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第七十五話 見舞い

 正直なところ、マルセル様のお見舞いに行くと言い出したうちに、周囲の人間は軒並み反対を表明してきた。ギョッとした、目と口を大きく見開き、全身をブルブルふるわせ、口々に引き留めてくれたのだ。


「絶対にやめておきな! どんな無理難題を押し付けてくるかわかったもんじゃないよ」


 と食堂のおばちゃんが言ったかと思えば、


「せっかく入学できたんじゃないか。人生をどぶに捨てるつもりか」


 同じく食堂で働く平民の同級生男子からも強く止められた。


「えっと、皆が言うほど悪い人じゃないと思うんだけど……?」

『『『薬を盛られたか』』』


 なぜそこで一致団結するのか。


 う~ん、あの人はホント、どんな風に思われているんだろうか。大体、というかかなり正確に知ってはいるけどね。


 両眼に涙を溜めて首を横に振る平民生徒の友人もいたし、胸の前で手を組んで祈りを捧げてくる人もいた。かく言ううち自身も、今回の件がなければマルセル様のことを低く評価したままだったろう。


 最低最悪最劣のクズ貴族。権力と身分を笠に着て、他人を踏み躙ることしかしない、人間の善性や良いところをすべて捨て去って、悪意の汚泥を差別感情の窯で焼き上げた人としての失敗作。


 この評判を鵜呑みにしていたことは疑いない。事実、あの日、食堂で会うまではそう思っていたのだから。


「お見舞いは止めたほうがいいんじゃないか? ほら、平民が行っても貴族は喜ばないだろ?」

「助けてもらったお礼もしたいからね」

「いやでも追い返されるかもしれないし」

「追い返すくらいの元気があるってわかったら十分」

「いやいやでもでも、どうせまた食堂で会えるだろうし?」

「また会えることとお見舞いに行くのは別の問題でしょ」

「いやいやいや、でもだな」

「もう、そこまで! ストップ! うちは、マルセル様の、お見舞いに、行く。これは決定! いい!?」


 よくはない。その場の誰の顔もそう物語っていた。


 正直、気持ちは痛いほどわかる。うちだって、今回の事件がなければ、マルセル様への評価を変えることはなかった。


 けど今は、マルセル様が噂通りの人物ではないことを知っている。引き止める友人や同僚をなんとか押し留めて、うちはサンバルカン公爵家が保有する王都宅に向かった。


 同行者は一人いる。友人? 違う、と思う。


 食堂の同僚? 断じて違う。


 仲間? 微妙だがこれがもっともしっくりくるか。


「ほっほっほ、ニコル嬢、足元には気をつけるでおじゃるよ? そうだ、なんなら麿が手を引かせてもら……不要? そうでおじゃるか」


 豪奢な馬車から降りる際、手を差し伸べてきて、断ったところ盛大に肩を落としているのはクライブ様だ。友人たちが引き留める中、どこからか現れたクライブ様が同行を申し出てきてくれたのである。


 そこからはまさに怒涛。友人や同僚を置き去りにして、あっという間に馬車に乗る流れになり、今はもうマルセル様のお屋敷に到着したところだ。


「これはクライブ様! とこちらのお嬢様は……?」


 驚きの目を向ける門衛に、クライブ様は鷹揚に頷いて見せた。


「うむ、マルセル氏のお見舞いでおじゃるよ。こちらのニコル嬢もな」


 クライブ様の紹介を受け、うちは頭を下げる。門衛も納得したのか、面倒に巻き込まれたくないと考えたのか、王国屈指の名門貴族の館の門は驚くほど簡単に開かれた。


 門扉から玄関までの間にも立派な生垣に石畳、他の樹木も手入れが行き届いていて、うちらの給料何年分がつぎ込まれているのだろうか、とちょっとモヤモヤする。


「ようこそいらっしゃいました、クライブ様、ニコル様」

「え?」


 玄関が開いて驚いた。獣人――獅子人の少女――が出迎えてくれたのだ。貴族は獣人への差別感情が強く、その筆頭とされるサンバルカン公爵家直系の人間が獣人を雇っていることに、とても驚いた。


 屋敷の中の石造りの床にも、敷き詰められた絨毯にも驚かされたけど。本当、お金というのはあるところにはあるものだ。


「こちらです。若様、お見舞いの方がお見えになられました」

 ――――ああ、入ってくれ。


 さて、マルセル様は元気にしているのだろうか。





 天にも舞い上がる気持ちとはこのことか。まさかニコルが見舞いに来てくれるとは。


「こんにちわ、マルセル様。お加減はいかがですか」

「ああ、こっちはいたって元気だよ。俺のことよりもニコルさん、君の方こそどうなんだ? はっきり言って、俺よりも重傷だったろ?」

「うちは平気。シルフィード様の回復術? と、あいつを倒してくれたマルセル様のおかげでね」


 ニコルの微笑みが俺の心臓を打ち抜く。原作だと死亡していた人気者がこうして今は生きて笑いかけてくれる。感無量だ。


 ただニコルの後ろで、「麿は!? 麿も戦ったでおじゃるよ!?」みたいな顔で愕然としているクライブはちょっと余計だ。見舞いにかこつけてニコルに同行までして、盛んにアプローチを仕掛けているようだが効果は今一つ出ていない様子。


「そうか。何にしろ、お互いに元気でなにより……づぅっ」

「ちょ、マルセル様、大丈夫なの!?」


 ニコルがすぐ近くまで駆け寄ってくる。心拍が跳ね上がって、それだけで血管痛が三割増しになった。


「おごご……だ、ダイジョブ。筋肉痛が酷いだけだから」

「うちが勝手に動いたからだよね、ごめん」

「気にしなくていいよ。村を助ける作戦には全員が同意していた。君が戻ってきたにしても、作戦を指揮したのは俺だから、この場合は俺とシルフィードとクライブに監督責任がある」

「そうでおじゃる。ニコル嬢の気持ちや思いを組まずに、頭ごなしに命令したこっちが悪いのでおじゃるよ」


 クライブ、お前がその類のセリフを口にするだろうことは予想がついていたよ。作戦は成功、村人たちは助けることができ、悪漢共を倒すことができたのだから良しとする。


「残念だったのは実習の成績が悪かったことくらいだよ」

「もう、マルセル様は」


 変に格好をつける、とニコルは苦笑した。


「マルセル様」

「ひっ、ラ、ラウラか。どうした?」

「なぜそんなに怯えるのですか? 公爵閣下よりお手紙です」

「お、おう、そうか」


 恐る恐るラウラから手紙を受け取る。正直、ラウラがどこまで報告したのか気が気でない、がそんなことを聞けばラウラの正体に感づいていることを察せられるかもしれない。


 内心のもどかしさと未来への警戒からびくびくしながら手紙を受け取るくらいは見逃してほしいものだ。


「公爵閣下って、マルセル様のお父さんだよね? そんな怖い人なの?」

「いや、そういうわけじゃないんだけど」


 怖いのはラウラのほうです、などと口にできるわけもなく、俺は封書を開く。


 ――――たかが実習如きで停学処分を受けるとは何事か。しかも平民共を助けるために処分を受けるなどと、公爵家の人間として恥を知れ。


 良かった。どうやらラウラは俺の色々を報告していないらしい。どんな思惑があるのか深読みしていくと、より背筋が寒くなるけど、とりあえず破滅フラグの回収はしていないようで一安心である。


「ふう」

「マルセル様?」


 安堵の息を吐いた俺に、ニコルが顔を近付けてきた。これ以上、俺の心拍を上げないでほしい。少し離れた場所では、クライブの顔が引きつっているじゃないか。


「なにか、うちのせいで酷いことを書かれてたりとかしてましたか?」

「いやいや、予想通りに最低なことを書いていただけだったから、逆に安心しただけだよ」


 父親からの手紙は丸めてごみ箱に投げる。狙いが外れて床に落ちると、奇妙な沈黙が室内に満ちた。トテトテとクリスが近付き、拾う。


「ボクがすてようか、若さま?」

「お願いします」

「よろしいのですか、若様?」

「いいよ、相手にするだけ時間の無駄だ」


 ラウラが報告していないことは確認できた。親父殿の反応は完全に予想通り。大事に取っておくようなものでもなし、あんなものはさっさと捨てるに限る。


 まずは休養を兼ねてゆっくりするさ、と俺は体を横にし、


「すてたよ、若さま!」

「ぐぇっぶふ!」


 そこにクリスが飛び乗ってきて、俺はカエルのように呻いたのだった。


「ちょ、クリス!? 若様、大丈夫ですか?」

「坊ちゃま!」

「さすがラウラの後輩、よくやりました」

「ママ、マルセル様!? 今、変な声が!?」


 追記。一応仮にも婚約者のビヴァリーの見舞いはなかったよ。

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