3年。
アンジェリカよりも六歳も年上だった。
どうりで大人っぽいと思った。
「サロン、ですか」
そんな上流階級の休憩場所、行ったことがありません~!
サロンは公爵家以上が使用できる場所。
伯爵令嬢のアンジェリカでは近づくことも出来ない。
「ここよりは学園の方が緊張しないでしょ?」
ハリソンの提案にアンジェリカは目を伏せた。
そういえば、学園は一週間行っていない。
俯いてしまったアンジェリカの代わりに、伯母シエラはアンジェリカが学園を休んでいることを話した。
「……婚約破棄?」
ハリソンがありえないと驚く。
令嬢にとって婚約破棄は死活問題だ。
「それで、この子をうちで預かっているの」
「大変だったのね」
そんな男はダメねと王妃が溜息をついた。
「アン、俺と婚約しよう」
突然のシリウスの言葉に全員固まる。
もちろんアンジェリカも。
何を言われたのか理解するまでに数秒かかったあと、アンジェリカは真っ赤な顔になった。
「おい、シリウス!」
「シリウス、あなた連れて帰るつもり?」
第3王子と王妃が国に言わずに勝手に決めたらダメだとシリウスを止める。
「あ、あの、婚約とかしなくてもお菓子はちゃんと作るので、そのっ」
大丈夫ですよと言うアンジェリカ。
「では、口説く権利を」
シリウスは立ち上がりアンジェリカの隣に跪くと、アンジェリカの右手を持ち上げ口づけを落とした。
は?
口説く?
誰が誰を?
いやいやいやいや、おかしいでしょう。
金髪青眼のイケメンだよ?
傷物令嬢なんて相手にしなくてもいいでしょ。
「あー、アンジェリカ嬢、ごめん、諦めて」
シリウスは言い出したら聞かないのだと、第3王子ハリソンが苦笑する。
「ごめんなさいね、アンジェリカ。しばらくシリウスと付き合ってあげて」
「……はい?」
よくわからないうちに来週の月曜日にお菓子を持って学園のサロンで会うことに。
アンジェリカだけではサロンに入れないので、高等科と博士科の境目の廊下で待ち合わせすることになった。
クラレンス公爵邸へ戻った後も、アンジェリカは呆然とする。
一生話す機会はないと思っていた王妃様とお茶を頂き、一生お会いすることはないと思っていた第3王子ハリソン殿下と話し、一生縁がないイケメンと付き合う?
ないないないない!
ありえない!
婚約破棄したと聞いたから、可哀想だと思って元気づけてくれたのだろう。
アンジェリカは母のノートを手に取り、撫子の作り方を眺めた。
日曜日にお菓子を作り、月曜日は学園へ。
心配してくれる伯母シエラに行ってきますと告げ、アンジェリカは学園へ行った。
予想通り婚約破棄をひそひそとウワサされる。
仲が良かった友人達も近づいてこない。
『妹に婚約者を取られた傷物令嬢』
時々聞こえてくる残酷な言葉に胸が締め付けられる。
早く授業が終わってほしい。
つらい休憩時間に廊下から女生徒の悲鳴が聞こえてくる。
悲鳴というよりも黄色い声と言う方が正しいだろうか?
今日は廊下が騒がしいようだ。
「アン!」
驚いて廊下を見れば、シリウスと第3王子ハリソン。
「やぁ、アンジェリカ嬢」
ハリソン王子に「ごめんね」と言いたそうな顔でアンジェリカは見られてしまった。
待って、待って。
博士科って言っていたよね?
どうして高等科に?
さっきの悲鳴は王子がいるから?
ただでさえ傷物令嬢で注目を浴びているアンジェリカにますます関心が集まる。
「ご、ごきげんよう。ハリソン殿下、シリウス様。あの、どうされました……か?」
約束の時間は2時。
今はまだ10時だ。
シリウスは遠慮なく教室へ入ると、アンジェリカの手を持ち上げ、口づけを落とした。
その行動にまた悲鳴が上がる。
「おはよう、アン」
「お、おはようございます」
またあとでね。と耳元で囁くとシリウスと王子はあっという間に消えた。
は?
何をしに来たの?
固まるアンジェリカに友人達が駆け寄る。
「誰? あのイケメン!」
「ブライアンから乗り換えたの?」
「絶対あっちのイケメンにするに決まってるじゃない!」
盛り上がる友人達。
さっきまでは遠巻きに傷物令嬢だと言っていたのに。
……あれ?
もしかしてシリウス様はこのために……?
一瞬で傷物令嬢というウワサは払拭され、クラスメイトも友人達も今まで通り接してくれるようになった。
それどころか、妹とブライアンの事をアリエナイ、気にしない方が良いよとまで言ってくれるほどに。
待ち合わせの時間より少し前に行ったが、もうシリウスは待っていてくれた。
初めて入る完全個室のサロンは広くておしゃれ。
さすが公爵家以上!
貴重な体験にドキドキする。
撫子の花のお菓子を手渡しながら、教室での様子を話しアンジェリカはお礼を言った。
「挨拶しに行っただけだよ」
優しく微笑んでくれる青い眼のシリアスにアンジェリカはありがとうございますと微笑んだ。
この日、お菓子を渡したらもう会うことはないだろうと思っていたのに、シリウスは頻繁に教室へ会いに来てくれた。
1ヶ月ほど経った頃には、学園の帰りも送ってくれるように。
「お姉様?」
キャンディスは学園の校舎から出てきた金髪イケメンと冴えない茶髪の姉アンジェリカに気づき立ち止まった。
誰? あのイケメン!
ブライアンよりも全然カッコいいじゃない!
背も高いし、たくましいし、大人っぽい。
あんなイケメンはアンジェリカには勿体ないでしょ!
「そろそろアンの菓子が食べたいな」
「夏だからヒマワリ?」
黄色とオレンジの二色だねとシリウスが青い眼を細める。
「毎日アンに会いたい」
土日に会えなくて寂しいというシリウスにアンジェリカは笑いながら答えた。
「毎日お菓子は食べすぎよ」
「アンに会いたいだけだよ」
シリウスは手を持ち上げチュッと音を鳴らす。
「お姉様!」
高く可愛らしい声にアンジェリカの肩がビクッと揺れた。
「まだ帰ってきてくださらないの?」
寂しいですぅと目を潤ませ、両手をアゴにあてた可愛いポーズのキャンディス。
視線はもちろんあざとい角度でシリウスを見つめている。
あなたの姉はこっちです。
全く目が合わないキャンディスにアンジェリカは苦笑した。
「行こうか、アン」
シリウスはアンジェリカの肩をグッと引き寄せ、馬車に乗る。
「はぁ? 私を無視するとかアリエナイ!」
キャンディスはダンと足を踏み鳴らしながら去っていく馬車を睨んだ。
翌日からキャンディスは博士科の建屋に頻繁に現れるように。
廊下で転ぶ、何かを落とす、ぶつかりそうになるのは日常茶飯事。
「すごいね、君の妹」
珍しく3人で集まったサロンで第3王子ハリソンはキャンディスの奇行をアンジェリカに報告した。
始めのうちは可愛い子がいると博士科でウワサになったが、最近は行動が怖いと言われていると教えてくれる。
「元婚約者とは婚約していないみたいだね」
「そうなのですか?」
てっきり私が婚約破棄されてすぐあの二人は婚約したと思ったのに。
「廊下で痴話喧嘩しているのを見たよ」
「別れたっぽいよね」
シリウスとハリソンは元婚約者が青ざめていたと笑いながら話す。
「お騒がせしてすみません」
「アンのせいじゃないよ」
紅茶を飲みながら優しく微笑むシリウスに、アンジェリカはホッとした。
よかった。
私に微笑んでくれるということは、きっとまだシリウスはキャンディスに取られていない。
「ところでアン。12月の卒業パーティはもちろんエスコートさせてくれるよね?」
ドレスも注文してあるからと言われたアンジェリカは驚いた。
「ド、ドレス?」
パーティのドレスを贈るのは婚約者にだけだ。
「シリウス。本当にオセアン国に連れて帰るつもりか?」
「当たり前だろう?」
何かおかしいかと聞くシリウスに第3王子ハリソンもアンジェリカも絶句した。
シリウスは優しい。
私の作ったお菓子もいつも美味しいと言ってくれる。
私より何倍も可愛いキャンディスにも見向きもしない。
私をオセアン国に連れて帰るというのは本気だろうか……?
それはお菓子係として?
それとも好意を持ってくれていると自惚れても良いのだろうか。
付き合い初めてから数ヶ月が過ぎ、あっという間に12月の卒業パーティの日を迎えてしまった。
今日のシリウスはまるで王子。
白の正装は金の装飾品がつき、豪華な装いだ。
今日もイケメンが眩しすぎる。
アンジェリカは金髪青眼のイケメン、シリウスを見上げた。
「アン、きれいだよ」
青い眼を細めて微笑むシリウスに、アンジェリカは真っ赤な顔で微笑んだ。
シリウスが準備してくれたドレスは上半身が白に金刺繍、スカートの裾に向かって青に変わるグラデーションが美しい。
青はシリウスの眼の色、金はシリウスの髪の色だ。
ドレスの箱には『チャーチル』の文字。
装飾品の箱は『ウィルズ』。
どちらも知らない店だったので、きっとオセアン国の店なのだろう。
「お姉様!」
高く可愛らしい声にアンジェリカの肩がビクッと揺れた。
「素敵ですぅ、そのドレス」
「ありがとう、貴方も素敵よ」
今日のキャンディスはピンクのふりふり。
大きなリボンとレースがキャンディスらしい。
「アン、ダンスを踊ろう」
シリウスがアンジェリカの肩を抱くとキャンディスは奥歯をギリッと鳴らした。
「待ってください! お姉様より私の方が可愛いし、スタイルも良いです!」
自分で言っちゃう?
確かにそうだけれど、自分で言ったらダメだよ、キャンディス。
「俺はアンがいい」
ブライアンはあっさりキャンディスに夢中になって私と婚約破棄したのに、シリウスはキャンディスの容姿に夢中にならなくてよかった。
「騙されちゃダメです! お姉様はブライアンとまた婚約する約束をしています! お姉様が可哀想だからブライアンがまた婚約してくれるんです!」
キャンディスはシリウスの空いた右腕を掴み、大きな胸を押し当て、潤んだ目で見上げる。
「……婚約の約束?」
聞かれたアンジェリカは首を横に振った。
「そんな約束はしていないです。ブライアンとはあの日以来会っていないし」
「嘘か……」
シリウスはキャンディスに捕まれた腕を引き抜き、そのまま扉に向かってスッと手を上げる。
「きゃぁぁ! 何? 何なの?」
あっという間に騎士に拘束されたキャンディスは、一瞬のうちに扉の向こうへと消えて行った。
驚いたアンジェリカが呆然と固まる。
騒ぎに気づいた第3王子ハリソンは慌ててシリウスに駆け寄ったが間に合わず、額を押さえながら溜息をついた。
「シリウス」
「虚偽罪と不敬罪だ」
あとは任せたと言うシリウスと第3王子ハリソンの会話がおかしい。
ピリッとした空気、王子のような姿、王宮で預かる留学生、豪華すぎるドレス、不敬罪。
「アン?」
俯いたアンジェリカの顔をシリウスが覗き込んだ。
「……ただの留学生じゃないの?」
「まさか何も話していないのか?」
驚いた第3王子ハリソンがアンジェリカとシリウスを交互に見る。
「アンには何も教えていない」
俺自身を好きになって欲しかったとシリウスが言うと、ハリソンはそうかと黙ってしまった。
シリウスはアンジェリカの手を取るとスッとその場に跪いた。
「アンジェリカ・コルトニー伯爵令嬢。愛しています。どうか私、シリウス・オセアンの妻に」
アンジェリカの手の甲に口づけを落としながらシリウスが名乗った家名にアンジェリカは目を見開く。
家名がオセアン……?
ということはシリウスはオセアン国の王子!?
嘘でしょう?
「あの菓子をアンが作ったと知った日から妻にすると決めていた」
第4王子じゃダメだろうか? とシリウスは悲しそうな顔をする。
「でも、うちは伯爵で」
身分がつり合わないというアンジェリカの手をシリウスはギュッと握った。
「アンじゃなきゃダメだ」
菓子が作れるだけではなく、優しいところも気遣いができるところも真面目なところも全部好きだと言うシリウスの急な告白に、アンジェリカの頬が真っ赤に染まる。
「アンとずっと一緒にいたい」
毎日ずっと側にいたいと、アンがいない日常はもう考えられないとシリウスは想いを伝えた。
「好きだよ、アン。愛している。オセアン国に一緒に行き、これからも俺のために菓子を作ってくれないか?」
お願いだと懇願するシリウスに、アンジェリカは泣きそうな顔で「はい」と微笑んだ。
「おめでとう、シリウス、アンジェリカ嬢」
第3王子ハリソンの拍手を合図にどこからともなく湧き上がる拍手。
シリウスに誘われて踊ったダンスは夢のような時間だった。
ダンスの間にも囁かれる愛の言葉が恥ずかしくてアンジェリカは真っ赤になりながら踊った。
母のノートに書かれたお菓子がきっかけで他国に嫁ぐことになるなんて想像もしていなかった。
婚約破棄された伯爵令嬢は和菓子好きの王子に溺愛されました。
第4王子殿下と妃殿下はいつまでも仲睦まじくオセアン国で暮らしました。
妃殿下が作る菓子は懐かしい菓子だと貴族たちから広まり、いつしか国中で話題に。
そして二人の子供達が小瀬按菓子店を復活させるのはまだまだ先の未来の話。
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執筆の励みになります(^^)
本作品は以前掲載していたものなのですが、今日6/16が和菓子の日だと聞き、本作品を思い出して再掲しました。
最後までお読み頂き、ありがとうございます!