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幕間:クライブ編 ~その一~

 轟音が響く。自然に発生するものではなく、むしろ自然とは決定的に対立する音だ。


 樹齢何十年という木々が音を立てて倒れていく。薪や建材するために伐採しているのではない。


 折れた部分に注意を向けると、そこは斧などによる切り口ではなく、只々乱暴にへし折られた木々の、無残とすら言える最後の姿があった。


 木だけではない。岩も砕かれ、大地にだって穴が開き、捲れ上がった土が壁となっている。


 自らが山中の地面に作り上げた大穴の底で、三段ロールの髪と肥大した筋肉を搭載する男はがっくりと力なく両膝をついていた。


「違う。これはもはや、単なる自然破壊でおじゃる!」


 慟哭を吐き出したのはクライブ・オルデガン。ミルスリット王国にその名も高い名家、オルデガン伯爵家の御曹司だ。


 学業は「優」の評価は少なくとも、ほとんどが「良」とされる程度には高く、ただし交友関係の影響で人物としての評価は間違いなく低いほうにある。


 このことをクライブ自身は決して重要とは捉えていなかった。人間に必要なのは家柄であり権力であり財力である、と信じて疑わず、これらを持っていない平民や没落貴族を人間とは考えていなかったのだ。


 いずれも持たない平民を見下し、財力はあっても血筋を持たない商人を見下し、血筋以外に誇るもののない弱小貴族を見下してきた。


 自分以外の誰かを見下すことで、自身の優位性を確認して初めて、クライブは自分が優れた人間であると認識していたのである。


 自覚はしていなかった。自覚せずに、これが当然のことだと受け止めていた。揺るぎない確信とすら思える考えにヒビが入ったのは、比較的、最近になってからのことだ。


 友人であり、伯爵家よりも上位の公爵家子息マルセルの変化だ。模範的貴族像を体現していた、と思っていた公爵公子閣下。彼はあるときを境に明らかに変わった。


 共通の友人であるシルフィードと共に戸惑いながらも半ばは受け入れ、半ばは単なる気紛れだろうとも考えていた。


 奇矯な貴族像にもすぐに飽きて、すぐに元の、模範的貴族に戻ると考えていたのに、マルセルはひたすらに変化の道を邁進し続ける。


 最初は興味と面白さからついていたクライブも、期せずして自らも変化の必要性を痛感することが起きた。


「ニコル嬢、麿は頑張るでおじゃるよ!」


 恋の力とはかくも偉大なものなのか。クライブは自身に染み付いていたはずの価値観をあっさりと捨て去ることに成功した。


 今や恋に生きる、熱くも猛き戦士である。それまでの発言がニコルに嫌われるものだと感覚的に知ると、現に戒めた。


 家柄も権力も財力もニコルの心の琴線に響かないことに衝撃を受け、しかしそれ以上に大きな衝撃に心身が打ちのめされる。


 クライブの内にあるのは大きく二つ。


 一つは、一国を焼き落としても尚足りないほどの恋の炎。


 今一つは、圧倒的なまでの無力感であった。


《スレイヤーソード》。あのとき、現れた男の素性は今もって知れない。確かなことは、あの男はクライブよりも強かったことだ。それも圧倒的に。


 クライブは貴族らしく高い魔力を持ち、強力な魔法も習得していた。相手が平民出の魔法騎士ならば粉砕できる、と根拠のない自信も持っていた。


 粉砕されたのはクライブの持つプライドだった。繰り出した渾身の一撃は簡単にあしらわれ、まさしく手も足も出ずに負けた事実はあまりにも重い。


 ましてや、その《スレイヤーソード》をマルセルが倒したのだ。倒した場面を目の当たりにしたのだ。


 衝撃だった。


 これが伯爵家と公爵家の差なのか、なんて考えが過ぎり、一瞬で消え去った。マルセルが見せた力はクライブの知らないものだったからだ。


 近しい位置にいたと思っていた相手が、自分では予想もつかない、自分など及びもつかない力を行使して、自分では勝てなかった相手を倒した。


 事実としては、危機を脱することができた。敵を倒すことができた。


 なによりも、ニコルを守れなかった。


 一件が片付いて以降、ニコルとマルセルの仲が良くなり、学院の食堂でにこやかに話す場面を見かけても、役に立てなかった自分にはなにも口にする資格はない。


 これがマルセル以外の相手なら身分を笠に着て、ニコルと話すな、追い散らすこともできよう。


 だがそんなみっともない真似はできない。マルセルは敵を倒し、シルフィードも役に立った上に失敗をしていなかった。


 自分だけが足を引っ張った事実があるのに、これ以上の恥を上塗るような真似などできるわけがない。


 自分は負けた。


 マルセルは勝った。マルセルがニコルを守った。


「ぬうううぉぉおおおぉおおお!」


 不甲斐なさを咆哮に変え、不甲斐なさを叩き潰すため、クライブは頭の上で両手を組んだ。ビクン、と血管が脈動し、ムキン、と筋肉が一回り大きくなる。三段ロール髪が揺れた。


 組んだ両腕を感情に任せて振り下ろした。衝撃が地面に伝わる。数十に及ぶ亀裂が生まれ、一瞬で砕け散り、大きかった穴は更に大きく、深く抉れた。


「て、だからこれはただの自然破壊でおじゃるよ!?」


 やらかした後で頭を抱える。クライブの周囲二十メートルは酷い有様で、無事な木々はなく、地面は深く抉れ、動物は逃げ出し、植物一本も生えていない、まともな自然の残っていない状況だった。


 最近、チラホラと出てきていると噂の自然保護団体の耳に入れば、間違いなく自然の敵として認定されるだろう。


 ――――グルル


「む!?」


 上からの声に、クライブは素早く反応する。自らが開けた穴の底から地上までは、平均的な建物の二階分ほどに相当する。穴の縁から顔を覗かせているのは、一匹の熊だった。


 いや、熊型の魔獣だ。体毛はどす黒い赤で、爛々と輝く両目も真っ赤。レッドベアだ。


 鉄の鎧をわけなく引き裂く爪、太い幹をも食い千切る強靭な顎、赤い体毛は生半可な武器は寄せ付けず、起伏に富み障害物の多い森の中を軍馬よりも早く走ることができる、まさに森の食物連鎖の上位に存在する魔物だ。


 冒険者ギルドでは討伐ランクを上位に設定している。好戦的で縄張り意識が強く、周囲から他の魔物や動物が逃げ出す中、レッドベアだけが戦意を漲らせていた。


「レッドベアか、ちょうどいい」


 森の、少なくともクライブが拠点とする地域での生態系のトップを見上げ、クライブは不敵に笑う。レッドベアの肉は調理に手間がかかる上に匂いに癖があるものの、非常に美味であると評価されていて、クライブも同意見である。


 冒険者ギルドに売り払うと、貴族が通う高級店が我先にと購入を希望する高級食材だ。大型種であることから、一度狩りに成功すればしばらくは食うに困らない。


 クライブの食事量からすると、三日分くらいにはなるだろうか。尚、一般人がこのサイズの肉を確保した場合、一ヶ月は余裕で保つことをクライブは知らなかった。


「とぉっ!」


 クライブは穴の底から跳躍した。十分な余裕をもって穴から脱し、レッドベアと向き合う。かたや敵意に目をぎらつかせる森の頂点捕食者。かたや食欲に口元を濡らすマッチョ。


 ――――森の秩序を叩きこんでくれるわ!

 ――――今日は熊鍋だ。臭み消しの香草も準備できている!


 こんなやり取りがあったかどうかはともかく、両者は数秒だけ睨み合い、激突した。唸り声と共にレッドベアが腕を振り下ろす。丸太のように太く、鋭く強い爪をもつ腕の一撃は、人の頭ぐらいは木っ端微塵にできる。


「ぬぅうん!」


 鉄の鎧をも容易く引き裂くレッドベアの一撃を、クライブはあろうことか真正面から受け止めた。


 クライブは筋力を鍛え続けただけで、格闘技術を磨くことには重きを置いていない。が、このときは素早くレッドベアの腕を極める。


「ふんっ!」


 体ごと回転させて極めた腕をへし折った。

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