穏やかな森の異変 5
クミハの用意してくれた料理を食べ終わると、彼は一息ついた。そして、彼は立ち上がった。クミハよりも先にクリスが彼に近づいて、その手を取る。
「どこ行くの? 休んでないと駄目だよ」
彼の体は傷だらけだっただけで、今はその傷はふさがっている。だが、戦闘で倒れてしまったせいで、彼女は彼の体調を心配していた。
「ちょっと、な。少し森の中を見てくるだけだ。魔獣とも戦わないし、昨日戦った場所がどうなってるか、見てくるだけだよ」
彼は軽くそういったが、クリスはそれを許してくれそうにもなかった。彼の手を一切離さず、ずっと手を握っている。彼がこの家の中にいるというまで掴んでいるような雰囲気だ。彼の力なら、彼女に手を掴まれていてもほどくことはできただろう。だが、心配してくれている間にそんなことはしたくはない。結局、彼は再び椅子に座るしかなかった。
「わかったよ。今日はどこにも行かない。これでいいか?」
クリスは満足したように、頷いていた。その日、彼はクリスたちの家で、のんびりして過ごしていた。クリスがほとんど絶え間なく、楽しそうに話をしていたため、彼は退屈することもなかった。
その日の夕方。彼と話しているクリスが眠そうにしていた。すでに言葉も途切れ途切れになってきて、瞼が下りる力にあらがえなくなってきていた。そして、彼が相槌を打っていると、ついに彼女はテーブルに突っ伏して眠ってしまった。クミハもそれを見ていて、彼女をベッドに寝かせるために寝室に入っていく。その隙を見て、彼は椅子から立ち上がる。そのまま家の玄関の方へと移動している間に、クミハが寝室から出てきていた。
「お出かけですか?」
「はい。やはり、森の方が心配で」
「……私も、メートさんは休んでいた方がいいと思うのだけど、と言っても意味はなさそうね」
「すみませんね。あの魔獣がイレギュラーだったなら、あれ以外もいる可能性も考えられるんです。なので、少し見回ってくるだけですよ」
「……無茶はしないでね。ちゃんと戻ってきてください」
クミハは心配そうな表情と声色で、彼を見送る。彼は大丈夫だと言って、家を出ていった。
外に出れば、辺りは夕暮れになっていた。空は半分ほど橙色になっていて、残りの半分は夜の色になり始めている。暗い中、森の中に入るのはどう考えても、魔獣相手には不利かもしれない。人間は夜は視界が効きにくいのだ。それをわかったうえでも彼は森の中に入るつもりだった。
村の中を歩くと、昨日とは違い、彼への視線は好奇のものではなく、感謝するようなものであった。少数の村であるために、彼が村を救った英雄だという話は村に住む全員が知っていた。それでも彼に声をかける人はおらず、村の出口へと移動する。彼が村の出口の付近に移動すると、そこにはジャスがいた。
「……こんな時間に村の外に用か」
「森の中を少し見てくるだけだ」
ジャスは彼の前に立ち、腕組をしていた。彼を村の外に出すつもりはないのか、彼をそれ以上進ませるつもりはなさそうだ。わざわざ喧嘩してまで外に出たいとは考えていなかったが、相手は既にやる気のようだ。剣と盾を構えて、彼の道を妨害しようとしている。
「悪いが、お前を多少痛めつけてでも、村からは出さない。英雄が死んでしまっては、村人も絶望するだろう。森の安全が確認できるまで、お前には村の中にいてもらうぞ。これは警備隊で決めたことだ。しばらくは、この村から逃げられると思うな」
まるで悪役のような言い草だが、彼は自分を心配しているのだと勝手に解釈した。もちろん、それだけではないことは彼も理解している。勝手に村の英雄にされたが、それだけの強さを警備隊の前で見せてしまったのだ。この村にいる人で一番強い人が負けるような存在が現れれば、この村はその存在には絶対に勝てないと思うことだろう。そうなれば、その存在と戦うという選択肢をとることはできない。せっかく、この村を守ってもらったのに、そんなことにはさせたくないのだろう。
「少し、確認するだけだ。それに、戦ったって俺が勝つ。俺が押しとおる。こんな、喧嘩に何の意味があるんだ」
「お前をこの場に留められる。俺が負けても、俺が戦っている間に、他の警備隊が来る。そうなりゃ、お前はそいつらにも足止めされる。そういう算段だ」
彼はそこまで言うと、少し間を開けて、彼を見つめる。そして、ぽつりと口を開いた。
「それにな、俺はお前が俺を本気で相手にしないってのを信じてるんだ。俺が弱くて、お前が強い。だから、お前はどうあっても手を抜くしかない。俺を殺すわけにはいかないからだ。わかったら――」
彼がまだ話しているその最中、森の方、というか森のある方から重低音が聞こえてきた。




