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ヒロイン視点
初めて首を絞められたとき、あぁ、この人は私を憎んでいるんだとはっきりわかった。
それも致し方ない話だ。
私の両親は、爵位を得るためにあらゆる悪事に手を染めた。巻き込まれた人もたくさんいた。
そしてダンテ様はきっと、その巻き込まれた人のうちの一人なのだろう。
元々変な話だとは思っていたのだ。
新興の男爵家の令嬢ごときが、歴史ある伯爵家に嫁ぐなど。だがその理由も今、わかった。この人は、私を殺すために私を迎え入れたのだ。
殺されるんだと思った。
両親の罪を背負って殺されるのだと。
私の人生はここで終わるのだと。
抵抗する気も起きなかった。死ねるのならそれで良い。
だけれどダンテ様は、なぜか首を絞めるのをやめてしまった。どうしてだろう。殺してしまえば良かったのに。
やがてベッドの隣が深く沈んだ。
ほどなくしてダンテ様の寝息も聞こえてくる。
私は、先ほどまで絞められていた自分の首に、そっと手を添えた。
一ーそれからダンテ様は、私を抱いた夜は、必ず、私の首を絞めるようになったのだ。
*
「奥様っ!炊事家事は私たちの仕事と言ったでしょうにっ!」
「でもすることがないんだもの。手伝わせて、ね?」
「そうは言ってもですねぇっ!」
ダンテ様の元に嫁いで1か月。
貴族らしい時間の潰し方を知らず暇を持て余していた私は、侍女たちと共に家事を行うのが日課になっていた。
「……騒がしいな。ナディア、またそんなことを……」
「ダンテ様!」
呆れたようにダンテ様が執務室から顔を出す。
ぱたぱたと駆け寄ると、一瞬、ダンテ様の顔が剣呑なものになった。誰も気付かないであろう一瞬の出来事。こういうのを見るたびに、あぁ、ダンテ様は、本当に私をお嫌いなんだな、と思うのだ。
「すみません、毎日どうにもやることがなくて……」
「それは前にも聞いた。だから刺繍道具やら買ってやっただろう」
「……あんまり性に合わなくって……すみません、せっかく買ってもらったのに……」
ダンテ様がため息をつく。
「それなら少し街に出るか」
「街、ですか?」
「なにかしらお前の余暇を潰せるものを探しに、だ」
「それは良い考えです!ぜひ行ってらしてください!」
私が答えるより先、侍女が諸手を挙げて賛成した。
「でもダンテ様、お仕事は」
「一段落したからな。そういうことだから準備してこい」
*
「すごいっ!こんなに座り心地の良い馬車、初めてです!」
ふかふかの馬車の座椅子に腰掛けて、私は思わず感嘆の声を漏らした。
「……一応伯爵家所有の馬車だからな」
やっぱり呆れたようにダンテ様は言うが、私を見る瞳がどこか優しくて、どきりと心臓が鳴る。
「やっぱり新興の男爵家とは全然違いますね」
「……父上の苦労をそういう風に言うものではない」
咎めるような言い方。しかしダンテ様の声色は、本当に咎めるようなそれではなかった。
あくまで形式的な言葉。ただそれだけ。一切の感情がのっていない声だった。
しばらく馬車を走らせたところで、降りようか、と促される。
余暇を潰すもの、なにを買うんだろうと降りた先、目に飛び込んできたのは高級ブティックだった。
「ドレスを買うぞ」
「へっ」
「たいしたドレスを持っていなかっただろう。商人を呼んでも良かったがな。好みがわからなかったから直接店に来た」
「ひっ、暇を潰すためのもの探しにきたのでは……!?」
「それももちろん探す。その前にドレスだ」
「ひえっ」
……どうしてダンテ様はこんなことをするんだろう。
私だってわかっている。
私は伯爵夫人になった。伯爵夫人は、本来、家を守るべき仕事を任される。
だがダンテ様は仕事なんて私に一切振らず、時折、私を憎悪する表情を向けて、閨の後は必ず私の首を絞める。
確信していた。ダンテ様は私を憎んでいる。
だから夫人としての仕事を振らないのだろう。首も絞めるのだろう。
だからこそ疑問だった。
なぜ、ダンテ様はさっさと私を殺さないのだろう。
事故に見せかけた毒殺とか、いくらでもやりようはあるだろうに。殺さず、あまつさえどうしてこんなことをするのか。私にはよくわからなかった。
「どれもお似合いですよぉ〜」
着せ替え人形のように、あらゆる色、デザインのドレスを何着も着せては脱がされ、そのたびに商売上手なマダムが悲鳴のような感嘆の声を上げた。
助けて欲しくてダンテ様の方を見るが、ダンテ様は無表情のまま、じっとこちらを見据えるだけだ。
「全部買えば良いだろう」
なにを勘違いしたのか、ぶっきらぼうに言われた。
「違います違います!そういう意味で見たんじゃありせん!」
「なんだ、全部欲しい、のおねだりかと思ったが」
「違いますってば!」
で、結局のところ全部買うことになった。
……本当によくわからない。ダンテ様、どうして憎いはずの私にこんなことをするのだろう。
ブティックを出て、ダンテ様が歩き出す。
暇を潰す道具を探しに行くらしい。
「……あぁ、」
なにかを思い出したようにダンテ様が立ち止まった。ダンテ様の半歩後ろを歩いていた私は、上手く立ちどまれず背中にぶち当たってしまう。
「わっ……!あっ、ダンテ様、すみませんっ……!」
「いや、大丈夫だ。……確か、夫婦が街を歩くときは腕を組むはずだ」
「そっ、そうなんですか……?」
「そうだったはずだ」
ん、とぶっきらぼうに腕を出される。
「組まないのか」
「……良いんですか?」
「良くなければ腕なんて出さない」
「その通りかもしれませんが」
おずおずとダンテ様の腕に手を回す。すると頭上から、吹き出す声が聞こえた。
「一ーなにをそんなに緊張している。毎晩、あれだけ体を暴かれて、私の体にも触れているのに」
「っ、昼間ですよ!それに外ですよ!」
「それがどうした。ほら、行くぞ」
こともなげにダンテ様は言い、ゆっくり歩き出した。
歩く途中、ダンテ様が何度か足をもつれさせた。それを見て私は一ーダンテ様、私の歩幅に合わせて歩いてくれているんだ、と気付いたのだった。