幕間:クライブ編 ~その十九~
サムライ用心棒は湾刀を立てた。湾刀の刃とクライブの肉体がぶつかる。湾刀がクライブの肩に食い込み、鮮血が散る。
「っっこれは、貴様!」
「ぬう、麿の肉体に傷とは。相当な業物と腕でおじゃるな」
驚愕のポイントが違う。普通は剣と肉体なら、剣が勝って当たり前。刃物を弾く肉体の方がおかしい。
クライブにとっては違う。魔物の牙や爪をも弾いてきたこの肉体。そこらの鎧よりも強固であるという自信はあった。
自信を傷つけられた、傷つけられるだけの相手との邂逅とあっては、クライブが破顔一笑するのも無理からぬこと。鍛えた筋肉をぶつける相手との出会いこそ、クライブの望むところ。
「ヴィンス殿、ユフィ嬢。ここは麿が押さえる故、お二人は」
「いや、退くぞ」
「仕方ありませんね」
逃げた男を追うようにとのクライブの決め台詞は、最後まで口にする前に消し飛んだ。
「どういうことでおじゃるか?」
「外がうるさくなってきています。無念ですがここまでですね」
エルフ族の優れた聴覚は、倉庫の外の騒ぎがどんどん大きくなっていくのを逃さない。
「これだけの人数が救出できた。一先ずはここまでだ」
ヴィンスが懐から取り出した球を地面に投げつけた。衝撃で球は破裂し、広範囲に煙幕が広がる。逃走用の煙玉だ。煙幕が晴れた後、人気のなくなった空間にサムライ用心棒は凶暴な笑みを浮かべた。
遠くに上がる火の手と怒号はここまで距離が開くとBGMにもならない。撤退後は隠れ家に使っている酒場に再集合となり、集まるや否や、今後についての意見を戦わせていた。
直ぐにでも助けに行くと主張するユフィ。
サムライ用心棒を警戒して他の組織とも連携するべき、だと主張するヴィンス。
双方は感情を交えて意見をぶつけ続け、一致することなく料理の皿だけが積み重なっていく。意見をぶつけているのに、声量は酒場の喧騒に呑まれて席の外にほとんど漏れない。
クライブは高タンパク低カロリーのものだけを平らげていく。ユフィたちがクライブの意見を求めない理由は簡単だ。
「麿はユフィ嬢に請われた身。然るに、ユフィ嬢の意見を尊重するのは当然のことでおじゃろう」
そう宣言したからだ。
時間は夜に向かう。上空は既に瑠璃色が広がっており、地平の彼方では太陽の残光を今にも押し倒そうとしていた。
「待て、ユフィ」
「ヴィンスさん?」
「ああ、報告がきた」
ユフィたちが右耳に手を当てる。『エルフの嵐』構成員から、風を使った隠密通信だ。
二人は頷きながら、ときに口を小さく動かしている。何らかのやり取りをしているのは確かでも、通信対象外のクライブは鶏肉を口に運ぶことしかできない。耳から手を離したユフィがクライブに向き直る。
「メイア様の足取りがわかりました」
「奴隷商人が連れて行ったあの子のことでおじゃるか」
「ええ。あの奴隷商人、メイア様を連れて今夜にでもアムニテッシュを出る準備をしているらしいですね。ふ、女神たる我が裁きがよほど恐ろしかったようです」
大奴隷市での売り上げよりも自分の命が大事で、氏族長の息子ほどの商品ならいつでもどこでも売り手がつく、との判断に基づいたのだろう。
「ヴィンスさん」
「ああ、動くぞ」
エルフの戦士の目は、恐ろしいほどに鋭くなった。
少なくとも、暗さの増す空の下で忙しなく足を動かしている三つの人影は、健康のことなど考えてはいなかった。
急転直下、今すぐに行動に移すことになったクライブたちが向かった先、そこはオードリー商会がアムニテッシュに保有する倉庫だ。
殺風景で、そうと知らなければ商人が使っているなど思いもよらない。意図的に薄汚れた作りにしている。人目をはばかる仕事であるのだから、できるだけ目立たないようにしているのだ。
港の倉庫よりも遥かに規模は小さいが、人間たちの動きはずっと慌ただしい。物陰から動きを伺っているクライブたちから見ても、明らかに異常な動きだ。
「離せ!」
「さっさと来い!」
荒っぽいやり取りが潜む三人の耳に届く。元人もエルフも夜目が利く種族ではないので、耳に意識を集中させる。
「わかるか、ユフィ?」
「恐らくはメイア様と、あの奴隷商人でしょう」
「用心棒の動きは?」
「聞こえません」
「お前もか。音や気配を消しているということだろうな」
不意打ちを警戒し、慎重に近付くしかない。腹立たしい結論に手を伸ばす寸前、身勝手な怒りの強い声が届く。抵抗に苛立ったオードリー会長がメイアの髪を引っ張り上げた。
「うぁっ」
「手間ぁかけさせんな! 貴様には買い手がいくつもあるんだぞ!」
まだ幼い子供を暴力的に扱うオードリー会長の顔が奇妙に歪む。抵抗に苛立ったことと同時に、弱者を踏み躙って自己の優位性を実感している。エルフたちの逆鱗を逆撫でするには十分すぎる行動だ。
「メイア様っ。ヴィンスさん、わたしはもう、あの下品な顔、見ているのは限界です」
「同感だ。二人とも、準備はいいか」
「もちろん」
「麿も行けるでおじゃる」
意見の一致を見、三人は動いた。事態が流動的で、且つ急を要する以上、細かな打ち合わせの時間はない。目的を救出する。邪魔するものは排除する。ここに全精力を振り向ける。
『『『!?』』』
オードリー商会の手勢たちは奴隷や金品の移動に力を費やしている。襲撃を警戒していても、商会長の命令が財産の保護だ。商会の人間たちは資産の安全を確保を優先する他なく、急の襲撃に対処できるはずもない。
ユフィの剣が、ヴィンスの剣が、クライブの筋肉が文字通り無双を見せつける。阻むものがあるとすれば、
「!?」
「待っていたぞ」
混乱する襲撃の現場を、一瞬で凍り付かせるだけの不穏な空気を立ち昇らせるサムライ用心棒は、クン、と湾刀を引き抜いた。
「おお、《虎徹》、そいつらを殺せ! 絶対に取り逃がすんじゃないぞ!」
「《虎徹》?」
「ち」
オードリー会長の《虎徹》の言葉に二人の人間が反応した。一人はそう呼ばれたサムライ用心棒。もう一人はクライブだ。
「……確か虎徹とは、東方の武器の名前でおじゃったかな。もしや《スレイヤーソード》となんぞ関係があるでおじゃるか?」
「!? 小僧!」
《虎徹》の殺気が爆発的に膨れ上がる。
「そうか……あいつが敗れたという話を聞いてはいた。その相手が魔法騎士ではなく、騎士学院の生徒に過ぎないと聞いたときは、なにかの間違いだと思っていたが」
切れ味鋭い殺気を受けたクライブは、表情を変えた。
不安と恐怖に彩られ、極々僅かに負けん気が透けている。最初に小さな震えが生まれたのは体のどの部位であったろうか。あっという間に強い震えとなってクライブを揺さぶる。
「ちょ、クライブさん、大丈夫ですか? 負け犬の顔になっていますよ」
「負け犬呼ばわりは酷く心外でおじゃる! 平気ではないでおじゃるが、大丈夫ではあるぞよ!」
「はい?」
クライブの震えの大部分は恐怖による。
かつての敗北。手も足も出なかった完敗。好いた相手を失うかもしれなかった恐怖。
己の無力さを痛感した現実を思い出し、あの日の敗北がクライブを激しく振るわせるのだ。
クライブは両手に視線を落とす。未だ無様に震えている両手は、喩え噛みついても震えを止めることはできないだろう。
震え続ける掌の中に、クライブは自分自身を省みる。あの日以来、ひたすらに積み重ねてきた時間に嘘はない。
恐怖を乗り換える瞬間があると言うのなら、それは間違いなく今だ。
クライブは震える掌を、震えたまま思い切り顔にぶつけた。
『『『!?』』』
派手な音が鳴り響き、ユフィとヴィンスばかりか《虎徹》すらが目を丸くする。クライブが震えの小さくなった手を離すと、顔は真っ赤になっていた。
「そんな……それほどの自傷行為をするほど追い詰められていたなんて、気付かずにごめんなさい」
「違うでおじゃる! ふぅ~~……断っておくと、《スレイヤーソード》を倒したのは麿ではない。麿の尊敬する友人でおじゃる。麿は完膚なきまでに敗れて、地面に転がっておじゃったよ」
クライブの脳裏に焼き付いている映像が、より鮮明、より克明になる。
「無様に転がって、だが今は立ち上がったものと考えているでおじゃる」
「ほう? つまり?」
敗北を心身に刻み付けて、根本から鍛え直した。鍛え直して尚、果たして通用するのかと不安を抱いてきた。訪れた今日。
「今日こそは! 過日の敗北を塗り替えてみせるでおじゃる!」
「叩っ斬るだけのつまらん仕事だと思っていたがな……貴様の友人の話とやらも聞かせてもらおうか」
ユラリ、と《虎徹》の背後の景色が歪む。立ち昇る殺気が見せた幻覚か。クライブは高々と両手を掲げ、勢いよく振り下ろした。軽妙な破裂音を立てて衣類が弾け飛ぶ。
「ユフィ嬢、ヴィンス氏、ここは麿に!」
グッとダブルバイセップス・バックのポーズを決めるクライブ。クライブにとってはポージングは通常行動だが、他からすれば突飛で奇矯な行動だ。
「麿の筋肉、侮るでないぞ!」
過去の恐怖と、過去からついてきた不安を振り払うようにクライブは吠え、突撃した。