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新生  作者: 髙倉 壮
8/13

濡れ衣


水曜日は残業は禁止されており、

残務は翌日以降にまわし、

定時で上がることになっている。


予定通り四時半に支店に戻った諒子は、

営業部員が外回り中にかかってきた電話の内容が記されているノートをぺらぺらと捲った。

仕事をソツなくこなす諒子へ問い合わせや苦情の電話はいつも少ない。

今日もいつも通り電話は他の部員宛のものばかりだ。

残ってしなければいけない面倒な電話もなさそうだ。

今日も定時にあがれると思い、ノートを閉じようとした時、

最後の行に「荒幡宛」と書かれた文字が目に留まった。


電話の先はシラキ産業と書いてある。


シラキサンギョウ――。


諒子の目がその文字を追うより先に、

体を痺れが駆け巡った。


用件のところには、「ハンカチを忘れていったから、いつでも良いから取りに来くるように」と書かれていた。


     *


「荒幡さ、昨日残業してたろ? しかも遅くに外回りはまずいぞ」


翌日木曜日、外回りから支店に戻る電車の中で、たまたま一緒に乗り合わせた三つ先輩の清水幸助から諒子は思わぬことを問われた。


「昨日ですか?」


「今朝、課長が小山さんから報告を受けて渋い顔してたぞ」


「小山さんって預金課長の? わたし水曜は必ず定時に帰るようにしてます」


「小山さん家が桜木町でさ、一杯飲んで帰る途中に坂の上の会社に入っていくお前を見たって」


「人違いです」


「戻ったら課長から言われると思うから、一応伝えとこうと思っただけだ、おれは」


 支店に戻ると営業課長の渡瀬は、諒子を頭ごなしに咎めることはなかった。

小山も酒によっていたことだし、

他人の空似など世間に溢れていると、

諒子に理解を示した。


 

 その晩、諒子はまた夢を見た。

白木産業の作業場の奥にある部屋で白木竜男に犯される夢だった。

白い大蛇に体の自由を奪われて、

最初は抗っていたものの、

そのうちに抗う気も失せ、

白木のするがままに任せていた。


まるで蒸しだされているかの如く暑い部屋の中で、それ以上に諒子の体は熱く燃えていた。


諒子が一糸纏わぬ姿で白巻を受け入れているのに、

白木は白いシャツを着たままであるのが、

諒子には目が覚めてもなお許せないことだった。


 

 諒子が男との交わりに悦びを感じることができる女とそうでない女がいることを聞かされたのは大学一年の頃だった。


大学生になって最初のゴールデンウィークに、

サークルのキャンプに参加した。

二泊目の夜、一年生の女子で一泊目の夜に先輩と寝た一人の女子がそのことを酔いに任せて得意げに話していた。

インカレで大きかったそのサークルは一〇〇人以上部員がいたが、

諒子の親しくなったグループは皆高校生や中学生の時にそれを済ませているような女子ばかりだった。

それもあって、昨晩の情事を驚いたり嫉妬したりする空気はなく、

逆にその話を契機に互いの性についての暴露話が、酒の力も手伝ってか、

夜空に咲く花火のように次々に打ち上げられた。


その中で、それを苦痛に感じたり面倒に思ったりする友人もいることを知り、諒子は甚だ驚いた。


恋人が望むから仕方なく付き合っているが、耐えて時間が過ぎるのを待っているという友人の話を聞いたりすると、

もしかすると自分は異常な域の女なのではないかと秘かに悩んだ。

しかしすぐに愉しめるだけ愉しめば良いではないかと思い直した。


 一度その快感を知った諒子が満足していたのは大学一年の頃までだった。

 その後、自分の体には快感を閉じ込めた部屋がいくつもあり、

女である自分はその扉を自分自身で開くことは出来ず、

誰かがその扉を見つけて一つ一つ開けてくれるのを、

待つしかないのだということを、諒子は悟った。


周囲から美人と持てはやされ、

男好きのするスタイルの諒子に男子学生たちは群がった。


男子学生の圧倒的に多い理系の大学に進んだこともあり、

彼女には常に数人の男がいたし、

男たちもそれを知っても彼女を責めたりはしなかった。


しかし、今まで諒子を抱いた男たちは、彼女の部屋の扉を二つ三つ開けるだけだった。

同世代に飽きて、

付き合う相手がずっと年上の男になっても、

経験豊富な男たちも迷路のような諒子の奥に深く踏み入って来る男はいなかった。


 男たちに抱かれているとき、掌で転がせる程度の快感を見止めながらも、自分と男を水槽の中の熱帯魚を観賞するように冷ややかに見ていた。


       

            つづく



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