売られた指輪
今日も仕事を終え、帰路につく。SNSを見ながら電車に揺れる。うわ、炎上してる配信者がいるな。
『この度、わたくしの軽率な行動により皆様に多くの誤解を招いてしまい、申し訳ありません。今後もシェミーとして皆様に楽しんでいただけるコンテンツを提供していきますので、今後ともよろしくお願いします』
どうやら他のバーチャルライバーとの関係性でよろしくないことがあったようだ。リプライには今後も応援しているやら、俺はまだ怒っているやら、雑然紛然としたメッセージがいくつもぶら下がっていた。俺はあまり興味はないが、一週間ほど経っても収まらないようで、悪い意味で盛り上がっている。みんな小さなお姫様に期待し過ぎてるんじゃないか?そんな記事を見ていると、自宅の最寄駅へ到着する。
電車から降りて、自宅までのそのそと歩いてると、ときどき立ち寄っている中古ショップが見えた。
「なんか立ち読みしてから帰るか」
あの格闘漫画シリーズは何巻まで読んだかなと思い出しながら店に入る。スマホで読んでもいいんだが、やっぱり紙の感触がいいんだよな。ただ、何冊も本を並べる場所があるわけではないので、こうやって中古ショップで立ち読みをしているわけだ。世の空間があるオタクたちは、祭壇なんていう推しを祭り上げる場所まであるらしい。祭壇を作れるオタクが羨ましいぜ。
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入り口のガラス扉にはいくつか貼り紙が貼ってあって、「今月の高額買取フィギュア」といったものや「盗品を持ち込んだ場合は警察に連絡します」なんてのもある。その中に「店長不在の場合、買取査定に数日かかる場合があります」と書かれた張り紙が貼ってあった。こんな張り紙あったかなと、記憶を辿る。買取査定に来たのにすぐにできなくてクレームを受けたのかもしれない。古物商界隈は詳しくないが、査定できる店員が一人なのは厳しくないか?
古びたガラス扉を押し開けると、上に付いたドアベルがチリンと俺の入店を知らせる。それに気づいたレジの店員――暇そうに漫画を読んでたな――が、お客様向けの口説き文句を言おうとした。
「いらっしゃいま……おう、お前か」
俺だと分かった瞬間、店員の顔が友人の顔に変わった。
「お客様をそんなにぞんざいに扱うなよ」
「いいじゃんか、他に誰もいないしさ。今日は何か買いに来たのか?」
「いや、暇つぶしに立ち読みに来ただけだ」
「そんなやつお客様と呼べるかばーか」
とかなんとか言いつつ、こいつは俺が立ち読みの常連であることを知っている。というわけで、俺は目的の漫画を探しに行こうとすると、呼び止められた。
「そうだ、今日は謎解きを手伝ってくれよ」
「俺は立ち読みをするのに忙しいんだ」
「まあまあそう言わずに。 これは緊急事態なんだ」
緊急事態という雰囲気を微塵も感じない口調で言った。しょうがない、最近遊んでなかったし、たまには付き合ってやるか。
「それで、何が緊急事態なんだ?」
「今日はこんなものが入ったんだ」
そう言って、店員は買取カウンターの傍らから手のひらサイズの箱を持ってきた。側面が角丸になっている木製の直方体で、箱の蓋には1cmほどの縁をとってガラスの天窓が張ってある。縁にはなにやら筆記体で名前らしきものが掘られているが、達筆過ぎて読めやしない。天窓からは、指輪を飾るクッションと、綺麗な装飾が施された指輪が覗いていた。
「なんだ、宝石も取り扱い始めたのか?」
「いや、基本漫画やアニメグッズばっかりよ」
新商品を取り入れたのかと思って関心したが、どうやら違うようだ。どう考えても場違いだとは思うがな。
「じゃあなんでそんなものがあるんだよ」
「それがよ、変なお客さんが来て、これを売りに来たわけよ」
「へぇ、いくらなんだ?」
「アルバイトの俺が値段付けられるわけないだろ」
「売れてもないのにここにあるのか? なぜ」
「まあまあそう焦るな。 これから経緯を説明してやる。 どこから話し始めようか、そうだなぁ……」
そう言って、この指輪を売りに来たお客さんのことを話し始めた。
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そうだなぁ、それは今日の昼頃だったかな。平日の昼間だからか特に客もいなくてな、暇でしょうがなかったのよ。だからレジの中で漫画読みながら暇つぶしてたわけ。そうしたらチリンって音が鳴ったから、こんな時間にお客さんが来るなんて珍しいなって思ったね。メガネをかけてヒンソーな、いかにもオタクって感じの風貌のやつがキョロキョロしたと思ったら、そのまま買取カウンターまで来たんだ。俺と目を合わせないように話しかけてきたんだが、今思えばコミュ障というより落ち込んでる感じだったなぁ。
「あの、今日店長さんはいますか……」
喋り方も覇気がなくてよ、いつもああなのか、今日に限ってそうなのかは知らんが。
「店長っすか?」
「ええ、あの、追加で買い取りをお願いしたくて……前は店長さん、いたんですけど」
外の張り紙を見たらしい。お前も見たろ、店長がいなかったら査定遅れますってやつ。前は査定できる人がもう一人いたんだが、やめちまってな。いないときに来られても困るから張り紙を出したのよ。もちろん俺は査定できないから、断ろうとした。
「ああ~、すんません、今日明日はいないんすよ」
とりあえず申し訳なさそうに平謝りしておいた。
「じゃあ、置いてくので査定お願いしてもいいですか?」
「いいっすけど、数日預かることになるっすよ?」
「え、えぇ、大丈夫です……持っていたくないので……」
「じゃあこれ、名前と住所書いてください。あ、あと免許証か何か持ってます?」
買取カウンター横にあるA5の買取票――名前とか住所とか書いてもらうやつな――を渡して、免許証も出してもらって本人確認したね。
「それで、肝心の品物はどれっすか?」
「こ、これです……」
男がおずおずと手提げかばんから箱を取り出して、カウンターに置いたんだ。お前もさっき見た、綺麗な箱だ。もちろん天窓から指輪も見えていて、俺は戸惑った。だってここはアニメ専門だぜ?びっくりして中身を確認したら、指輪には二人の名前が書いてあった。これは結婚指輪だ。
「すみません、ここは宝石は取り扱って……」
そう言いかけたんだが、男は既に帰る準備をしていて、
「あの、置いてくので、分かったら連絡ください」
なんてことを言って、俺の話を聞いていなかったかのようにそそくさと帰って行ったな。
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「妙な雰囲気のやつだったんだな」
「妙なのは雰囲気だけじゃないんだって」
「それで、その客がどうした」
「そいつがどうしてここにこれを売りに来たのか、謎だとは思わないか?」
そんなこと言われても。
「はぁ、知らんが」
「せめてもうちょっと考えてくれよ」
「じゃあ盗品なんだろ」
適当な予想を返す。指輪なんてだいたい価値がある。いくらかのお小遣いにはなるだろう。
「それも考えたんだけどよ、そんなものをこんなところに持ってくるようには見えなかったけどな。 それにほら」
そう言うと、ヒラヒラと買取票を見せる。
「免許証で名前や住所もしっかり確認したんだぜ。 入り口にも注意書きを貼ってあるし、これじゃ捕まえてくれと言っているようなもんだ」
そういえばそうだ。さっき入ってくるときに見た気がする。それに、長時間置いていけば調査されてしまうリスクも高まる。
「なら拾い物……」
「こんな高価そうな落とし物そうそうあってたまるか」
「可能性はゼロじゃないぞ」
「しかしな、もっとありそうな説を唱えてくれよ」
そんなことを言われても、手がかりがなさすぎる。
「そうだな……それなら現物を見せてくれ。 何か手がかりがあるんじゃないか」
「ああ、いいぜ」
蓋を開け、指輪を指先で丁寧に取り上げて、いろんな角度から眺めてみる。指輪は5mmくらいの幅があり、表は平坦ではなくひし形模様がかたどられている。目立つピンク色の宝石は1mm程度のごく小さいものであり、その周りを魔法陣が囲んでいる。指輪の内側には『L.P.C. and YOU Jun.2020』と刻印されていた。
「結婚指輪っぽいだろ」
確かに結婚指輪っぽいが……何か違和感を感じる。
「これが結婚指輪や婚約指輪だとしたら、普通ここに何を彫る?」
俺は指輪の内側を指し示しながらそう訊いた。
「え? うーん、二人の名前とかじゃないか? 実際書いてあるだろ?」
「そいつの名前は『L.P.C.』だったり『YOU』だったりになるのか?」
「ちょっと待ってくれ……いや、買取票に書いてある名前はどちらにも似ても似つかない、おかしいな」
「おかしいのはそれだけじゃない。結婚指輪にこんな風に名前を書くのは不自然じゃないか?」
『L.P.C.』という名前のイニシャルを並べて書くのは変だ。
結婚するんだから名字は同じになるだろう。仮に夫婦別姓が認めらていて、それぞれ別の名字を名乗っているとしても、『YOU』に至ってはただの代名詞だ。
「『ヨウ』って名前の人かもしれないだろ。 陽とか曜とか、いろいろあるじゃん」
「片方がミドルネーム含めてイニシャル表記なのに、もう片方は名前だけフルで書くのか?」
「ぐぬぬ……、じゃあなんだよ、この『YOU』ってのは誰なんだよ」
「英語の"you"は不特定多数の相手を指すこともある」
ここで正しい用法なのかは置いといて。
「だから、この『YOU』というのは指輪の持ち主本人なら誰にでもなりうる」
「二人の関係がどうだったらそんな風になるんだよ」
それが問題だよな……。
「片方が誰でもいいなんて、そっちの方がちゃんちゃらおかしいぜ」
だが、これが普通の指輪でないことは明らかだ。
「いや、そうでもない。 男はこれはここに持ち込むのが一番相応しいと思って売りに来たんだ」
「このアニメ専門店がか?」
「そう、何らかのそういう類の結婚指輪風グッズなんだ。 そう考えれば、片方が『YOU』なのも不自然じゃない」
「ずいぶん高いグッズもあったもんだ」
そうなると、問題なのは『L.P.C.』が誰かだ。
「なぁ、そいつは他にも何か売りに来たんじゃないのか?」
「あぁ、確かにそんな口ぶりだったような……前に店長がいたときに売りに来たのかもしれん。 ちょっと探してみるわ」
そう言ってレジの奥に物を探しに行った。それを待ちながら、俺はまたその指輪を眺める。June、6月はジューンブライドの月だ。結婚なんていつしてもいいが、グッズとして売り出すならこれ以上相応しい月はない。なんて考えていると、探しものをしていた店員が戻ってきた。
「あったぜ。 フィギュアとかブロマイドとか色々持ち込んでた」
持ち込んだものに問題があった場合、すぐに連絡できるように、数日は買取票を付けたまま裏に仕舞っておくそうだ。同じ名前があったからすぐにわかったらしい。
「見ろ、このブロマイドに書いてあるサイン、箱に書いてある筆記体と全く同じだ」
間違いない、このバーチャルライバーのグッズだ。
「えーっと、この子の名前は……」
『リトル・プリンセス・シェミーより 愛を込めて』、ブロマイドにはそんなメッセージが綴られていた。
電車の中で見た記事を思い出す。炎上していたバーチャルライバーだ。略せばちょうど『L.P.C.』と一致する。
「すげーぜお前! ビンゴだ! にしても、なんでこんな急にいろいろ売りに来たんだ? グッズの整理かなにかか?」
問題を起こした有名人に対する向き合い方は人それぞれだが、つまりこの男は……。
「多分この人は、推しをやめたんだろうな」