この世界との不和
諒子の世界は彼女にとって容易いことで溢れていたが、逆に心惹かれることには乏しかった。
わたしの生きるべき世界はここではないのでは――。
諒子が漠とそう考えることが増えたのは、そのせいだろうか。
胸踊り血沸くなどという感情にも出会ったこともなかったし、
その代わりに何かが上手くゆかなくて途方に暮れたり、
胸が悲しみで満たされることもなかった。
銀行の選考の筆記試験は驚くほど簡単だった。
唯一の収穫といえば、
銀行員は中学レベルの計算ができれば勤まってしまう仕事だという発見をしたことだろうか。
面接官は専攻や研究題材などをアリバイ程度にかすめるように訊いた。
彼らは諒子が研究した理論物理学のことなど全く分からない。
志望理由は一般的な就活生が言うことにちょっとスパイスを添え加えて置けば、相応に面接官には聞こえるようだった。
それ以外、毎日新聞に目を通していれば答えられる雑談レベルの質問しかぶつけて来なかった。
「キミ、営業向きだねえ」
何回目かの面接で、何を聞いても一向に動じずに迷わず正答を返す諒子に、
人事課の若い行員にそう言われてからは、
横港銀行の採用はスムーズに進んだ。
「気を落とすことはないよ。君が一番優秀だったよ。何人も面接しているとそういうのはすぐに分るんだ。」
簡単な質問にいちいち難しそうな顔をして考え、陳腐な答えしか言えない学生たちと椅子を並べた集団面接とやらは、諒子にとっては実に面倒だった。
退屈な選考を終えて、疲労を漂わせて歩く諒子に、
面接官を務めた色白で細身の行員は、
学生たちを面接会場から送り出す時、
諒子だけに聞こえる声でそう言った。
そして
「銀行マンは、いいスーツを着たほうがいいんだよ」
自分のスーツの裏地を自慢げに見せた。
女の子スーツも良い店を知ってるから入社したら紹介すると自分の名刺を渡し、彼は少し緊張気味に笑った。
裏には携帯のアドレスが書いてあったが、
諒子は礼を言って涼しく笑ったが、会場から出て破いて捨てた。
「会社の仕組みとか財務のこととか、入ってから充分勉強する時間はあるから、じっくりやってください。
荒幡さんはすぐに営業に出てもらうかも知れないけど、心配要らない」
人事部長との次の面接で言われた。
確かにわたしはどんなことでもあんまり困ったことはないけど、社会に出ても今までのノリでやっていけるのだろうか。
でも困ったら銀行なんて辞めてしまえばいいだけのことね。