第2話 落ちた男②
衰弱した身体であるためゆっくりと歩いていたが、森はどんどん獣道となっていった。引き返そうとも思ったが水が流れる音が聞こえてきたためそのまま進んだ。
そして陽が昇り切る頃には獣道の側を流れる小川に出くわした。
────助かったな
彼は荷物を無造作に放り、かなり冷たいが両手に水を溜めた。口をつける寸前にぴたりと止める。
────飲んで大丈夫か?これ……水質とか
迷ったものの澄み切った水を見てゴクゴクと飲み干した。
彼は満足すると水筒の水を捨て、新しい水を汲んだ。古い寄せ集めの水よりは良いだろうと判断してのことだった。本来なら濾過したり煮沸するのが良いが、今の体力では道具もないため、無理が出来なかった。
小川は澄んでいるがこの季節のためか生き物は何も見つからなかった。川魚でもいれば捕らえて食べることもできたのに。
再び荷物を背負い彼は小川に沿って歩き出した。
同じ風景が延々と続き、陽が傾いてくる。時々休みながら歩くが目新しいものは無かった。
やがて夜になり、疲れ切っていた彼は干し肉とパンを腹に入れ毛布にくるまって眠りについた。
朝────というより昼に彼は目が覚めた。本来なら警戒して浅い睡眠しか取らないが、状況が酷いため深く眠ったようだった。
疲れがやや取れているが、気怠さは未だに改善しない。水分と食べ物を腹に入れると彼は再び歩き始めた。
時折鳥が鳴く声や枝を折る音が聞こえたが、その際は立ち止まって収まるのを待つか、体力があるうちは気配と足音を消して歩いた。
特に問題なくその日は終わったが、次の日だ。
────まじか
彼は小川の発生源を見つけて落胆した。相変わらず澄んだ水だが、どうやらいくつかの大岩の間から滲み出て繋がっていただけのようだった。
つまりこの小川はここまでということだ。特に体に異常はなく飲み水として重宝していた為余計に惜しい。
彼はため息をつき最後に大量に腹に水を入れ岩のそばを通り抜けた。相変わらず獣道が続いている。
そしていくらか進んだ時に何かに躓いて転びそうになる。体勢を整えて振り返ると見たこともない生き物が横たわっていた。
木の皮のような表皮を纏った犬。一言で言えばそんな感じ。だが、犬にしては牙が長く、腕には刀のようなものが飛び出ている。どうやら彼はそれに躓いたらしく、犬は人間に気づくと下舐めずしをし大きな口を開いて涎を垂らした。
────くそ
彼は荷物を地面に置き、両手に剣を握った。
それを見た獣は彼の周りをゆっくりと回った。彼はその際に、敵が景色に合わせて皮膚が溶け込むように変化していることに気づく。
彼は完全に溶け込む前にその生物に詰め、剣を振った。しかし足を滑らせ膝をつき、振った剣も間合いが足らずに空振る。
犬はそれを見て飛びかかって牙を向いた。
「チィっ!」
彼は片手で剣が振れないとわかり片方を捨て、両手で構えて顔面目掛けて突いた。剣は犬の口内へ入り背中側へと貫通する。
尚も獣の身体がのしかかりガチガチと牙が鳴っていたが、やがて痙攣し動かなくなった。
彼は突き刺したまま死体を横にやり、うつ伏せに荒い息を整えた。
────死ぬかと思った……
死体を見るとキラキラと光る犬の身体が目に入った。近づいてよく見るときめ細かな鱗のような皮膚をしている。
彼は見たこともない生物を見て首を傾げた。
────カメレオンみたいだな、顔は犬だが。俗に言うキメラか?
彼は考えても仕方ないと立ち上がり放った荷物を整えた。剣も回収し、付着した血はそこら辺の葉っぱで出来るだけ取り除き、服の端で拭った。
謎の生物は食料になるかも知れなかったが、得体がわからないためそのままに後にした。
謎の生物と戦った場所から十数キロ歩くと少し大きめの木を見つけ、彼は寄りかかって座り、食事をとったり一息ついた。
ふと剣を抜いて軽く振ってみる。
衰弱しているからか、大して重くなさそうだが思うように振ることができない。これでは先程のようなことがあると支障が出る恐れがあり、しばらく両手で扱うようにしなければならない。
陽も傾き始め、彼は早めに休むことにした。戦闘があったが前ほどは疲れておらず余裕があった。
記憶に関しては未だに思い出せず、自分は誰なのか、何故あそこにいたのかどこにいけばいいのか悶々と考える。
しかし答えが出るはずもなくやがてまぶたが重たくなり眠りに落ちていった。
────湖にしては小さいか?
2日ほど歩いた後、やや広めの空間に出た。上を見上げると木々が隠すように生い茂っているが、空間の中心には池にしては大きく、湖にしては小さい水たまりがあった。直径2~30mほどの湖だ。彼は隠すように茂みに荷物を置き、ゆっくりと近づいた。
あれから生き物に遭遇していないが、用心した方がいい。
湖は底が見えるほど澄んでおり飲み水として使えそうだった。
彼は空いた水筒を遠目から湖にそうっと入れて注いだ。少し飲んでみるが美味く問題なさそうだった。
「ぷはっ」
ふと声が聞こえた。その瞬間に目にも止まらぬ速さで剣を抜き構えた。
────女の声。気配は感じなかったが
「誰だ?」
と再び聞こえる声。辺りにに視線を送るが気配は全く感じられなかった。彼は片手にナイフを投げれるよう仕込む。
「誰だと────」
とそこで気づく。声を発しているのが自分だと。
────は?
「はっ?」
彼は身体が固まり、違和感に冷や汗が滲み出した。意識を初めて全身に移すが、違和感しかなかった。そういえばいつもより低い目線。体力のない身体。高い声。
────思い返せば違和感だらけだ
彼はさざ波一つない湖に顔を覗かせた。
────誰だ……こいつは
黒く長い髪は変わらないが、その容姿は彼がよく知るものではなかった。切れ長の目と10代半ばの肌質に細い眉に、長いまつ毛。小さい口。傷だらけではあるが明らかに違った。
「はっ」
彼はもしやと衣服の内側を覗き込んだ。そこには男にはあるはずのものがなく、男にはないものがあった。
────嘘だろ……
彼は男ではなく、少女となっていた。