幕間:クライブ編 ~その三~
痙攣は尚も強まり、クライブの太い足でも己自身を支えられなくなり、両膝から崩れ落ちた。そこから痙攣は少しずつ収まっていき、呼吸も早く浅いものから落ち着いていく。
「ふー、効くぜぇ」
口元を拭う様子は、どう見ても危ない薬の中毒者である。
腹ごなしと内服が終わった後は、ベースキャンプに戻る。一時間前後の休憩と、基礎トレをするためだ。いい食事といい薬といい休息こそが筋肉には必要。クライブはそう確信していた。
キャンプといいながら、その実はクライブの手作りログハウスである。修行と称して破壊しまくった自然を少しでも有効活用しようとした結果であり、ちなみにこのログハウスは三代目だ。初代は風雨の前に崩れ去り、二代目はクライブ自身の失火で燃え落ちている。
初代より前は洞窟に入ったこともあったが、コウモリやムカデとの生存競争が激しく、外に出てきた経緯があった。動物や昆虫は薬の材料にしつつも、生活圏を一緒にすることはできなかったわけだ。
三代目ベースキャンプと据えたログハウスの周囲はまっ平らになっている。森の中にはどうにも不自然な、確実に人の手により切り開かれているものだ。
文字通りに人の手であり、斧やら鋤やらの道具は何一つ用いず、ときに手刀で、ときに蹴りで、ときに投げ技の練習で根っこまで力尽くで引き抜くなど、素手で作り上げたのである。
自分の手で作り上げた安息の地。持ち込んだ大量の筋トレ器具の他にも、自然から削り出して作った筋トレ器具が雨曝しになっている。これらの器具を使って、自然の中を走り回って、獲物を狩り、魔物と戦う。
クライブの一日のすべてはトレーニングに費やされていて、今では鉄貨を素手で四つ折りにして、石ころを握りしめれば粉にする。金属鎧のプレートを素手で引き裂くことだってできるし、分厚い本を指の力で引き千切るくらいには成長していた。
魔法騎士としては明らかに間違って……いるかどうかはともかく、おかしな方向に突っ走ていることは確かであり、もちろんのことクライブ自身は気にしていなかった。むしろこの道こそが自分が採れる唯一の道であると信じて疑わなかった。
《スレイヤーソード》に敗れたのも、鍛える方向性が間違っていたのではなく、筋肉の量が足りなかったからだと結論付けるほどに信じているのだ。
トレーニングでへとへとになっても、ニコルとマルセルが談笑している場面を思い出して凹んでも、ここに帰ってくると、また頑張ろうとの気持ちになるのである。
「おじゃ?」
憩いの場所に戻るとそこには、見慣れぬ、それも傷を負った少女がいた。本当に見慣れない。王都や近くの村でも見かけたことがない、しかし遠目にもはっきりとわかる少女は、つまりエルフだった。
「なんとなんと、初めて見るでおじゃるな」
マルセルのことを思い出す。生まれ変わると宣言したマルセルが、獣人を個人的に使用人として雇っていることを知っている。
ミルスリット王国の、特に貴族は亜人に対して差別的で、取り換えの聞く道具扱いする者たちも少なくない。何ならクライブ自身が典型的貴族を体現していた。
獣人は獅子人族や熊人族のように種族数も多く、総数も多いために亜人の代表とされるが、もちろん獣人だけが亜人扱いされているわけではない。エルフも亜人に――あくまでも元人を自称する連中による考えではあるが――分類される種族である。
獣人よりも遥かに数が少ない上に警戒心も強いことから、滅多に目にする機会がない。奴隷や見世物の被害に遭っている場合くらいだ。
「これはこれはエルフの方、どうされたでおじゃるか?」
「はっ!?」
エルフの少女はネコ科を思わせる俊敏な動作で飛び退る。
「ぁ、しまったかな」
別にクライブは気配を消していたわけではないが、人に対する警戒心の強いエルフだけに、いきなり背後から話しかけられると強く反応する。いや、背後からの声掛けなど、誰であっても警戒はするし、エルフであれば尚更だというわけだ。
これは単純な警戒心だけに起因する反応というわけではない。
エルフというのは総じて見目麗しく、加えて個体数が他の獣人たちよりも少ないために希少種扱いされ、人身売買の対象として非常に高値で取引されるのである。
またエルフは独自の魔法や技術を有していることから、これらを望む国家や組織は後を絶たなかった。一五〇年ばかり前には、国家が大胆に後押ししてのエルフ狩りまで行われていたほどだ。
高レベルの魔法の使い手なら、魔法を極めて数百年以上を生きる例はあるが、多くの人間はそうではない。翻ってエルフは長命な種族で、一五〇年という歳月は多くの人にとっては世代を重ねる悠久の年月でも、エルフにとっては先日のこととして捉えられる。
だから人間側の「過去のことだ。許し合って未来志向の関係を築こう」などという主張は、加害者側が臆面もなく並べる恥知らずな戯言でしかない。
奴隷業者の撲滅は、徐々に法整備が整いつつある現在でも程遠い現状であることを踏まえると、エルフとの和解はまだまだ叶いそうになかった。
叶いそうにないから、エルフ自体やエルフの持つ魔法や技術を欲した、エルフ狩りが横行するのである。しかも「魔法や技術を独占して、元人との共存共栄を図らないエルフが悪い」といった愚論暴論を撒き散らして、自らの行いを正当化するのだ。
エルフが周囲を警戒するのは当然のこと、人間を憎悪し軽蔑し警戒するのは当然のこと。
そんな当たり前のことに考え至らなかったことに、クライブは後悔し、自身に対し軽く失望した。
実家では元人至上主義的な傾向のある家族から、エルフが間違っていると聞かされていた。学院は貴族の強い影響下にありながらも、元人の身勝手な行動を戒める教育を施していた。クライブも教育は受けはしたが、まったく身についていなかった。
自身を振り返るようになったのは、友人のマルセルが変わり始めてのことだったのだ。燃えるような恋を知り、他人のことを考えるようにもなった。他者の種族や背景を慮るようになっていたのだ。なのに、不用意にエルフに接してしまうなど。
クライブがどう対応するのが正解だろうか、と考えていると、エルフ少女はクライブにとって予想外の行動に出た。涙を浮かべながら、体を震わせながら、自分の体を抱きながら、唇を戦慄かせたのだ。
「しくしくしく、お父様、お母様、ごめんなさい。わたしはこれまでのようです」
「ちょ、待つでおじゃるよ! どうしていきなりそんな話になっているでおじゃるか!?」
「ああ! このケダモノのような目を持つ男にわたしはこれから汚されるのですね! すべてはわたしがあまりにも可愛すぎるせい! わたしの美しさが下品な男どもの心を鷲掴みにして離さないから!」
「そこは真剣に待つでおじゃる! 麿にはもう、心に決めた人がいるでおじゃるよ! 如何にエルフが美しかろうと、麿の」
「認めましたね! わたしが美しいと! 神よ、どうしてわたしにこれほどの祝福を与えたのですか。おかげでわたしを巡る争いが地上から絶えません!」
「心を惑わせることは叶わぬと知、て人の話を聞くでおじゃる! 食い気味にも程があるでおじゃろう!」
食い気味もなにも、クライブとエルフ少女の間で会話は成立していない。クライブはどうにか会話をしようとしているのに、エルフ少女の側は一方的に喋っているだけだ。
それだけでありながら、エルフ少女は腰を低く屈め、いつでも次の行動に移れる体勢を維持している。
口にしている内容はともかく、エルフ少女は警戒を解いておらず、クライブは急に話しかけた愚を叱り飛ばしたくなった。かといって話しかける以外にどんな手段があったのかを思いつくのも難しい。
クライブの搭載過剰の筋肉と三段ロールの素敵髪型は隠れることに適していないし、気配を消すことも別に得意ではないとあっては、コソコソして見つかった場合はより悪印象を与えるだろう。