第六話 道険し
それこそ痛感する。まず手始めにわがままを口にするのをやめたら、周囲の使用人たちからは逆に怖がられ、気味悪らがれ、一層、気を遣った、へりくだった態度で接せられる。
軽く礼を口にしただけなのに、メイドの顔面は蒼白になり、全身を大きく震わせ、手に持っていたトレイを落としてしまう。
漫画通りのマルセルなら、どれだけ周囲を振り回しても屁とも思わないし、実際にそんな描写もあった。
けどね? 今の中の人は俺なんだよ? ボンクラ悪役貴族のマルセルならできても、生まれながらの平民である俺には到底無理なんだよ。
ふんぞり返って命令するのも、顎をしゃくって他人を動かすのも、精神的負担があまりにも大きい。
喉が渇いたとぽつりと呟くと、「ひぃっ!? ききき気が付かなくてすみません。どうかお仕置きだけはお許しください!」と平謝りされた。
挙句、世話担当のメイドが毎日違うのだ。毎日違う担当を決めて回しているのかと思いきや、どの使用人たちもできるだけ俺にはかかわりたくないようで、内内でクジをして決めていたのである。
部屋の前で悲壮な決意を固める当日担当と、当日担当を抱きしめて送り出す使用人のやり取りを聞くともなしに聞いてしまったとき、ライフが限りなくゼロに近付いたのは言うまでもない。
ついでに「高名な魔法騎士を呼んで、坊ちゃまに掛けられている呪いの種類を調べよう」なんて話が耳に飛び込んで来た日には、枕を滂沱の涙で濡らしたものだ。
使用人たちの気持ちを考えると、大変だと思う。これまでのマルセルの言行を振り返ると、使用人たちがかかわりたくないと考えるのは当然のことで、マルセルにかかわる度に神経をすり減らすのもわかる。
けど、今の俺は旧マルセルではない。
外見はどうであれ、中身は平々凡々な、ブラックな職場で使い潰されるような一大学生に過ぎない。使用人たちの態度に晒される度に、俺の精神もガリガリゴリゴリと削られていくのである。
日が経つにつれ、ノートに書き出していくマルセルについての情報が増えていった。原作やアニメ、ファンブックなどに記載されていることを、だ。
不人気キャラゆえ漫画の中では描かれてはいないが、マルセルにも過去はある。作中第一部――公式には学院編、俗に少年編と呼ばれている――で主人公アクロスが目指す魔法騎士になるために騎士学院に入学するが、それはマルセルだって同じだ。
魔法騎士候補としてのマルセルは、公爵家という血筋もあって優秀な部類に入った。
だが優秀なはずのマルセルは、その実、常に劣等感に苛まれていたのだ。兄で長男の魔法の才はマルセルを遥かに上回っていたからである。魔法だけでなく、運動や学業なども含むあらゆる面で、長兄と比較され、劣っていることを見せつけられてきた。
加えて初恋の件もある。マルセルの初恋はとある貴族令嬢が相手で、彼女は嫌われ者として有名なマルセルにも優しくしてくれた、数少ない女性の一人だ。
マルセルが彼女に恋をするのに時間はかからず、そして彼女がマルセルを見ていないことに気付くことはなかった。気付いたのは兄が婚約発表した瞬間である。
全てにおいて自分を上回る兄の隣にいたのは、初恋の人だったのだ。なんのことはない。彼女は家族に接する気持ちでマルセルと話していたのだった。
マルセル自身は十二使徒を宿していることへの特権意識を持っていたが、公爵家は十二使徒アディーンの器としての役目を持っていることから、マルセル以外の公爵家の人間は特別なことではないと受け止めていた。つまり、アディーンの存在もマルセルの立場を補強する効果はなかったのだ。
これらのことが重なり、マルセルはどう努力しても届かない鬱憤を晴らすために使用人たちを、平民や他の弱い人たちをイジメ始めたのである。
神経が細いというアディーンの評は、決して間違ってはいない。劣等感の裏返しとして、自分よりも弱いものを攻撃し、年を重ねるにつれてエスカレートさせて、後戻りできない場所にまで自ら転がり落ちていく。
「うががが」
髪の毛がまばらになった両側頭部を容赦なく襲ってくる頭痛に苦しんでいると、
『中身が変わっても神経細いんは変わらへんのかい。難儀なやっちゃなぁ』
………………なん、だと?
『中身が変わっても神経細いんは変わらへんのかい。難儀なやっちゃなぁ』
もう一度、とばかりに呆れの強いアディーンの声が心に刺さる。
『中身が変わっても、言うたんやぞ』
「そこまで知っご存じなのですか!?」
『よろしい。そら自分の中におるんやから、中身が変わったことくらいわかるがな』
ぎらり、と光を放つ猫の爪が俺の目の前に迫る。
『何でやり直ししとるねん思うとったら、いきなり血ぃ吐きよって、ほんで「あ、死によった」て魂が抜けたん見とったら、別の魂――自分のことやな――がポップアップしてきよったんや。せやから入れ物が同じなだけの別人いうんはわかっとる。後は、自分が垂れ流しとる考えから拾えた情報くらいやな。自分がどっか別の世界から来たっつーこともわかっとるで』
ポップアップ、て湧いて出てきたみたいに言うのは止めていただきたい。
世界は複数あって、別の世界に渡る生物が出ることは珍しいことではないらしい。
「いや、あの、いいんですか? 本物のマルセルじゃなくても。つかこの体の中にいるんですよね? 助けなくてよかったんですか?」
『あーかまへんかまへん。さっきも言うたけど、マルセルのダアホは死んだほうが世のため人のためになるような最低の奴や。ちぃっとでも真人間になるんやったら、入れ替わりなんかいくらでも許容したるわい』
今更改めて確認するまでのことはないが、マルセルへの評価は随分と酷い。概ね「アクロス」ファンの評価と一致しているけど。それだと俺がこの体に居続けてもいいのだろうか。聞いてみると、
『別にええよ』
実にあっさりとした返事であった。マルセルの肉体が死ぬと、アディーンもこの体から出て行かなくてはならず、出ていったら次は新たな宿主を探さなければならない。これが面倒くさいとのことだ。
「いいのかそれで」
『ええ言うとるやろ。出て行きたいんやったらそれでも構へんけど……そやけど自分、今、マルセルの体から出たら死ぬんちゃうか。こっちに魂が来とるいうことは向こうでも死んどるいうことやろうし』
「なに、この不公平極まる選択肢!?」
破滅エンドしかないマルセルとして生きるか、さもなくば死かって。いくらなんでも酷くないか。
『前世で仏像泥棒でもしたんちゃうか?』
「そんな大それた犯罪はしてねえよ!」
『あ゛?』
「しておりませんですよ」
言葉遣いを間違えたからといって顔を近付けてくるのは勘弁してくれ、いや、勘弁してください。
俺がこれまでに犯した犯罪といえば、信号無視と立ちション、小学生時分のスカートめくりくらいだ。スカートめくりに至っては、学級裁判でつるし上げを受けて、小学生女子の恐ろしさを骨身に叩き込まれた記憶もついてくる。女が怖い生き物であることを思い知った瞬間であった。
怖いけど、今はもっと大事な問題がある。このアディーンが本当に考えていることがわかるのなら、ウソかどうかもわかるってことだろう。俺がこの世界のことを知っていること、それと
『わいらのこの世界が漫画たらいう娯楽の世界いうやつか。ちょっと信じられへん話やけど……自分は嘘ついとらんようやし、色々と持っとる不自然な知識にも合点がいく。ま、そないなこと言われてもどないしょうもあらへん。大事なんは自分がどうしたいんかっちゅうとこやろ』
「俺は」
どうするかなんて、改めて問われなくとも決まっている。
「破滅エンド回避。これしかない」
『ほうほう』
これがゲームなら、もしかするとマルチエンディングが採用されていて、マルセルが生き残るパターンがあるかもしれない。
けれど漫画世界ではストーリーは一つだけ。ゲーム化された際も見事に死んでいる。漫画本編のみならず、二次創作においてもマルセルたち三人組が生き残る例はほとんどない。マルセルが登場する二次創作自体が滅多に出てこないのに、それでも殺されるのだ。
執筆者の鬱憤晴らしとしか思えない仕打ちである。