6
戻った頃には、6時間目が始まっていた。
学校は活気に満ち満ちて、そこかしこからかん高い声が聞こえる。
駐輪場に置かれた台車には、パイプ椅子が重なっていた。
雫は突然、その台車を蹴り飛ばし、パイプ椅子は音を立てながら散らばった。
しかしその音は文化祭準備に負け、あえなく霧散した。
雫はその音の余韻が散らばるまで、ジッとそれを見た。
すると、彼女の不安容量がオーバーしたのか、校舎の方を振り返り、吐いた。
僕はただそれを黙って見つめる。
酸っぱい匂いが立ち込めた。
雫は吐きながら、その色を、匂いを、現実を、認識している。
咄嗟に、僕は喉に指を突っ込みながら、ゲロ臭を思いっきり吸い込み、盛大に貰いゲロをした。
雫が唖然としてこちらを見つめるので、僕も目を合わせた。
二人して吹き出し、大笑いする。
ああきっと、雫はこう言う幸せを求めていただけなのだろう。
僕は雫の口元に垂れたゲロを拭く。
雫は僕の指を一本一本確かめるように触った。
体育館では、僕らのクラスが演劇のリハーサルをやっているらしい。
演者の通った声が響く。
僕は体育館裏から必死に笑いを堪えた。
何がおかしかったのか、自分でもよくわからない。
でも、学校で1番笑いが込み上げてきた瞬間だった気がする。
雫は、暇だーと呻きながらしゃがみ、近くの蟻をライターで焼こうとしている。
なかなか上手くいかないらしい。
まだまだ6限は終わらないだろう。
ふと、不謹慎な考えが浮かんだ。
「雫。」
「なーに。」
「黒板におっきく、なんか書こう。」
「なんかって?」
「雫のセンスに任せる。」
雫はしばらく俯いた後、僕にタバコを一本差し出した。
僕はそれを受け取り、咥えた。
雫は立ち上がり、彼女の咥えたタバコを僕のタバコとくっつけた。
中々火がつかないタバコを、焦ったそうに眺める。
僕の咥えたタバコから、煙が出る。
雫は僕のタバコから、自分のタバコをパッと放し、生気を放出するみたいに煙を吐く。
僕もそれを真似しようとするが、よくわからない。
大きく息を吸い込み、むせた。
「じゃあ、お元気で!って書く。」
「いいじゃん。」
僕らは互いの顔も見合わせず、だけど同時にタバコを落とした。
ドアをゆっくりスライドさせ、教室に入った。
窓際から照らされる光と、廊下側の薄暗さが教室を二分している。
後ろの黒板に書かれた、文化祭まで後1日の文字は、どうやら廊下側らしい。
隣の組もリハーサルで、辺りは思ったより静かだ。
雫は教壇に座り、白いスケッチブックを前にした画家さながらに唸っていた。
僕は教室の最後列の真ん中の席に座った。
しばらくして雫は立ち上がり、おの文字を書き始める。
雫はチョークの嫌な音を鳴らしながら、豪快に一文字ずつ描いていく。
黒板一面に描かれたその字は、何処かで見たような拙い字だった。
でも、少なくともこの学校の誰にも出せない味があった。
こちらを向いた雫は、満足げに笑う。
そして後ろの黒板を見て、不気味に笑った。
黒板に向き直ると、再びチョークで描き始める。
下の元々ないスペースに書いているから、歪な字になっていた。
僕は、自虐することでギリギリ保っていた僕の人生の輪郭を、どこかで蔑んでいた。
雫がいなければ、這いつくばって大事に大事に、その輪郭をぼかさない様に生きたんだろう。
台無しにするよ、お気楽様!
だからその文字に、僕の胸は空いた。




