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ヒーロー視点
妻であるナディアを恨んでいるかといえば、それは少し違う。
私が真に恨み、復讐を誓ったのは、ナディアの両親だ。
金に意地汚い新興貴族一ーそれがナディアの両親。
私の両親を死に追いやったナディアの両親。
殺すの厭わなかったが、それよりも、幸せになると信じて送り出した娘が不幸になるところを見せつけた方が、よっぽど良い復讐になると踏んだのだ。
断言する。
私はナディアを愛していない。
けれどその感情は、私が復讐をするうえでは邪魔なものだった。
フリで良い。あくまで見せかけで良い。『私はナディアのことを溺愛しています』そんな面構えでいなければならない。
なにも知らないであろうナディアを騙す必要ある。自分を溺愛してやまないと思っていた夫。まぁあくまで計画でしかないが、たとえばそうやって散々溺愛してから、愛人でも囲ったらどうなる?ナディアは絶望に落とされるだろう。実家に泣きつくかもしれない。そしてそんなナディアを見て両親はどう思う。悔しく思うだろうな。憎く思うだろうな。だが、新興の男爵家如きでは、伯爵家に手も足までまい。
ナディアがかわいそうだ。ナディアは無関係だろう。
そんな声もあるだろうが一ー知ったことではない。
ではそう言ってきたお前達は私の両親を生き返らせることができるのか? ナディアの両親に、地獄の方がマシだと思う苦痛を味わわせてくれるのか? 違うだろう? だから私自身が動くだけだ。文句があるのなら、こちらのことなんて見なかったことにすれば良い。
大丈夫、やれる。自分に言い聞かせる。
大きく深呼吸をして、私は、妻であるナディアを屋敷に迎え入れた。
*
「狭い屋敷ですまないな。昔色々あって、代々受け継いだ屋敷は売り払ってしまって……、別邸を本邸にしたんだ」
「そんなことありません。とても素敵なお屋敷です」
朗らかに笑ったナディア・オニール男爵令嬢一ーもとい、今日からナディア・エリオット伯爵夫人になる私の妻は、新緑の色の目を輝かせながら屋敷を見渡した。
「お屋敷自体に趣があって……、とても歴史を感じます。使われている木材も、今では貴重なものですよね?」
「よく知っているな。その通り、なかなかに贅をこらした別邸ではあったんだが一ー」
一ー卑しい男爵家の娘ごときがそこまで知っているとはな。
うっかり言いかけて、慌てて口を閉じる。
危なかった。ナディアには、この小娘には、こちらの機微を悟られるわけにはいかないのだ。
「君の部屋も用意してあるんだよ。案内しよう」
「そんな、旦那様自ら案内してくださるなんて……」
「気にしないでくれ。なんせ今いる使用人たちはまだ屋敷のことに詳しくなくてね。私が案内するのが早いだけの話だ」
「……詳しくない……?」
不思議そうにナディアが首を傾げた。動きに合わせて、ブロンドの長い髪がさらりと垂れる。
「……せっかくの新妻との新しい門出だからね。いっそのこと使用人も一新しようかと思って、総入れ替えしたんだよ」
「そんな、私のために……」
「気にしないでくれ。私がやりたくてしたんだから」
一ーこの娘が、あの両親と同じ愚か者で良かった。
内心胸を撫で下ろす。
使用人を解雇したのは本当だ。だが本当の理由は、憎き仇の娘を迎え入れれば、心優しいうちの元使用人達はナディアを害する可能性があったからだ。
『坊ちゃんがそこまで背負う必要はありませんよ!』
そう私に言ってくれた、年老いた侍女の言葉を思い出す。そうだな、だが私は、どうしても私の手であの人間を地獄に落としたいんだ。
だから総とっかえしたのだ。
今、この屋敷にいる使用人は、私とナディアの両親にある確執を知らない。知らないであろう人間だけを選び抜いたのだ。
玄関ホールから階段を登り、日当たりの良い角の部屋へナディアを連れていく。世間では、屋敷の一番良い部屋を、妻に与えるのが『溺愛』らしかった。
「すごい……!こんなに良い部屋をいただけるなんて……!」
なるほど、それは本当らしかったらしい。
声のトーンを上げたナディアが、嬉しそうに私を見てきた。
「私の妻になるからには、より良い暮らしをしてもらいたいと思っていてね。気に入った?」
「もちろんです! ありがとうございます!」
嬉しそうに笑うナディアに、思わず舌打ちをしそうになった。
この屋敷は、この部屋は、本来はお前のためのものではなかったのに。
内に潜むどろどろした感情を隠すように、笑顔を貼り付けて、ナディアに笑い返してみせた。
*
別邸は狭い。
ゆえに夫婦の寝室などもなかった。だから夫婦の初夜は、私の寝室で行われる予定だった。
パタパタと侍女たちの忙しない足音が聞こえる。それから微かに薔薇の華やかな匂い。もうすぐナディアがやってくるな、と思ったところで、隠し持っていた薬を口にする。
なんの薬かといえば、男性機能を促進させる薬だ。
あの憎たらしい親から産み落とされた女に欲情できる気がしなかった。だからこっそり用意しておいたのだ。
それから一ー手元にある小説を捲る。
巷で流行りの溺愛小説と呼ばれるもの。
ナディアを妻に迎え入れるにあたり、しかし、どう愛しているかのフリをするか悩んでいた私に与えられた天啓のような本だった。
妻を溺愛する夫は、妻に日当たりの良い部屋を与えて、実家で虐げられていた妻を優しく包み込み、抱くときは朝まで、もしくは妻が気絶するまでするのが『溺愛』というものらしい。
馬鹿馬鹿しいと思いながらも、男が女を愛するということがなにひとつわからない私には、この本に従うほかなかった。
それにこれでよりよくナディアが勘違いしてくれたら、これ以上なく都合が良い。
やがて部屋に扉をノックする音が響いた。
入室を促すと、厚手のローブをまとったナディアがやってきた。
恥じらうように目を伏せるナディアの手を引き、ベッドに座らせる。
「あの……恥ずかしいです……旦那様……」
「……私のことは名前で良いよ。……脱がせても?」
ナディアが小さく頷く。
ローブを取り払うと、果たして着ている意味があるのか、と目を疑いたくなるような夜着が視界に飛び込んできた。
「あっ、あの、……こういうのを着るのが作法らしくて……」
「……どうせすぐ脱がせるのにな」
「っダンテ様ったら……」
顔を真っ赤にさせるナディアをそっと押し倒す。
「大丈夫、痛くしないよう努力はするつもりだ」
精力剤とは立派なもので、すでに下肢には熱が篭り始めていた。
ナディアに口付けを落としながら一ー私は、これから始まる復讐のことについて考えていた。
夜も白む頃、ようやく夫婦の初夜は終わりを迎えた。
隣ではナディアが静かな寝息をたてている。
なんとなし一ーナディアの首に手をかけた。
細い首だった。
私の両手だと、手に余るぐらい細い首だった。
このまま締めればすぐに死ぬだろうな、と予感できる細い首。
ナディアの首の骨の折れる音はどんな音だろう。
乾いた細枝を踏んだときのような軽い音だろうか。
あるいは、湿った太い枝を馬車が踏んだときのような音だろうか。
初夜で娘が死んだ一ーとなれば、あの愚か者たちは泣くだろう。悲しむだろう。であれば、今殺しても構わないな、と首にかけるての力を強める。
「……一ーっ、」
今にも首が折れるだろう、その寸前で止めることができたのは、窓から鳥の囀りが聞こえたからだ。
我に返って首から手を離す。
良かった、首に痕はできていない。ナディアも小さな寝息を立てている。
安堵して、ナディアから距離を取って自分も横になる。一晩中動いていた体はそれなりに疲れついたようで、すぐに睡魔が襲ってきたのだった。