第309話 元の世界
『速報です。特殊異能警察────SSPが未解決事件である東京第◯区の『消える殺人犯』を確保し、事件解決へと向かった旨をお伝えします。ただ今近隣住民に避難解除を────』
男は目が覚めると、つけっぱなしのテレビの情報を何となく聞きながらのろのろとベッドから起き上がった。
最近話題になっている事件だ。
とある殺人犯が、超能力を使う警察相手に目の前で突如姿を消して逃げるのを繰り返していたというもの。それがようやく収束したという事だ。
最近はこういった怪異が増えている。
────だからと言って興味があるというわけではないが
「二ノ宮ジンクメル……『厄介な狼』……か」
テレビに映る白スーツの男を見てポツリと呟いた。何かと因縁のある相手だけに、見るたびに嫌になる。
チラリとベッドのヘッドボードに置いてある置き時計を見た。時間は朝の5時。
そろそろ仕事の時間である。
男はクローゼットを開け、つなぎ服へと着替えた。大して服に興味はないので2種の服装しかない。
次に顔を洗いに行くが、何か忘れている気がして洗面台にある鏡に映る自分を見つめた。
長い黒髪に死んだような光のない眼。疲れたような顔はいつも通り。
────何か……忘れている
「…………?」
男はそのうち思い出すか、そうでないなら大したことでないだろうと洗顔をしてタオルで顔を拭いた。
それから軽く身支度をして陽が昇り始めた早朝、廊下へ出て円形のアパートの玄関へ向かった。
────相変わらず不思議な建物だ
歩きながら視線を動かす。
円形のアパート。薄暗く、古びた廊下はまっすぐに伸びず、緩やかにカーブしている。
3階建で部屋も多いが、住人は少ないので空室ばかりだ。ちなみにアパートの中心には整えられた芝生のある中庭がある。
「何か……妙だ」
男はふと歩みを止めて呟いた。何故かは分からないが身体に不自然な浮遊感があり、他者の視点で身体を動かしているような気がした。
────離人感……というやつか……それか白昼夢
男はそのうち治るだろうと首を振り再びアパートの玄関を目指した。郵便物等がないか確認しなければならない。
流石に朝早いので、到着するまで他の住人とは誰ともすれ違わないし、姿も見なかった。
管理人の仕事もしている男にとっては面倒事が起こらないので助かるが。
玄関を出てすぐ外、左側は屋根のある箱型のポストが並んでおり、男は自分の部屋のポストを開けた。
中には茶封筒が入っていたのでそれを手に取る。
封を破って開け、中の用紙を取り出して目を通した。
────────
今月のボディガードランキング
A級122位→A級125位
一層防衛に努めるよう健闘を祈る
────────ガードマン協会
男はやれやれと頭を掻いた。目の端に映る長い髪が揺れる。
最近は本業のボディガードの依頼がなく、ランキングも一向に上がる気配はない。低ランクではなかなかどうして、勝手に客は来ないというのもあるが。
男は用紙を後で捨てようとポケットに突っ込もうとした。
しかし、誰かに掠め取られた。
「ほほぅ……ガードマンランキングが……律儀な協会だな」
長い金髪にいつもの黒ドレスを着たアパートの大家だった。黒ドレスは大した装飾はないが体のラインが出ていて少し艶めかしい。年齢は18そこらだろうか。
いつもは朝が弱いはずだが、今日は珍しく早起きしたようだ。
「ふむ……少し下がっているな」
チラリと綺麗な切れ長の目を男に向ける。
────視線が痛いな
「依頼なんて滅多にないんだ……仕方ないだろ」
男は彼女から書類を取り返し、クシャリとポケットに突っ込んだ。そのまま大家のそばを通ろうとしたが、目の前に別の書類が掲げられる。
彼は得意げな大家を一瞥し、それを手に取り内容を確認した。
通達──────
○○区及びその周辺上位100名のガードマン。クラーマル建設にて本日中急募。クラーマル社長が拉致予告を受けた、これを防衛せよ。詳しい内容は追って説明、尚報酬は弾む
──────────────ガードマン協会
「…………俺は125位なんだが……しかも中級のA」
「当然だ。それは私の侍女に来たもの。お前が金に困ってるだろうと思ってな」
「あのメイドのか……なら俺が行ってもダメだろ」
「ふふん。そこは私が何とかしよう。まあ行ってくるがいい」
大家は妖艶な顔つきでニヤリと笑った。男は視線を逸らしてため息をついた。
────いくら貰えるか書いてないな
しかし金欠な男は金を稼ぐために行かなければならないのだ。中級ボディーガードは些細な依頼も受けなければ稼ぎがない。
アパートの管理を兼ねてやっているが消費が多く、金はすぐになくなる。
────そもそも入居者が少なすぎる
目の前の女は何を考えているのか。どこかのお嬢様ではあるみたいで金には困っていないようだが。
「む?どこに行く?」
そのままアパートの中に入ろうとすると大家が男の腕を掴んだ。柔らかくしなやかな手だ。
「着替える」
「何を言っている?必要はないだろう?」
「え?ん?あ、あれ」
男は自分の姿を見て首を傾げた。さっきまで作業用の繋ぎ服だったが、今は和服のようなものを着ていた。心なしか視線も下がり声が高くなる。
「姐さん、今日はメイドさん一緒じゃねーの?あ!てめー!管理人!メイドさんから離れろ!」
アパートの奥から大きな猫の被り物をした男が出てきたと思えばそう吠えた。被り物の輪郭は猫のまま人の顔になったり、相変わらず気持ちが悪い。
「何を言って────」
反論しようとすると誰かに肩を叩かれた。振り向くとメイドの格好をした、短めのピンク髪の女が立っていた。先程の依頼の宛先であるSS(最上級)ボディーガードである。
「これからどこかに行くんですか?」
「お前が受けない依頼を受けに……」
「そうですか……それはお疲れ様です」
彼女は見下したように鼻で笑うと、そのまま大家と並んだ。
男はそれから何故か外に向かって歩き出し、勝手に動く足を慌てて止めようとした。
なんとか力を振り絞り、再度アパートを振り返ると目を見開いた。いつの間にかアパートは遠くなり、その住人が並んでいた。
金髪黒ドレスのお嬢様に、その侍女。猫の被り物をした男に和服を着た日本かぶれの外国人、上半身裸の大男、髪がお団子結びのワンピースを着た小さな少女。そして白衣を着た、浅黒い肌の医者。
『お、おい────』
徐々にアパートから離れて行く視界。
『お前は私の元に帰ってくる』
金髪黒ドレスの女の嗤う声がした。
直後に空間がぐにゃりと曲がり、映像が途切れるようにプツンと真っ暗になった。
目を開けると天井が目に入った。木造で木目がハッキリと見える。部屋の中は寝台のほか簡易な椅子や机、衣装棚しかない。
知らないうちに手を伸ばしていたようでその手を額にやる。
汗もグッショリかいており気持ちが悪い。
チラリと窓を眺めると陽が昇り始めており、外からはアーベルの街の人々の声が聞こえた。
「…………はぁ」
クラウディ、もとい、元男の少女は結果だけ言えば元の世界には帰ることはできなかった。
────あの時……




