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第七話 鉄板とは

 執筆者の思惑はどうでもいいとして、運命を変えるために努力を惜しむことはできない。他ならぬ自分の命がかかっているのだから。


『原作知識の活用とかが鉄板なんやろ?』


 確かにその通りだ。原作だと指輪は一回の逆行で砕け散っていた。今は主人公アクロスの元にもいかず俺の元にあるという、かなり原作からかけ離れた展開になっている。


 時間軸的に俺が持っているのは当然かもしれないが、こんな強力なアイテムを持っていること、いや、この指輪の力を知っていることは大きなアドバンテージになるかもしれない。


 使い方がよくわからない上に、効果範囲の見当もつかないアイテムだがな。


 原作のみならずファンブックまで読み込んだ俺の知識が全無駄になるとは考え難い……考えたくない。よく思い出せば、破滅脱却のためのヒントくらいは見つかるかもしれない。


 問題は、思い出すことばかりに労力を割くわけに行かなかったことだ。並行して進めなければならないことも山積している。まずはやり直しものの鉄板。人間関係だ。家族や使用人たちとの関係から始めようじゃないか。


 そんな決意は、数日を経ずに粉砕しかかっていた。


「なんなの、ここの家族……いや、マルセルもなんだけど」


 父であるサンバルカン公爵は、あの発破かけに顔を見せて以降は部屋に来ず、母と兄に至っては見舞いにすら来ないとは。嫌われているのか冷淡なのか。


 使用人たちですら必要最低限しか来ない。朝の状態確認のときだけだ。家族で食事をするのを、「気分が優れないから」と部屋で摂るようにすると、食事は部屋の前に置かれて終わりという扱いをされた。まるで鉄格子の前に食事を置かれる囚人ではないか。


 今の俺って本当に貴族なんだよな? 人間関係のやり直しって、こんな難易度高かったけ? 悪役転生ものの漫画とかだと結構、サクサク進んでいたような気がするんだけど


 コンコン。


「?」


 部屋がノックされる。こんな、心理的に打ち捨てられた僻地に一体、誰だろう。とりあえず「どうぞ」と返すと、開かれたドアの先に立っていたのは、一人の女性だった。彼女は、


「お姉たま!?」

「え? おね、なに?」

「失礼しました、姉上」

「たま? え?」

「気にしないでください。ちょっと混乱しただけですので」

「そう……まだ本調子じゃないのね」


 来室者はマルセルの姉だった。ティア・レスト・サンバルカン。マルセルの三歳上の姉。他にティア付きの侍女が一人いるが、こちらは俺を見もしない。


 マルセルは四人きょうだいだ。長子がティア、次子が二歳上で公爵家跡取りでもあるデュアルド、そしてマルセル、マルセルの三ヶ月下の腹違いの弟。この四人だ。


 原作ではっきりとマルセルの味方をしてくれる数少ない存在、それこそが彼女、ティアであった。


 見た目良し、学力良し、魔力良し、運動能力良し、性格良し、プロポーション良し、という絶対にマルセルと血縁にないだろって完璧美少女だ。公爵家の血筋に相応しく、高い戦闘能力を持っていて、原作でも何度か見せ場があった。


「大丈夫だった、マルセル?」


 マルセルを心の底から心配する彼女は、感極まったといった様子で駆けよってきて、そのまま抱きしめる。


(えええぇ!? 頭! 俺の頭になんだかとっても柔らかくていい匂いがしてサイズ感たっぷりのなにかが押し付けられているんだけど!? ここここんなイベント、前世でもなかったのに!)

「よかった、血を吐いたと聞いて心配したんだからね」

「!」


 ポタリ、とマルセルの額に雫が落ちた。豊かな胸の抗いがたい魅力に戦いながら視線だけを上に向けると、ティアは泣いていた。


「ぁ、姉上?」


 そう、お姉たまことティアは、ファンたちの間で「聖女」の名前で呼ばれていた。その理由が「クズのマルセルにも優しいから」である。破滅にひた走るマルセルを止めようと努力してくれて、マルセルの死を本気で悲しむ描写があった唯一の人物でもあった。


 なんだよ、マルセルの奴。こんなに心配してくれる相手がいたくせに、どうして道を誤っちまうんだよ。泣いてくれる人がいるんだったら、泣かせないように努力しろってんだ。


 マルセルに対する怒りが沸々と沸いてくる。そうしてティアに抱きしめられること数分、ようやく解放された俺が見たものは、涙で青い目を赤くした金髪美少女の姿だった。


「あ、あの、もう大丈夫ですから」

「ダメよ。もしかしたらってこともあるのだから、お医者様から正式な許可が出るまでは大人しくしているのよ。決してもう大丈夫だから、と自分で勝手に動いたりしてはダメなんだから。必要なものがあれば持ってこさせるから」


 なんて優しい。


「お姉たまマジ聖女」

「え? たま? 聖女?」

「いえなんでもありません。姉上の優しさに感動しただけですから」

「感動だなんて……家族を心配するのは当然のことよ」


 その家族との縁が非常に疎遠であることを実感する今日この頃である。お姉たまがマジ聖女なのは当然として、でも部屋の隅でティアの言葉を聞いていた使用人の顔が大胆に引きつっていたことを、俺は見逃さなかった。


 安心しろ、ワガママは言わないよ。ワガママはイコール破滅エンドへの片道切符だ。


 ボロが出ると困るので、お姉たまの面会中、話題は一つの方向に絞った。体調はどうだとか、前と比べて痛いところはないかとか、体で動かしにくいところはないかとか、頭痛はしていないかとか、健康面の話を中心に話す。


「本当に、貴方は昔から心配ばかりかけさせるんだから」


 ティアは俺の手を取り、自分の胸に抱く。素晴らしい感触に、知らず知らず鼻の下が伸びてやしないかが気がかりである。


「また来るからね。いい子にしてるのよ」


 ハンカチで涙を拭い、ティアは出て行く。見舞いの時間はたっぷり一時間ほど。異世界転生からこっち、はじめてまともに会話をした気がする。


「よし決めた」


 正直、両親や兄や腹違いの弟のことはどうでもいい。一読者時代から好感を持っていない相手だ。マルセルに生まれ変わっても親近感の欠片だって湧きやしない。


 でもティアはこんなにも心配してくれている。家族や使用人たち、読者たちからも惜しまれなかったマルセルをだ。


 少なくとも彼女をこれ以上悲しませることのないようにしよう。


 脱悪役の決意を、俺は新たにする。


 新たにしようとしまいと、生理現象はコントロールできない。喉が渇いた。部屋の水差しに手を伸ばすと、既に飲みほしていて空っぽだった。


 水を飲みに行くか。いや、勝手に動くと怒られるかもしれない。思い直して、人を呼ぶことにする。手を叩いて呼ぶべきか、鈴を鳴らすべきか。少しだけ考えて、後者に決めた。鈴を鳴らすほうがハイソな貴族令息って感じ、というのが理由だ。


 チリンチリン。


 入ってきたのは当然のようにメイドだ。目が覚めたときにいた、見覚えのある美少女メイドではなく、原作でも見たことのあるベテランメイド――名前はなかったはず――だ。


「喉が渇いた。水を持ってきてくれ」

「かしこまりました。直ぐに」


 一礼して扉を閉めるベテランメイド。少しして再び開いた扉、そこにいたのは別のメイドだった。例の美少女メイドではない。年齢は若く、俺と同じくらいだろうか。ただし初めて見る。


 誰だろうこの少女は。お盆の上には高級そうな水差しと、コップが置かれている……のだがカタカタカタと震えている。俺に関する根も葉もある噂を聞いたんだろうな。いずれ根も葉も残らず枯らしてやるからな。


 俺の決意とは関係なく、メイドの震えは一歩毎に震えていて、俺まで一メートルの地点ではひょっとすると分身でもしているんじゃないかと思うほどに震えが酷くなっていた。


 全身を嫌な予感が襲う。そしてこういうときの予感は、往々にして的中するものだ。


「マ、マルセル様、あっ!」

「ふ」


 ニヒルに笑う内側で、俺は絶叫していた。


(ほらあ! もう絶対こうなると思ってたんだよ!)


 少女メイドが思い切り躓いた。もちろん水差しも一緒にだ。


 放物線を描く水差し、とコップ。嫌な予感がしたにもかかわらず、マルセルの目の前はゆっくりと動き……ばしゃあ。一拍遅れて、がしゃあん。頭から水を被り、追い打ちとしてコップの直撃も受ける。


 これだけ広い部屋でピンポイントで二発連続の直撃とは。神に呪われているのか、悪魔に祝福されているのか、そしてメイドは床にダイブしたまま動かない。

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