幕間:クライブ編 ~その十五~
ミルスリット王国との衝突が続いている帝国軍に所属することには、相当な危険を伴う。実際に命を失う例も後を絶たないが、かなりの数の亜人たちは帝国軍に志願しているという。
少なくとも帝国軍の前線では、亜人への差別感情がほとんどないことも関係している。実際に命のやり取りをしている現場で、人種差別から待遇や配置に差をつけるような真似をしていれば、離間策を掛けられる隙を与えることになるからだ。
差別感情が薄いことと、帝国民として認められること。これらから亜人の帝国に関する感情は、王国に対するものよりも好意的だ。
更に王国の西側には亜人が王位に立つ国、獣王国がある。
獣王国は苦しむ亜人を助けることを国是としていて、王国の内乱規模が大きくなってくると獣王国が亜人解放を看板に介入してくる可能性だってある。
事実として獣王国は二十年ばかり前、不当に虐げられている獣人を保護する、ことを主張して他国と戦端を開いたことがあった。
獣王国の側からすれば至極当然の行動であっても、相手側からすればそれこそ不当な侵略に他ならない。ましてや獣王国は、明確な証拠などなしに、「亜人が助けを求めてきた」と真偽不明の情報を盾に動いたのだ。
他国からの非難を受けた獣王国は、何十人もの亜人を「証人」として立ててきたが、その「証人」の出所すら怪しいものだと王国は睨んでいる。なにしろ「証人」たちは獣王国が用意したものだ。
問題なのはミルスリット王国側に、覆す材料がなかったことである。亜人奴隷を許してきた王国側に立ってくれる亜人などいるはずもなく、獣王国の主張を崩すだけの証拠を揃えることができなかったのだ。
結局、獣王国は「亜人を虐げたことへの賠償」として侵略した土地を獲得、既成事実化した。二十年たった今では、占領地には多くの亜人が入植し、元から暮らしていた元人たちは追い出されているという。
追い出された側は獣王国を激しく憎み、軍事費を必死に積み増しているのは確かな事実だ。
内に亜人、北から帝国、西から獣王国となれば、如何に精強を誇る王国とて持ちこたえられるものではない。同盟を含む近しい関係の東方諸国の出方も不透明になる。
クライブが知識にある通りの王国側の事情を伝えると、ユフィもヴィンスも納得の頷きをする。
同時に懸念もできたといった顔付きだ。
エルフ側の最強硬派は国際情勢にさして詳しくはない。と言うと語弊があるのだが、国際、といっても元人を中心とした情勢が多くなるので、重きを置いていないのである。
とにかく囚われている仲間を救出し、酷く扱う元人たちに制裁をと主張しているだけで、政治や国際情勢や軍事的バランスへの考慮が乏しい。
そこにクライブの意見が伝わるようなものなら、強硬派を間違いなく勢いづかせるだろう。それは国土を焼き尽くすかの戦乱の引き金になるかもしれない。
「そんなことになったら世界が一変するわ」
「エルフ族の大多数は奴隷を扱う貴族や商人を皆殺しにしたいと考えている。だからといって、元人との全面衝突までを望むものはほとんどいない。全面衝突は被害が大きすぎる。いずれはその決断が必要になる時が来るかもしれないが、少なくとも今はまだ、その時ではない」
「クライブさん、魔法騎士団の内情や動きについては、他の誰にも話さないようにして下さい。どんな不測の事態を引き起こすか予想しきれないので」
「おおう、絶対に口にしないと約束するでおじゃる」
厳しい目つきと口調のエルフたち二人に、クライブは頷くしかなかった。迫力に呑まれたといってよい。
魔法騎士を志す身とはいえ、クライブは戦場を望んでいる――――わけではない。華々しい活躍をして英雄になるよりも、筋肉を極めることのほうが重要だ。
筋肉で敵を蹴散らす願望がないではないが、筋肉を見せる相手が減るのも嫌だ。人命を凄まじい勢いで消し潰す戦争など、ご免被る。
クライブ自身に降りかかってくるかもしれない問題もある。
エルフたち亜人は、解放のためなら暴力も人死にも辞さない。中でも強硬路線を唱える一派には、元人との衝突をも辞さない、むしろ積極的に排除するべきだと考える過激派もいる。
王国内では反亜人感情の高まりを懸念して広く知られてはいないが、実際に亜人たちに襲撃され、死亡した貴族や商人の例もある。
血筋や立場的にクライブは亜人迫害側に立つ人物で、下手をすれば、交渉のために強硬派たちに人質として扱われる危険性があるのだ。
ユフィがクライブをひっ捕らえる。そんな行動に出てくるとは考え難いクライブだが、歴史の事実として元人が亜人たちをどれだけ酷く扱ってきたかはよく知っている。そうそうわかりあえるわけでもないのだ。
「双方の関係性にとっても破滅的な状況を招きかねない発言は、現に慎むとするでおじゃる」
「そうしろ。我ら『エルフの嵐』は奴隷解放を第一に考えているが、貴族を殺せる機会があれば殺すべきだと主張する奴もいる」
「おじゃ!?」
「どうしました、クライブさん?」
「いや、今、『エルフの嵐』って言ったでおじゃる?」
「そうだ。我らの組織の名だ。『エルフの嵐』がどうかしたか?」
「ああ、いやいやいや、気にしなくて大丈夫でおじゃる」
「そうか?」
クライブは上質の絹のハンカチを取り出して額の汗を拭く。汗には不安と恐怖が成分として多く含まれていた。さぞかし雑菌が繁殖することであろう。
学院では国際情勢を学ぶ時間があり、他国の軍事力や各地の要衝などの講義の他に、代表的なテロ組織、犯罪組織の紹介もされる。その中に『エルフの嵐』の名前もあった。
『エルフの嵐』は規模が大きく、腕利きが揃っていて、目的のためなら人死にを厭わない傾向があることから、王国からは過激派に分類されている。
作戦によっては他の組織と手を組むこともあり、組む相手の中には元人への報復を最大の目標に据えている強硬派組織も含まれていることも、大きな問題だった。
(あっるぇ? 麿、もしかしてかなり、やばいことに首とか足を突っ込んじまったんじゃない? ユフィ嬢に協力ってことは過激派に協力するってことで、それって麿が過激派になるってことぉ?)
クライブの筋肉質な腕に抱えられた頭の中では、グルグルと思考が回転していた。
貴族令息や魔法騎士候補としての立場、過激派へと落ちた己の姿、それまでの仲間だったマルセルたちの姿が遠のき、代わってユフィの姿が大きくなる。「うーむ、うーむ」と悩むこと十秒。
「ま、いいでおじゃる」
上がったクライブの顔はケロリとしたもので、考えることを諦めた清々しささえあった。筋肉道を究めることができるのなら、己の立ち位置などは二の次以下だ。
過激派になればニコルとの距離が大きく離れることは、この時点では考えにほんの一欠片すら浮かんでいなかった。
他にも考えが及んでいなかったことがある。クライブは亜人の救出こそが目的だと捉え、『エルフの嵐』は同胞救出と同時に、同胞を商品に堕とした商人や貴族の殺害も辞さない組織ということだ。
知識として知ってはいても、まずは解放とばかり考え、その先が想像できていなかった。
世界情勢や魔法騎士団の動きについての話は、適当なタイミングで打ち切られた。今ここにユフィたちが集まっている目的は別にある。不当に捕らえられている同胞たちを救出することだ。
港までの移動は別に難しいものではなかった。検問などが敷かれているわけでもなく、見回りが強化されているわけでもない。
警備の人数は増えているが、増えたことでかえって油断しているのは明白だ。ユフィたちのように身を隠して動くことに慣れているものたちを発見することなど、できるはずもなかった。
目当ての倉庫というのは、港湾の倉庫街の一角にある。規模の大きな港は、あちこちが建設途中のままで止まっていた。
アムニテッシュの港は、最初から大規模化することを考えて作られたものではない。荷物の取扱量の増加に伴って、ツギハギのように規模拡張を繰り返してきた港だ。
特に奴隷の取扱量が跳ね上がってからは、港の拡張工事に大きな予算が投じられるようになった経緯がある。しかし亜人奴隷が法的に禁じられたことで、工事が中断してしまっていたのだ。
開発計画がずさんだったことに加えての中断に、本来なら整備に回されるはずの予算を港湾上層部が着服しているとあって、港全体に汚れた印象がある。
通路の幅も統一されておらず、コンテナケースがあちこちに乱雑に置かれている。
酒に負けて蹲っているものの前を、若い作業員が威勢よく走り去っていく。鼻歌を歌いながら荷物を運ぶものもいれば、港湾関係者でもないのに港に入り込んで釣りをしているもの、釣りのおこぼれを狙うノラ猫にカモメ、更には、近付くものを睨み付けて威嚇しているものまでいる。