「蒼の背中」
この作品はすべて架空のものです。
実際の人物、団体名称などには一切関わりありません。
※直接的なものではありませんが、殺人に関する描写が含まれます。ご注意下さい。
さあ、どちらを選ぶ?
オレにその選択を迫ったのは、美しい双子たちだった。
彼らはいつだって一緒にいて、いつだって同じだった。
まるでひとつの魂を共有でもしてるかの様に、完璧な一対。
姿も声も、その声が紡ぐ言葉さえピタリと一緒。互いを見詰める瞳の動きまで、鏡に映した影の様だ。
オレはそれを、うっとりと眺める。
そうすべきでは、なかったのかも知れないけれど。
「アスル」
名前を呼ばれて、オレは頬杖から頭を上げた。
双子たちはいつもの様に部屋の隅で椅子に腰掛け、少し笑ってこちらを見ていた。慌てて席を立ち、声に近付く。
「教えて欲しいんだ、アスル」
双子が言う。
いや、彼らのどちらかがそう声にした。
けれども不思議な事に、それは二人が言ったのだといつもオレは思い込んだ。
二人のどちらかが椅子を引き、自分たちの間に置いた。くすぐったいものを感じながら、促されるまま双子に挟まれて腰掛ける。
「教えてくれないか」
これは左右から、不思議に重なる声で聞いた。
「でも、何を?」
頼られる事は嬉しかったが、オレが彼らより知っている事なんてないと思う。
「君たちは、オレよりずっと賢いじゃないか」
双子たちが、互いの視線を絡ませる。
その後で、二本の腕がオレの髪をぐしゃぐしゃに掻き混ぜた。彼らはどうしてだか、オレのごわごわの頭をよく撫でた。
「アスルでないとダメなんだよ」
「他の人には決められないんだ」
間近で投げかけられる酷く優しい、とろけそうな微笑みに、オレはものを考えれらなくなってコクコクと頷く。熱くなった頬を手の甲で押さえると、左右から密かな笑い声がした。
「さあ、決めてくれ。アスル」
「僕たちは、一体どちらが死ねばいい?」
双子たちは柔らかに笑ったまま、そよ風の様な声で、オレの胸をギザギザに裂いた。
昔、年の離れた兄がいた。
どんな人間だったか、もうよく思い出せない。
善良とも言い難いが、悪人と言うふうでもなかったのだと思う。兄が死んで、何人かは泣いた。
殺したのは、双子たちだ。
理由は知らない。覚えているのは、血塗れで倒れた兄。それを足元に見下ろしながら、血染めのナイフを持った彼。
兄を刺し殺した彼と、そうではないもう一人。
一方は血でぬめる手とナイフの感触に顔をしかめ、同じに不快な表情で返り血を拭ってやるもう一人。
まるで奇妙な悪夢の様だ。そう思った。
やがて粗末な家から飛び出してきた母が、小さな子供でも守る様にオレを抱きしめた。とうに父の背丈を越したこの身体を、必死に腕の中に納めようとしている。戸惑って、その母を見下ろす。
父は、母とオレを背に庇って立ちはだかり、ぶるぶると震えながら双子を罵った。
父の怒りを、しかし彼らは理解しなかった。
ただ煩そうに冷たい眼を向け、それから何かを耳打ちしあう。
双子たちは四つの眼で父を見、母を見、そしてオレを見て、笑った。
くすぐる様な眼だった。
オレはそれを、激しく愛した。
血を分けた肉親より、女を抱いた甘さより、抗い難い衝動で。
双子たちは椅子から立ち上がって、ぼうっと考え込んだオレを見下ろしていた。
「さあ、選んで」
彼らは迫る。選び様のない選択を。
「何を選べと言うんだ」
「簡単な事だよ」
「分ければいい」
二つの顔がクスリと笑う。
「愚かなアスル。兄を殺されたと言うのに、僕たちを愛したね」
「その愛情と憎しみを、僕たちの一方ずつに分ければいいんだ」
「憎しみなんかない」
「あるさ」
あるのだろうか。
この双子たちよりも、顔すらよく思い出せない兄の方が大事なんて事が?
ただ血が同じと言うだけで。
「どうして、そんな事を言うんだ。どうして、君たちのどちらかが死ななくてはならないんだ」
「僕たちは、二人で一人なんだ」
知ってる。
何よりもつながりの強い、完璧な二人。
「ひとつの魂を二人で分ける事はできないんだよ、アスル」
そんな事はあるはずがない。
今までだって、ちゃんとうまく行ってたじゃないか。
彼らは、長い息を吐いた。
「疲れてしまったんだ」
「僕たちは同じであって、同じでない」
「誰も僕たちを見分けない」
「全く同じものとして扱うけれど、そうじゃない」
「少しずつ違う」
「本当に少しだけどね」
「その少しが沢山になって、僕らは同じではいられなくなったんだ」
目眩がする。
ああ、悪い夢だ。
同じものは同じでなくてはいけないのに、好き勝手にどこかへ行こうとしてしまう。
「ひとつの魂で、ふたつの人生は賄えない」
「一人ずつにならないと、もうどちらも生きられない」
「アスル」
重なる声が、撫でる様にオレの名を呼ぶ。
「どうしてオレが……」
「真逆の感情を持っているから」
「愛情と、憎悪と」
「苦しいだろうね」
「さあ、僕たちを一人ずつにして」
選ぶ。
オレが?
命を。
どうして?
生きられないと、二人が言うから。
「……解った。選ぶよ」
「そう」
嬉しそうに、二つの顔が綻んだ。
だけど、とオレは懇願する。
「選べば生きられるんだろう? 一人ずつになりさえすれば、いいんだろう? なら、死ぬ事なんかない」
「それは……」
「許さないよ、きっとね」
「誰が!」
声を荒げたオレに、二人は跪き、宥める様な眼で見上げた。
「君が、許さないんだよ。アスル」
「一人ずつの僕たちを、君は許さない」
確信めいた口振りで、しかし責めるでもなく双子は言った。
理解できなかった。
オレの心を彼らの方が解った様に言うのが、釈然としなかった。
気が遠くなる。
そんなふうに、目の前が暗くなる。
赤黒い染みが、闇の中に現れた。幻だ。承知しながら、それに近付く。
血だまりの中に、男が倒れていた。兄だ。
すぐ傍に、双子たちが立っている。
まるで、うっかり虫でも潰してしまったかの様な無頓着さで、血を拭う。靴の先が触れてしまいそうな近い場所に倒れたものからは、すでに興味を失っていた。
それはまるで、神か悪魔が戯れの吐息ひとつで人の命を取って行く姿に似ていた。
憧れですらない。
崇拝とでも言うべき感情で、オレは二人を許容した。
――許容?
酷い違和感に、その言葉を舌の上で転がした。
何を許す?
どうしてオレは、双子たちを許さなくてはならなかったのだろう。
ならばやはり、憎んでいたのか。
兄を奪われたために?
だとしたら、それを許せたのは彼らが手の届かない、美しい生き物だったからだ。
神でもいい。
悪魔でもいい。
人の範疇から脱け出した彼らなら、この命を取られても許せた。
けれども彼らは、もうそのままではいてくれない。
闇に閉ざされた中に、双子たちの声がどこからか響く。
「知っているかい? 死がどうやって訪れるのか」
「蒼ざめた馬がその背に乗せて、運んでくるんだ」
「蒼は、死を運ぶ色だ」
「アスル。君の名前は、蒼と言う意味だね」
そうか。
ではオレが彼らに死を運ぶのは、当然の役目なのかも知れない。
ゆるやかに、世界が戻る。
椅子に腰掛けたオレよりも低く、床に跪いた双子たちがこちらを見上げていた。
オレは膝の上で拳を握り、それを開く。
そしてもう一度、人差し指だけを残して拳を作った。この指先を向ければ、双子たちはただのつまらない人間になり、そして一方には死が訪れる。
神ではない。
悪魔でもない。
あの日、兄を殺したのはただの人間。
ならば、命は命で贖うべきだ。
ゆっくりと、手を差し出す。
オレの背で運ばれたそれが、音もなく彼の頭を刈り取る様に。
<蒼の背中/了>
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