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黒い結婚  作者: 千東風子
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下 ~ 夫・それから ~

 

 油断していたわけではない。

 相手が上手(うわて)だった。


 王都へ向かう途中で襲撃された。

 護衛騎士の半数が相手の手の内だった。

 王からの招集もこうなれば本当かどうか怪しいが、既に時は遅しだ。

 応戦する間もなく、馬車は崖へと突進した。


 自分はいい。

 戦に身を置いてきた自分は、いつか命を無くす側になることを覚悟して生きてきた。

 息子(後継ぎ)も既に育ち上がっている。


 傾いた馬車の壁に妻の身体が打ちつけられた。


 政略で仕方なく相愛の婚約者と別れて嫁いできた妻。

 隣国の侯爵家の血を引いているというだけで、いいように使われてしまった妻。


 思わず手を伸ばして抱き締めていた。







 貴族というのは特権階級のようで、ただの国の奴隷だ。


 辺境を守る伯爵家の嫡男として生まれたこの身は、衣食住や教育は何不自由なく与えられた。ただ、自由がなかった。自分の意思を持っても、個人より家を国を優先しなければならなかった。


 結婚はその最たるものだった。


 気持ちを向けた女性は従兄弟の幼馴染みで、やがて従兄弟と婚約した。

 二人の間に入る隙間もなかったが、辺境伯家として自分が彼女に求婚する理由もなかった。

 好いた、だけでこの身の伴侶は選べないのだ。


 だが、心は彼女を求めて、奥底で気持ちが膨らんで育っていった。いくら無視をしても枯らそうとしても、抜いても抜いても次の日には背丈まで伸びる雑草の(ごと)きしぶとさで、心に棲みついていった。


 騎士として戦に身を置くと、興奮状態から気持ちも身体も(たか)ぶった。


 発散するために女を抱くことが多かったが、まるで排泄するような行為だったと自分でも思う。

 必要がなければ女を抱く気にもならないし、よく騎士団の飲み会で聞こえてくるような、お互いが求め合う(とろ)ける行為など想像も出来ない。自分は、恐らく何か人間という生物として大切なものが欠けているのかもしれない。


 そう思っていた頃、政略結婚で妻を得た。


 隣国の『悪辣姫』の孫にあたる妻。隣国の貴族女性が誰も辺境伯家へ嫁ぐことを是としなかったため、その血を引く妻に白羽の矢が立ったのだ。

 幼馴染みと婚約を解消して、ただその身に宿す血とこの辺境伯家の血を引く子を産むためだけに嫁いできた。


 ()()に辺境伯に嫁ぐに足る理由があれば、妻のようにあっさりと婚約を解消して嫁いできたのだろうか。


 そんなありもしなかった未来を妻に重ねていたことは否定しない。


 妻を大切にしたかと聞かれれば、そうだと答える。

 愛そうとしたかと聞かれれば、否と答える。


 昂ぶる身体を思いのままぶつけるのは外で済ませ、妻は出来るだけ丁寧に抱いた。


 ほどなくして子を宿した妻は、情緒が不安定になった。

 医師や侍女から細かく報告を受けるが、自分に出来ることはなかったから、専門家たちに妻を任せた。


 ただ、寄り添う。

 そんな選択肢を自分は知らなかった。


 妻は息子を産んだ。

 家門特有の紫の眼をした子だ。

 出産は壮絶で、医師から次子の妊娠は最低三年はあけるようにと進言された。


 そんなに命を削っているのなら、もう子は要らない。一人いればいい。もしも子に何かがあっても、一族はたくさんいる。


 子を作らなければ閨を共にせずともいいだろう。

 妻も、強制的に嫁いできた男に子を作るわけでもないのに抱かれたくもないだろう。

 幸い性欲のはけ口は夜会でいくらでもある。


 そんな時、叔父と従兄弟夫婦が内密の相談があると領主館を訪れた。

 叔父は医師だ。息子である従兄弟を診察したところ、子を持つのが非常に難しいことが分かったという。養子も考えたが、従兄弟は自分の血を引いていない子ならば妻の血を引く紫の眼をした子が欲しいと訴えた。


 正気かと思った。

 従兄弟は、自分が喉から手が出る程欲しかった彼女を妻として手に入れておきながら、自分に彼女を孕ませろと言ってきたのだ。


 そして自分も正気ではなかった。

 彼女を抱ける。

 無理矢理ではない、求められて抱けるのだ。

 そして自分の子を産むという。

 従兄弟の子として育てられるが、この世に自分と彼女の血を引く子が誕生するのだ。


 それはとてもとても甘い夢だった。


 夫以外に抱かれる背徳感からか、(もだ)える彼女はひたすら素晴らしかった。

 一晩中精を注ぎ、朝を迎えると陽の下に彼女を連れ出した。

 誰にも見つかってはならない秘密の関係だが、この庭は領主の部屋からしか出入り出来ない専用の庭だ。

 明るい庭を二人で歩き、かつて夢見た彼女との未来が叶ったかのような錯覚に酔いしれた。


 この庭は、領主()()の専用の庭だったというのに。

 自分は完全に浮かれていたのだ。


 そして彼女が妊娠すると、自分の中の思慕も昇華していった。

 彼女は自分に身体を許したが、それは紫の眼をした子を産むためだ。愛する夫の願いを叶えるために、その身を犠牲にして我慢したのだ。


 いくら人として感情に疎くても、何度か抱いていればソレは分かった。

 彼女が愛しているのはあくまで夫である従兄弟だ。


 ようやく、彼女への愛というか執着が終わりを迎えた。

 とても清々しい気持ちだった。


 ある夜。

 馴染みの未亡人と個室で(コト)に及ぼうと思ったが、お互い気が乗らずに夜会に戻った。

 すると、いつもは当たり障りのない友人たちと談笑している妻の姿が見当たらなかった。


 先に帰ったのかと思っていたら、妻は男と個室から出てきた。

 男女が個室に入り行うことなど一つだ。

 自分が誰より知っている。


 しっとりと熟れたような肌の妻は、男と意味深な視線を交わしていた。

 それは、今回が初めてではないことを見せつけていた。


 頭が沸騰した。


 気が付けば妻の手を引き強引に連れ帰り、頬を打って罵倒していた。


 裏切られたと怒りに震えた。


 だが妻は、静かに言った。


 ちゃんと(あなた)の子を産んだではないか。

 なぜ頬を打たれなければならないのか。


 あなたと同じことをしているだけ。

 でも、私はあなたのように婚外子を持ったわけでもないのに、あなたが私を打つ理由が分からない。


 と。


 婚外子。

 妻に知られていることに動揺した。

 ……あの庭を歩く姿を見られたことは間違いないと今更ながら気が付いた。夫である自分と従兄弟の妻が早朝に二人でいる理由など察してあまりあるだろう。


 そして、従兄弟夫婦に紫の眼をした女児が誕生した時、連名で祝いを贈ったのは妻だ。

 誰の子かなど、分かりきっていただろうに。


 それからは顔を合わせればお互いの不貞を当てこする日々だった。

 妻が選ぶのは剣も持ったことがないような優男(やさおとこ)ばかりだった。元婚約者も学者肌の男だった。


 騎士である自分は当たり前だが男の中でも身体がしっかりしている。本当に自分とはただの政略結婚で、妻の好みから遠く離れているのだと思い知った。


 歳を経て若い頃と比べてもうそんなに性欲もなく、昂ぶりを抑えられないこともない。

 だが、妻が他の男に抱かれていると思うと、無性に腹が立ち、その苛立ちを女たちにぶつけるように抱いた。


 もう、やめ時が分からなくなっていた。


 女たちへの対応もおざなりになり、抱いた女に強請(ねだ)られるまま、女と結託していた商人に勧められるまま次々と贈り物をした。

 高価なだけの不思議な物たちはすぐに換金されていることも知っていたが、どうでもよかった。

 ソレらを妻から自分の趣味嗜好だと思われているのは我慢ならなかったが、何度が売られた変な物たちを妻が買い取って館に飾っていたのは、正直妻の関心が自分に向いていると思い、(たぎ)った。


 自分でもおかしいと思う。


 自分は妻とどうなりたいのだろうか。

 妻は自分にどうして欲しいのだろうか。


 不貞、という面では先に裏切ったのは自分だ。

 だが、自分の昂ぶりをそのままぶつければ、妻は壊れていただろう。

 自分としては本当に身体の汚れを落とすために湯に入るくらいと同じ行為なのだが、妻が同じことを言ったら、「では自分が抱く」と言うと思う。我ながら勝手だ。


 息子が二十歳になったあたりで辺境伯の地位を譲ろうと思っている。


 戦いから離れ、社交界から離れ、やり直すことは出来なくても、妻と死ぬまで共にいることは出来るのではないか。


 隣国との関係が緊張していく一方で、妻は館に帰らず愛人のところに入り浸り、離縁の準備をしている。


 離縁は別にしてもいい。

 ただ、妻と離れたくない。

 どうすればいいのか分からない。







 何年ぶりだろうか。

 二十年ぶりくらいか。

 落ち行く馬車の中で自分の腕の中に収まった妻は、とても小さく、細かった。


 驚いて見上げてきた妻と目が合った。


 そうだ……。

 妻の眼はとても綺麗な麦穂の色だった。

 知っていたはずなのに、まるで初めて知ったかのような新鮮さがあった。


 この高さから落ちたらまず助からない。

 そんな時にこんなことを思うなんて、自分で自分が面白かった。


 この女性が、自分の妻なのだ。


 妻の眼に最期に映るのは自分。

 自分が最期に見るものが妻。


 悪くない。

 それは、悪くない。

 むしろ最高だ。


 妻が静かに目を閉じた。

 蕩けるような気持ちで唇を重ねると、一つに混ざり合うような愉悦を感じた。


 この気持ちに名前など付けなくていい。


 そうして、自分はこの世から旅立った。

 妻と共に、妻の手を離さずに。







 後年、二人の息子の後妻が、部屋の改装の際に先代辺境伯夫妻それぞれの手記を見つけた。


 領主夫妻の私室に別々に隠されていた手記を一気に読んだ後妻は、ため息と共に呟いた。


「自分勝手に病んで歪んだ両片思いで死んじゃったってこと? はあ……こりゃまわりはマジしんどいわ。夫の両親は夫の百万倍言葉足らずって……。え、あの人はまだマシだってことなの!? あれで!?」


 その勢いのまま、執務室にいた夫に「私たちも手記つけてみる?」と提案してみた。


 見つかった手記を書いた二人の息子であり、六人の子の父である辺境伯は、真顔で一冊の辞書を妻に差し出した。


「辞書? ……ん? ん゛?」


 妻が数ページめくると、それは辞書ではなく、紛れもなく辺境伯の手記だった。

 最初のページは辺境伯が十三歳の頃から始まり、最近は妻と子どもたちへの愛情が繰り返し書き記されていた。


「もうあるなんてズルいヤツ……」


 そう言って、顔を真っ赤にして辺境伯を見上げた妻は、『プツン』となり『スン』と更に真顔になった辺境伯に寝室に連行され、二日間出てくることはなかった。







「しょうのない子ね」


「しょうがない奴だ」


 クスクスと笑いながら風に乗せられた言葉は、お互いの吐息しか聞こえない現辺境伯夫妻の耳にはついぞ届かなかった。



読んでくださり、ありがとうございました。


あらすじに書いたとおり、重いしスッキリしないお話ではありましたが、いかがでしたでしょうか。

仲が悪かった、と一言で書いた二人の人生でした。

恋としては叶わなかったけれど、次代を繋ぐ役割は果たした二人。今、風に乗ってどんな気持なのか、是非想像していただければと思います。


救いがなさ過ぎて、最後はシーヴさんに助けを求めてしまいましたが。(^_^;)


お付き合いいただき、ありがとうございました。

m(_ _)m


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