表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/10

10

 幅一人分程度の階段を、僕らは二人並んで降りた。

所謂恋人つなぎをしているが、お互いの手は冷たく、汗で湿っている。

一歩ずつ階段を降りるにつれ、雫の手に力がこもる。

すぐ右にある襖に向き直り、雫は息を整えた。

雫の手を握り返すと、彼女の強張った表情が僕の方を向いた。互いの目が合う。

彼女の眼には、もはや夜の海のような暗さも深さも無くて、透き通った藍色の魂が見えた。

それはもう、少年誌でも青年誌でもよくある、普遍的な魂だ。

僕は目を細めて、涙袋をぷっくりとさせた笑みを浮かべた。

それは僕の醜い心の発露だったが、雫ははにかんでそれを決意へと変えた。

雫が恐る恐る襖を開けると、そこには食い入るようにテレビを見る老婆と、長机に突っ伏した髪の長い女性がいた。

老婆はこちらをチラリともせず、落語番組を真剣に見ている。女性はピクリともせず、死んでしまったように動かない。

二人とも僕らの存在を感知しないように、ただ状態を継続させていた。

「・・・おかあさん。」

雫はひねり出したようなか細い声で呟く。

母親と思しき女性は動かない。

「・・・おかあさん。」

もう一度呟くも、やはり動かない。雫は動植物をいつくしむ様に、柔らかい顔で、唇を口の中へ巻き込んだ。

「あーははははははははは!!」

老婆が大声で、急に笑い出す。

僕も雫も、突っ伏していた母親さえも、背筋が伸びた。

雫の母親は起き上がった反動で、顔を守るように細い腕をクロスさせ、体を震わせている。

「・・・おかあさん」

さっきと同じトーンで、雫がつぶやく。

老婆の悲鳴のような笑い声で、隣りにいる僕にも微かにしか聞こえなかったが、雫の母親には聞こえたらしい。

僕らを見つけると、包容力のある笑みを浮かべた。

「雫・・・どこかにいくの?」

「うん。」

雫は僕の顔に視線を移し、雫の母もそれにつられて僕を見る。

雫の母は雫に似て整った顔立ちをしていたが、青ざめた唇と目の下に深く刻まれたクマが目立った。

全身から自傷癖の香りがする女性だ。

「・・・雫をよろしくね。」

老婆の狂った笑い声が響き渡る中で、透明な声が届いた。

僕はコクリと頷くばかりしかできなかったが、母親は満足したようにまた突っ伏した。

それを見届けて、雫は僕のシャツの袖を引っ張った。

それに促され、僕は逃げるように家を出た。


 外に出ると辺りはすっかり真っ暗で、電柱の明かりが頼りなく揺らめいている。

空を覆う雲は僕らから月を奪い、彼方に見える雲の果てが僕らを誘う。

あそこにたどり着けるのは、僕らがまだ、幼稚な未成年であるからに他ならない。

互いの汗が混ざり合った手を放し、彼女は果てを指さす。

「あそこに、なにがあるの?」

「分からないけど確かなのは、あそこにあるものがきっと僕の全て。灰色の薄汚れた魂だ。見つける、きっと君を見つける。全部、全部、僕は取り戻すんだ。世の中はいつも、無気力に回る。僕はこの腐った輪廻を、断ち切るんだ。鮮烈で咲き切らない美しさこそ、救いであるはずなんだ。なぁそうだろ。」

「じゃあ、早くいかないとね。」

雫は石階段を降りて、僕の自転車の荷台に座った。

僕は石階段をひょいと飛び降りて、自転車に跨る。

雫の体温が、背中全体に伝わる。

雫の間の抜けた、しゅっぱーつ、と言う掛け声で僕は自転車をこぎ始める。

雫の家はどんどん遠のいて、いずれ見えなくなる。

雫の物語はこれで終わり、僕の物語もすぐに終わる。











評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ