第七十七話 従魔を喚ぼう
どこかで聞いたことのある名前だ、と思っていたら、記憶の中に転がっていた。原作知識ではなく、こっちの世界に来てから得た知識である。
「イカルスって死霊王イカルスですか?」
『やっぱり知っとったんやないかい、つまらんやっちゃの』
「いや、知りませんよ。俺が知ってるのは学院で薄ボンヤリと聞いたことがあるくらいで、確か死霊を束ねるアンデッドの王って話だけですよ」
『あん? なんや、今の自分らの間ではそんな風に伝わっとるんかい。あいつ自身はアンデッドちゃうで』
死霊王イカルスは、あくまでもアンデッドを従えた人間であるとのことだ。本人も従魔がアンデッドだったときには、かなり落ち込んだらしい。
そりゃそうだ。従魔は一人前の魔法騎士の証とされ、従魔を持っていない魔法騎士などいない。魔法騎士として活躍する、そのための相棒がアンデッドだなんてショックも大きいだろう。
アンデッドと契約するだけならまだよかった。イカルスの場合、個体契約を成した相手が悪かった。従魔は契約者から魔力の提供を受けることが多々あるが、アンデッドの場合は魔力に加えて生気を吸収することがある。
『イカルスっちゅうんは才能に溢れ、有する魔力もかなりのもんやった。せやけど個体契約の相手がヤバかったんや。あ、別に悪霊とはちゃうからな? 単にアンデッドとしては強力すぎて、未熟やったイカルスの生命力をゴッソリ吸ってもうたんや』
生命力を吸われ過ぎた結果、元はシルフィード並みに贅肉を蓄えた体をしていたイカルスは、ガッリガリの骨と皮だけの姿に変わり果て、肌は土気色、窪んだ眼球だけが野心に爛々と輝くような人相となった。
そんな人相だから、当時の人々は「イカルス本人もアンデッドである」と勘違いしたのであった。
「授業で聞いただけだけどさ、イカルスってかなり強力な魔法騎士だったんだろ? それでも扱いきれなかったのかよ」
『基本的に生者と死者やさかいな。相性が決定的に悪いわ。それにイカルスが契約に成功してしもうたんはスカルドラゴンや。アンデッドの位階で六位か七位やったんちゃうかな、リッチよりも格上の奴やで。いくら優秀な魔法騎士でも手に負えんわな』
「そんなのと契約してしまう可能性があるんですけどね」
『自分に限ってはその可能性は低い思うで? 従魔は契約者の性質や適性によって決まるんや。イカルスは世のすべてを逆恨みしとって、自分が成功も努力もせん理由を自分の外にばっか求める陰険で陰湿で陰気な奴やった。ああ、別に自分のことを揶揄しとんのとちゃうからな?』
間違いなく揶揄している。
聞く限り、イカルスは原作マルセルと似たような性格で性質だったようだ。
今は中身が違う、が不安は増してくる。もしアンデッドと契約してしまうのな事態になったらどうしよう。
いっそ従魔契約をしないことも選択の一つだ。従魔を持たない史上初の魔法騎士として歴史に名を残すことになるけど、命は多少の不名誉よりもずっと重い筈だ。
「いや、でもなあ、いざのときの切り札は欲しいし。アンデッドが出たら契約しなければそれでいいかな」
『うっわ、自分の都合で呼び出しといて、嫌やったら顔見るだけで追い返すとか……こいつ、ほんま酷いやっちゃで』
「ぐ、確かに……自分が希望する相手を引き当てるまでリセットを繰り返すのはゲーマーとしての流儀に反する気がするし」
逆の意見があることも承知しているが、俺の意見とは相いれない。
ナイフで指先を切る。零れ出た血の雫が魔法陣の上に落ちた。ごく微量のはずの血液は魔法陣の式に浸み込み、数十秒を経て白かった魔法陣は赤い輝きを放つ。
準備は万端。始めるか。
「我が名はマルセル・サンバルカン、汝らと契約を望むもの。我が求めに応じ、我が前に姿を現し給え」
従魔契約に用いる文言は多少の差こそあれ、単純なものだ。他に必要なのは正確な式と、契約希望者の血液と魔力。これさえあれば契約は成就される。頼むぞ、鳥、鳥鳥鳥ぃいいいい。
『いや、必死過ぎるやろ』
「死活問題ですので!?」
魔法陣が強く輝き、俺の魔力が魔法陣に行きわたったことが見てとれる。魔法陣の中心から俺のものとは別の、異質な魔力が溢れだす。
溢れ出る魔力の量は加速度的に増していく。魔力の圧が俺の顔を叩き、部屋の空気を打ち、地下室が揺れる。溢れた魔力が一気に魔法陣の中心に向けて収束する。
召喚の儀式は間もなく終わり。すべての魔力が中心に集まり切ったら従魔がこの場に現れる。何者が現れるのだろうか。
鳥であってほしい。鳥でなくとも飛行能力があるものであれば許す。飛行能力がなくとも、戦場とか敵の前から素早く脱出できる機動力があるならそれでいい。
アンデッドは、頼むからやめてくれ。いいイメージがまったく浮かばないし、機敏なアンデッドなんて想像しにくいからな。
「っっ来い、我が新たな友達よ!」
収束していた光が弾け――――唐突な疑問と不安に襲われた。
光が徐々に薄れていく、と共に猛烈に嫌な予感が膨らんでいく。光の向こう側から感じる気配は、アンデッドのような禍々しさとは縁がない。
一先ずは安心、と息を吐き出すべき。なのだが素直に安心できな自分がいる。
光の向こうからは魔力の圧を感じない。ドラゴンもフェニックスもフェンリルも、もっと弱いゴブリン程度の魔物でも魔力は持っている。感じ取れないのはどういうわけか。
「ゼロの魔物」。
一瞬、ほんの一瞬だけ、碌でもない名前が脳裏をよぎる。
この言葉を思い浮かべるだけで、背筋に冷たい汗が伝う。下手に原作知識があるせいで、どうしようもない勢いで不安が広がる。原作でも有効な対抗手段は示されたことがない相手だ。弱点らしい弱点もない。
ストーリー的には復活した「ゼロの魔物」を前に、「このまま再封印しても、また封印が解かれる事態が起きるかもしれない。だったら今度こそ打ち滅ぼしてしまおう」という展開だ。
熱く主張するのは主人公で、クライマックスに向けて一気に進んでいくのである。
唾を飲み込む音が耳に届いた。
「ゼロの魔物」は、原作でラスボスに位置付けられている。黄昏の獣たちが召喚した最悪の魔物。虚無の魔物とも呼ばれ、魔聖ダリュクスが十二に裂き、裂いた十二の欠片を自分の従魔に移植した。
生まれたのがアディーン様を含む十二使徒であり、ダリュクスと十二使徒全員、更には自然や星辰の力まで使って封印を施していた、それほどの存在が「ゼロの魔物」なのだ。
主人公と仲間たちを、その軍勢ごと容易く吹き飛ばすほどの圧倒的な暴力を有しながら、主人公たちの誰も、ゼロの魔物の魔力や気配を感知することができなかった。
最初から魔力を持っていないのか。魔法を使っているのだから魔力は持っているはずで、人間では感じ取ることができないだけなのか。
本当に「ゼロの魔物」が出てきたらどうなる? とてもじゃないが対抗なんてできやしない。原作の終盤も終盤。複数の十二使徒と協力体制を確立させた主人公たちですら、一方的に押されまくるような存在だ。
アディーン様との関係は険悪ではない。原作よりも早い段階で魔装も習得済み。だからといって俺一人の手に終えるような次元ではない。
もしかすると、だが。従魔として「ゼロの魔物」とも契約できる、なんて予想外の展開も考えられるのではなかろうか。
ほら、異世界転生ものの中には、転生した主人公がごく序盤にラスボスと契約して友達になっちゃうケースだってあることだしね。
確かなことは二つ。今、光の向こう側には確かになにかが存在すること。その存在の魔力を感じ取ることができないことだ。
「く、原作の流れを変えたことで、こんな形の変化が生じるなんて」
後悔先に立たず。今更、儀式を中断したところで召喚がキャンセルされることはない。
万が一のときは、アディーン様の力を借りることができればいいのだが――――