幕間:クライブ編 ~その十一~
別にゴースト系にも風魔法でなら十分に対処できるのに、対処する方法を持っているのに、鍛え上げた筋肉が通用しないということがたまらなく不安になるのであった。
「あの死霊が出るなどと噂される街でおじゃるか」
気のせいか、ユフィにはクライブの三段ロールの髪も萎れているように見える。
「あらぁ? 怖いのですか?」
「こここ怖くなどないでおじゃるよ! かつてならともかく、今の麿の筋肉なら、風圧でゴーストも消し飛ばせるはずでおじゃる!」
「いや、そこは普通に風魔法でやってくれません?」
「麿が信を置くのは、なによりも我が筋肉。足の力は腕の三倍。ゴースト程度、唸りを上げる麿のヒラメ筋が吹き飛ばすでおじゃるよ」
「ヒラメ筋が唸りを上げたら大変なことになると思いますけど」
ユフィの懸念など何のその、クライブは出掛ける準備を高速でこなす。実のところ、クライブの荷物はほとんどない。
数々のトレーニング器具を持って行くわけにはいかないので、これらは風雨を避けるための処置をするだけだ。装備といっても剣や鎧などはなく、魔法杖だけ。その魔法杖ですら、筋肉をメインに据える以上はまず出番などない。というか、筋肉が巨大すぎて、魔法杖の遠近感というか縮尺がおかしく見える。まるでマッチ棒のようだ。
クライブにとって最重要なのは、大量に取り出した細長い加工食品である。
「クライブさん、それは何ですか?」
「うむ、よくぞ聞いてくれたでおじゃる。これこそは! 麿が筋肉と共に作り上げた最高峰の高機能栄養食品とそのレシピでおじゃる!」
「筋肉と共に作ったというのがよくわかりません」
「筋肉との対話を重ね、筋肉の成長に必要なものはなにかを教えてもらい、それを一切合切こねくり回して作り上げた、筋肉の芸術品! それがこの究極最高栄養バー、マッスルマチョンⅣでおじゃる!」
「……ⅣがあるということはⅢやⅡもあったんですね」
「今はⅤを開発中でおじゃるよ」
爽やかな白い歯を輝かせながら親指を立てるクライブに、ユフィは凍り付いた笑顔を向けた。
「クライブさん」
「なにかな」
「捨ててください」
「ご無体な!?」
バッサリと一刀両断にされて、クライブは泣く泣く栄養バーの廃棄をするのだった。もちろん、廃棄前に持って行けるだけの栄養バーをリュックと胃袋に捻じ込んでいた。
二人は森の中をスムーズな足取りで進んでいく。二人ともかなりの軽装だ。冒険者のような最低限の装備を持っているユフィはまだしも、クライブも登山にでも行くのか思う程度の荷物しかない。本当に路銀と栄養バー以外はすべて片付けたのである。
旅立ち、というほど大層なものになるかどうかはともかく、筋トレや日用品に買い出し、あるいは学業など以外で森を出る経験はクライブにとっても初めてのことだ。貴族でありながらどれだけ森に馴染んでいるか。
準備に手間取るかと思いきや、キャンプを出るための動きは直ぐに済んだ。ログハウスの中に私物を次々に放り込み、ログハウス内に収まらないものについてはキャンプの一角に穴を掘り、そこに埋めて隠す。それだけだ。
「持って行く荷物はないの? 本当に? 間違いなく?」
「ふ、問題ないでおじゃる」
ユフィの重ねての質問に、クライブは即座に返す。
「そ、そう」
どこか疲れた感のあるユフィだ。クライブは肉体を武具とするため剣や鎧は不要。水や食料についても、森の中ならば川の場所も動物が立ち寄りそうな場所も知っているので、つまりは身一つで何らの問題もないのだ。
「野人ですね」
ユフィが抱いた率直な感想であった。
「この森は麿の庭のようなものでおじゃる。案内なら任せるでおじゃるよ」
「エルフのわたしに森の中を案内しようと? 面白いです、案内してもらいましょう」
ユフィの態度は自信満々の態そのものであった。が人間の案内など特に必要ないとのユフィの判断は、半時間もしないうちに間違いであったと悟らされる。森を出るための行程は相当に順調であった。実際には順調にいくはずもないのであるが、確かに順調そのものであった。
「がうう!」
群れで襲いかかってくるブラックウルフという魔物を蹴散らし、
「どかーん」
道を塞いでいた巨石を殴り砕き、
「とぉっ」
迂回せざるを得ないような崖を一っ飛び、最短距離イコール一直線に突き進む。
森を進むちう固定概念を根こそぎ吹き飛ばされたユフィは途中からついていけなくなり、今ではクライブの右肩に乗っている御身分である。
上下左右に加えて場合によっては緩急も付き、重力の束縛も嫌う激しい運動の連続により、顔がエルフにあるまじき色に変色していっているのは気のせいではあるまい。
滝から飛び降りたとき、ユフィが絶叫を上げたことは誰にも責めることはできないであろう。
目指す港湾都市アムニテッシュは、経済的に見るとさして重要というわけではない。王国にはアムニテッシュよりも規模の大きな商業都市はいくつもある。人口規模でも中規模に数えるのが精々だ。
地方経済では重要な位置を占めるものの、やっぱり地方の港町に過ぎない。そう評価される程度の都市である。港を有しているといっても、他国との交易ではなく王国内での物流に使われることが中心で、交通面でも要衝に数えられることはない。
ただし一部の人間からは、かなり重要な都市であると認識されていた。王国の暗部である奴隷市場を有しているからだ。
明快な資料があるわけではないが、アムニテッシュの奴隷取扱量は、国内三位の規模だと噂されている。
奴隷を求めてくる貴族や商人は後を絶たず、彼らをメインターゲットに据えたホテルや商業施設は充実しており、田舎の港町に過ぎないアムニテッシュに大きな利益をもたらしていた。
利益を受け取るのは貴族たちのような一部の特権階級に限られてはいない。元々のアムニテッシュは産業に乏しく、かつては漁業を中心としていた町だった。
民衆の所得水準は低く、出稼ぎのために別の都市に行こうとしても、町を出るにも別の町に入るにも税金や賄賂が必要になるとあって、アムニテッシュの住人は長い間、町と貧困に縛り付けられていたのである。
そんな住人たちにとって、奴隷を求めてやってくる貴族たちは大事な客だった。住人たちは奴隷売買そのものにはかかわっていなくとも、アムニテッシュが奴隷売買で成り立っていることは薄々察していて、察した上で自分たちの生活のために受け入れているのだ。
実際にアムニテッシュでは、奴隷産業にかかわっている住人の所得水準は高く、昔ながらの漁業に従事している住人は貧しいという構図ができあがっていた。
自身の豊かさや、家族を養うため、奴隷産業の内側に組み込まれていくことを良しとする住人は多く、これは取り扱われる奴隷も元人の数は少ない――あっても犯罪奴隷――こと、大半は亜人であることも住人たちの心理的負担を軽くしている要因であろう。
ただしそれらは元人の側の考えに過ぎず、仮に住人たちが本当に心を痛めていたとしても、売買される亜人たちにとっては何の慰めにもならない。
故郷を焼かれ、親兄弟を殺され、慰み者や消耗品としてやり取りされる。亜人たちが元人を憎悪するのは当然のことであり、捕らえられた亜人を解放するための運動があることもまた当然。アムニテッシュには奴隷解放を目論む亜人たちが潜んでいると、もっぱらの噂であった。
アムニテッシュは交通の要衝ではないが、その最大の理由はアムニテッシュ北部に跨るシェフラー山だ。アムニテッシュから王都に向かうにはこのシェフラー山を越える必要があるのだが、これがかなりの難所だった。
シェフラー山は金や銅、石炭などの資源を産出しないために、権益目当てで群がってくる貴族たちもいない。木材は豊富だが魔物も多く生息しているとあって、人の手自体がもあまり入っていないのだ。
魔物討伐は魔法騎士や冒険者の役割、と言いつつ、人の立ち入りが少ないために人的被害も少ないとあって、駆除や討伐はほとんどなされていないという。
木材についても港を通じて輸入することができるため、都市としては困っていないのだった。
事情が変わったのはアムニテッシュ侯爵が病気に倒れ、長男が侯爵代行として動き出してからだ。王都との交通網を整備し、人の往来を活発にすると主張したのである。
王都は人が多く、当然のこと人々の隙間には奴隷商人が暗躍する余地が増える。交通の便が良くなれば、アムニテッシュ経済にとっても極めて有益であると判断したのだ。
交通網整備のために侯爵代行がぶち上げたのが、シェフラー山をくり抜いてトンネルを作る計画だった。公共事業の名目、しかし人件費がもったいないとのことで、大量の奴隷を投入しようとしているらしい。
おかげでアムニテッシュには、近年で最大の数の奴隷商人が入り込んでいるという。