狭間の旅の始まり 1
メートが村を出る相談をしてから、二日目の朝。今日、もうすぐにでもこの村を出ようとしていた。クリス、クミハ、ジャス、カオウが彼を見送るために、村の入口の辺りに来ていた。村人の数人はも遠目に旅に出る彼を見送ろうとしている。村の入口の辺りには警備隊の拠点があるため、村の警備にあたっている者以外は、彼を拠点から見送ろうとしていた。
「忘れ物は無いよな。まぁ、俺たちが持たせたものくらいしか持ち物はねぇか」
「私たちが用意したんですから、その袋を持っていれば大丈夫だと思いますよ」
クミハとジャスが彼に笑いかける。二人に用意してもらったのは、腰に巻いたベルトに括り付けられるきんちゃく袋だ。見た目には対して量も入らなさそうなものだが、実際の容量は見た目の数十倍入るもののようで、狭間に落ちてきたものらしい。今更ながら、クリスが薬草の採取の時に持っていた袋も同じ構造のもので、それと似たようなものが村には七つほどあり、その中の一番容量の大きいものを彼に持たせてくれたようだ。流石にもらえないと最初は拒否したものの、村の人たちからの選別もすでに入っているといわれて、受け取らないわけにはいかなくなったのだ。そして、その袋の中にはクミハとジャス、クリスが用意してくれた衣服や食料なども入っている。袋の中と現実とで時間の流れが違うようで、食料も百日以上は持つとのこと。至れり尽くせりで、ここには無事に帰ってきて、お礼も言わないといけないと決意を強くする。
「ありがとう、みんな。何もなかったら、すぐに帰ってくるかもしれないけど、しばらくは戻れないと思うから。でも、ちゃんと戻ってくるからさ」
「メートお兄ちゃん! 絶対だからね。絶対、戻ってきてね!」
「ああ、もちろんだ。絶対に戻ってくる。その約束の証にこれを」
彼が取り出したのは、いびつな月の形に削られた髪留めだった。装飾は彼が一から村の人に作り方を聞いて作ったものだ。彼はクリスの前にしゃがみこんで、彼女の髪に優しく触れて髪留めを付けた。クリスはその髪留めにそっと触れていた。彼女はその手に温かいものを感じていた。
「ありがとう、お兄ちゃん。待ってるからね。帰ってきてね」
クリスがまるで母親のように優しい声色で、彼にそう言った。彼も少し驚いたが、それを表情には出さず、頭を優しく一つ撫でた。そして、彼は、よし、と言いながら膝に手をついて立ち上がる。腰の袋を手で触れて、目で見て再確認。ずっと、そこにいても出発する心が鈍るだけだと思い、彼は村に背を向けて歩き出した。後ろから声援が送られる。穏やかな森の村で過ごしていた中で一番大きな声だ。
「頑張って来いよー!」
「メートさん、いってらっしゃい!」
「メートお兄ちゃん! いってらっしゃい!」
ひときわ大きく聞こえたのは、やはり、一番世話になった三人の声だった。心なしか、ジャスの声だけが涙ぐんでいるような気がして振り返りたかったが、そんな無粋なことはしない。声援を受けて、彼は片手をあげて挨拶とする。
「こんなに、盛大に見送られるとは思いもしなかったなぁ」
ここまで村の人たちに想われているとは少しも思っていなかった、空を見上げた。
快晴。風も穏やかで、旅に出るには良い日和。この狭間に何があるのか、彼は一切知らない。しかし、彼が旅に出る理由は一切間違っていない。この狭間の世界の変化はすでに始まっている。穏やかな森の村の異変はその余波だ。穏やかな森から離れれば、離れるほど狭間の変化は大きくなる。彼も知らず、進むのは茨の道。クリスたちとの約束は絶対だが、これから先、その約束を守れるのかどうかは、彼の生き様に掛かっている。
「おいおい、それくらいぱっとやれよぉ」
響き渡る小さな悲鳴と泣き声。それが自分のものだと気が付くのに数秒。ただ、その自分は昔の自分ということに気が付く。だが、その泣き声は永遠と止めることはできない。その時に拳銃を持っていれば、話は変わっていかもしれないが、力のない少女にはそんなものを扱う技術も知識もなかった。
「うっ、はぁ……、はぁ。……チッ」
最悪の目覚めで、その女性は起きた。自身の過去は常に付きまとう。元居た世界からこの場所に落ちて逃げおおせたかと思ったが、自身の過去と現在は糸のようなもので繋がっていて、その先端と自分が同化している。だから、それから逃げることは絶対にできない。たびたび、そんなことを思い知らされる。過去に襲われるたび、自分が今生きていることが幸いだと思うしかない。女性は重い心を引きずりながら、ベッドからのっそりと立ち上がった。窓を開けて、外の空気を吸い込む。既に気温が高くなっているせいで、部屋の中の方が気温が低いような気さえする。それもすでに慣れたことで、彼女は部屋から出て行った。




