穏やかな森の異変 1
「……はぁ……はぁ」
メートは息を切らせながら、自身が真っ二つにした目の前の魔獣を見下ろした。あれだけしぶとかった魔獣も体を真っ二つにされては、生きることはできないようだった。彼の振り下ろしたバトルアックスは地面に突き刺さっている。相手を倒したことで安心しきった彼はバトルアックスを地面から抜く力もなく、そのまま地面に腰を下ろした。息が大きく吐き出されて、今更ながらに体に入った切り傷の痛みを感じていた。無理に動かし続けていたせいで、傷は未だに塞がらず、ほんの少しずつではあるが、出血していた。それを自覚すれば、余計に全身に痛みを感じていた。心なしか、眩暈もしているようだ。彼は倒れそうになる体に耐えながら、その場に座り続けていた。
彼の近くでカサカサと草が揺れる音がした。それと同時に、遠くから人の声が聞こえてきている。彼の視界の中でその揺れる草が徐々に近づいてきているのが、彼も分かった。その揺れの原因が魔獣か動物かわからないが、どちらであったとしても、戦わなければ生き残ることはできないだろう。彼はなんとか立ち上がろうとしたのだが、安心してしまったせいで、地面に手をついて体を支えながら立とうとしても立ち上がることはできなかった。腕には力も入らないし、立ち上がろうと足に力を入れても重い体を支えることができない。今は魔法も超能力も使用できる状態ではない。もはや、戦闘になれば抵抗する意味がないほどの力しか出ないかもしれない。
「ゆ、油断したなぁ……」
彼はそう言葉に出しても、体はまだ立ち上がろうとしていた。彼の生き残りたいという意思は消えるはずもない。揺れる草の間から顔を出したのは、小さなイノシシだった。相手の視線は彼の方に向いていて、彼を見つけると同時に彼に向って走り出す。彼はそれを敵とみると、立ち上がれずとも相手の直線的な突進を回避するために、四肢を使って地面を突き飛ばして、何とか体を逃がす。小さなイノシシはそれだけで攻撃を充てることはできなくなる。おそらく、この程度の魔獣であれば、クリスでも対処できるだろう。殺すことはできずとも、この相手を先頭不能にすることくらいはできるはずだ。だが、今の彼にはその程度の力も残っていないのだ。相手の攻撃を回避するのが精いっぱいだった。
イノシシは突進を回避されて、そのまま樹の幹にぶつかった。ぶつかった衝撃で軽く体が後ろに飛んだが、相手はダメージを受けている様子はない。そして、くるりと反転して、彼の方を見た。彼は自身の力で跳んだ先で四肢を投げ出して、今にも気絶しようなくらいに弱っていた。それもそのはずで、とんだ衝撃で、体についた切り傷の一部が悪化しているのだ。衣服にもさらに血がしみこんでいく。もはや、元の色も分からないくらいには血がしみこんでいる。彼の息遣いも先ほどよりも荒く、かろうじて意識があるような状態だ。イノシシは彼のそんな状況などお構いなしに、彼に突進しようと後ろ足で地面を二、三度蹴ってダッシュをしようとしていた。
だが、そうなる前にイノシシは背中から剣を突き刺されていた。イノシシは鳴き声を上げて、それ以上動かなくなる。剣はすぐに引き抜かれ、小さなイノシシはその場に横たわる。
「メートお兄ちゃん!」
イノシシを倒すのとほぼ同時に、倒れた彼に駆け寄る小さな人影があった。その少女はクリスであった。
「メートお兄ちゃん。大丈夫?」
クリスは心配そうな表情で、彼に駆け寄った。クリスは彼に近寄ったことで、彼が重傷だということに気が付いてしまった。全身血まみれで、彼女から見れば、どう考えても助からない大怪我だろう。彼女は必死に彼の名前を呼んでいる。彼は反応を返しているが、その声は弱弱しい。
「これは……」
クリスが大声で彼の名前を呼び始めたことで、イノシシを倒したカオウが近づいてくる。クリスの後ろから彼の姿を見ると、彼は眉をひそめた。彼の眼にも重傷だとしか映らない傷らだけの体。弱弱しい息遣いが、さらにその印象を確かにしている。カオウとクリスの後ろから、ジャスを先頭に他の穏やかな森の村の警備隊が出てきていた。集まっている数は十数人だけで、それが村の警備隊のほぼ全員である。そして、彼らもメートの姿を目にすると、痛々しい目を向けるものや、目や口に手を当てるものなどがいた。警備隊のどの人間も彼が重症であることを疑わない。そして、彼にそのつもりがなくとも、警備隊の面々は彼が村の為に命を懸けて戦ってくれたのだと感じている。警備隊の数人はすぐに彼を村へと運ぶために、彼をこの場所から動かそうとしたが、カオウがそれを止めた。
「村の英雄を、この森の放置しろっていうのか!」
「違う、そうじゃない。傷が塞がってないんだ。このまま動かしたら血が噴き出てくるかもしれないんだ。まずは止血の為の薬が先だ」
彼はそういって、腰のあたりについていた布袋から緑色をした液体を取り出した。そして、クリスの方へと手を出すと、クリスは白い清潔そうな布が何枚か重なっている物を差し出した。その一枚を手に取り、布に緑色の液体を垂らしてしみこませる。布は深緑色に染まっていく。そして、ある程度しみこんだところで、それを彼の幹部にくっつけた。もちろん、服の上からではなく、肌に直接つけたのだ。彼はその液体が傷に染みるせいで、小さなうめき声を漏らしていた。




