幕間:クライブ編 ~その九~
曰く、盗賊殺し。曰く、人身売買業者の殺戮者。曰く、奴隷商向けの蝗害。
こいつらに狙われた犯罪者は、銅貨一枚、下着一枚すら残すことなく完膚なきまでに毟り奪われて、全財産を失い、路頭に迷っているところをトドメとばかりに殺害されて終わるという。
「知り合いを人身売買業者に偽装させて、わたしを潜入させたまではよかったんですけど、何故かこのことがバレてしまったんですよ」
バレた理由は皆目見当がつかないと言うが、この言動が原因なんだろうな、とクライブは当たりを付けた。
潜入が露見したユフィは、奴隷商の手下たちを叩きのめしながら脱出。完全に逃走するか、適当に誘い出して当初の目的通りにするか。
悩みながら動いたせいか、疲労も蓄積しやすかったようで、このキャンプで小休止をとっていたところ、クライブに出会ったというのが顛末だった。
ユフィの言葉が本当かどうかを、俄かに判断する材料をクライブは持っていない。ただし表情や口調からは、少なくとも最初の主張よりかは信憑性が高いように思われる。なによりも、口調こそ軽いユフィの目は元人への軽蔑の色が濃い。
色々とやらかしているとはいっても、王国の支配階級であるクライブはかなり肩身が狭い。がっちりした筋肉に覆われた肉体を小さくする。
かつてはこんなことを思わなかった。亜人がどうなろうと、気にも留めなかった。冷たい目でこちらを見てくる不逞の輩には、権力と暴力で思い知らせ、そのことを当然だと受け止めていた。
この変化を好ましいものであるとクライブは受け止めていて、変化のきっかけとなったマルセルを強く尊敬している。尊敬する相手というものを始めて持ったクライブの胸中には、ある強い決意が生まれていた。
クライブの決意を後押ししたのは、誰あろう、ユフィであった。後になってクライブは語る。どうしてよりにもよって、この女をきっかけとしてしまったのであろうか、と、かなり苦悶様の表情であったらしい。
「さてクライブさん、ここまでわたしの話を聞いてしまいましたね」
「お主が一方的に聞かせたんであろうがぁっ!?」
「助けて下さった恩人にこんなことを頼むのは心苦しい限りなのですが、クライブさんにお願いしたいことがございます」
「笑顔しか見えんのだが!? 断るでおじゃる!」
至極当然のクライブの反応。対してユフィは星が煌めくような笑顔を見せた。
「元人の貴方では気付けなかったと思いますが、わたしは説明の声に乗せていくつかの呪詛を混ぜておきました」
「呪詛ぉっ!?」
「体内の血液が沸騰して死に至るとか、全身の骨が腐り落ちて死に至るとか、そんな悪質なものではないので安心して下さい」
存在そのものが悪とすら思わせるユフィの言葉に、どれほどの説得力があろうか。だったらいかなる種類の呪詛であるのか、クライブからの疑問に、ユフィは頬を赤らめた。
「そんなこと、淑女の口から言わせるなんて、セクハラですよ」
「お主が仕掛けた呪詛であろぉっ!?」
「些細なことはともかく、クライブ様にお願いしたいことがございます」
どこが些細なことなのかはともかく、話が最初に戻ってきた。血圧上昇と精神的疲労ももちろんあるが、尊敬する友人のこともあり、クライブの返事は決まっている。返事をする相手に多大な問題があるだけだ。
「…………引き受けるでおじゃる」
「まだなにも言ってませんよ?」
顔を右に傾けるユフィに対し、クライブはビシと右の掌を突き付けた。
「皆まで口にする必要はないでおじゃる」
「え、と?」
「麿とてミルスリット王国の貴族!」
「ほほう」
ユフィの反応が少し変わる。残念なことに自己紹介に酔っているクライブは気付かなかった。
「あの追っ手共がミルスリットの人間ならば、ミルスリットの民がエルフ――のみならず亜人の方々を傷つけ、踏み躙った事実は揺るがない! ミルスリットの民を導き、統治する立場の貴族にはより重い責任があって然るべきでおじゃろう。責任を果たすための具体的な行動が必要になるのもまた、当然のことでおじゃる!」
「な、なにが言いたいのでしょうか?」
「この場合の具体的な行動とはつまり! ユフィ嬢の身と意思を守ることでおじゃる!」
奴隷商人側が魔法騎士崩れを雇ってまでも手に入れようとしたのなら、この失敗で潔く手を引くとは考え難い。
シルフィードならこれ以上の損失拡大を懸念して、かかわりを止める方向で考えるだろうか。それとも、ここまで費用を投じたのだから断じて回収すると傾くだろうか。
シルフィードはともかく、ユフィを狙う連中は後者でありそうだとクライブは考えていた。ユフィの側も、奴隷解放と財産収奪を諦めるとは思えない。いや、後半は諦めても一向に差し支えないが。
「わたしを追ってきた連中が執念深いってのは合っていますけど」
「往々にして、奴隷商人というのは執念深いようでおじゃるからな」
奴隷商人であるのなら、商品に逃げられたことは商品の管理もできないということで、商人のブランドを大きく傷つける。奴隷に買い手がついていたとしたら尚更だ。
ミルスリット王国では亜人への差別感情があるにせよ、人身売買そのものは完全に非合法な取引である。少し前までは合法であったが、法改正のメスが入ったのだ。
亜人を差別的に扱うことを嫌悪・憎悪する元人たちが王国上層部に増えたのかというと、別にそうではない。王国と国境を有する周辺諸国のことが関係している。
過去には軍事衝突にまで発展したことのある帝国は、傭兵として亜人を組み込んでいる。豊富な鉱物資源を持つ獣王国は、亜人を奴隷とする国とは取引をしない。
要するにミルスリット王国とこの二国の関係は鋭く睨み合うもので、帝国と獣王国は良好な関係を維持している。帝国と獣王国は国土も広く、資源は豊富。人口も多い上に、人口増加率も高い。
両国の良好で密接な結びつきは、両国の国力を大きく成長させる。ここ二、三十年ほどの成長率を比べると、王国は両国に大きく水を開けられていた。
王国はこのままでは、特に帝国に対し抵抗できなくなるのではないかと危機感を募らせ、結果、獣王国との取引の足枷になっている奴隷を禁止したのである。
法的に禁止されても、隠れて取引を行う連中はなくならない。リスクを冒してでも取引を行う連中だ。買い手と売り手、双方の信頼関係を損なうような真似をすればどうなるか。
業界全体からの信頼を失うくらいならまだいいほうだ。商売はできなくなったとしても、命は残る。しかし人身売買は裏の世界の商売。取引の失敗は、命のやり取りに繋がる。
奴隷に逃げられたなら、商品管理ができていないことを意味し、商品の管理もできない組織が情報を管理できていると判断されるだろうか。取引の約束を破ったようなものに、次のチャンスが易々と巡ってくるだろうか。
クライブは実家の商売柄、闇商人のことも多少は知っている。金のためなら人命など二の次以下に置く連中だ。
「ユフィ嬢のような盗賊が狙いをつけているとすると」
「義賊ですよ?」
「……うむ、義賊に狙われるということは、それだけ悪質であるという証左。加えて魔法騎士崩れを投入までしてきたことを踏まえると、あるいは買い手には貴族がなっているのかもしれぬでおじゃるな」
全員ではないと断った上で、一部の貴族や奴隷商人という連中が亜人をどのような目で見ているか、クライブはよく知っている。であるが、この国のすべての貴族がそのような人間ばかりではない。クライブの近しい相手の中には、獣人を使用人として正式に雇っているものもいる。
クライブはマルセルのことを思い浮かべる。獣人を助け、雇う。しかも単なる気紛れではないことは明らかだ。
貴族の慈悲深さを演出するために助けたわけではなく、愛玩用として傍に置くために雇ったのでもない。明らかに対等であることを許している。獣人姉妹はマルセルに対して恩義と敬意を持ってはいても、亜人奴隷が主人に持つ恐怖などは持っていないこともまた、明らかだ。
クライブは自分がマルセルと同じ考えに至れるとまではとても思えない。同じ考えは持てても、マルセルのように実践できるとは夢にも思えなかった。
だからといって、なにもしないのは間違っているとも考える。自分には無理だと諦めるのは簡単すぎて、諦めることは努力しているマルセルの友人を名乗れなくなることだと、クライブは受け止めていた。
「麿に、君を、助けさせてほしいでおじゃる」
「貴方に、わたしの仕事を、手伝わせてあげます」
「……」
双方の間に、埋め難い溝があることを実感するクライブだ。