第七十三話 ラウラの決断
意識を失ったマルセルが地面に倒れ伏すよりも先に、ラウラはマルセルを支えることに成功する。驚くぐらいにスムーズに体が動いたことを自覚した。
自分よりも重い相手を支えながら、ラウラは思う。
今回の件は、この仮初の主の動きがなければ解決できなかっただろう、と。光の魔力に覚醒したとはいえ、アクロスはまだまだ未熟。光属性以外の魔法は碌に使えない。
班員のエクスもアクロス同様に血気に逸る傾向にある。お家再興の立場から名誉を優先する傾向も強い。
ビヴァリーも弱者が虐げられている事実があると、性格や気質から、実力を考えずに暴走する可能性が高いだろう。
調査対象であるアクロスの班員ということで、調査を施したニコルも、その背景を考えると、とても冷静な判断ができるとは思えなかった。
同行しているエイナールは優秀だが、これが実習であることから、ギリギリまで動くことはない。
そして、あの《スレイヤーソード》の実力を踏まえると、エイナールが動かないでいる間に死者が出ることは容易に想像できる。
実戦経験豊富なエイナールにしても、いや、学院側にしても今回の事件は予想外だろう。
実習を遠くから見守るあまり、エイナールは完全に出遅れていた。ここにマルセルがいなければ、ラウラ自身を含む全員が死んでいた可能性が高い。
辛うじて生き残れそうなのは、回復技術に長けたシルフィードくらいか。
チラリ。物言わぬ躯となった《スレイヤーソード》に目をやる。
この男は一体、何者なのだろうか。ラウラの疑問に答えてくれる相手はいない。
発言からわかったことは限られている。一つ、何らかの巨大な組織に所属していること。二つ、マルセル・サンバルカンの中に宿る十二使徒を狙っていること。
これ以外のことはわからない。
上層部に報告し、シャールズベリとしても動く必要があると思われる。《スレイヤーソード》についてはこれ以上のことはどうしようもない。
だから、気にしなければならないのはマルセルのほうだ。
あの日、目を覚まして以降の彼は明らかに変わった。
世に存在するあらゆる悪口雑言をぶつけてもまだ足りないほどの、最低最悪最劣のバカ貴族の見本だったような彼が、過去の己を省み、これからの己に真剣に思いを馳せるようになるとは。
平民のカリーヌを、獣人のアリアたちを、貧困層のニコルを受け入れるとは、予想外にも程がある。
口先だけで生まれ変わると宣言しただけで、すぐにボロを出すと思っていたのに、明らかに行動が伴っている。あまりの変化に、偽物の可能性あり、と報告書に記載し、すぐに消したことはラウラだけの秘密だ。
今回の実習に権力を使って自分たちの班を捻じ込んで来たときには、やはりか、と失望と同時に得心もいったものだが、仲間たちを守るために命懸けで戦う姿を見せられることになるとは思いもしなかった。
気になるのは、どうしてこの実習に介入してきたのか、だ。
最初は恥をかかされたアクロスに復讐するためだとばかり思っていた。警戒して見張っていたが、マルセルはむしろ、アクロスからは距離をとっていたのである。
アクロスだけでなく、婚約者のビヴァリーともだ。嫌われているとも知らずに、ビヴァリーにべた惚れ状態だったマルセルは見ていて滑稽でしかなかったのに、自分から話しかけることすらしていなかった。
現実を思い知ったのかとも思ったが、彼はビヴァリーに興味の欠片も向けていなかったのだ。
この実習中、マルセルが意識の多くを割いていたのは、ニコルだった。どうにかして彼女を守ろうと、危険から遠ざけようとしていたように映る。
過去に面識はなかったように思える。いや、食堂で出会ったのかもしれない。
だとすると、これはマルセルにとっての恋ということなのだろうか。ニコルに恋をしたからこそ、彼女を守るために様々な行動を採ったのではなかろうか。
婚約者がいながら別の女性に恋をするとは、褒められたことではないが、ビヴァリーとの婚約は不幸しか呼ばないだろうし、仮に結婚までこぎつけたところで破綻は避けられない。
婚約破棄になれば、少なくともビヴァリーにとっては幸せなことだ。マルセルにとっては、滑稽さが増すだけで失点は増えるわけでもない。
ということは、マルセルとクライブは恋敵になるわけだ。
権力を悪用する貴族のバカ息子同士、女を巡って潰し合うというのなら王国の未来にとっては有益なことだ。民に被害が及ばない限り、好き勝手にやってもらいたい。
しかし、だ。
ニコルとお近づきになりたいがために、他班の実習に割り込んできたのなら、公私の別をつけられないわけだから、やはり軽蔑すべきことである。
激戦の末にニコルや班員の全員を助けたといっても、それは結果論。自分のために権力を振るい、自分勝手な行動を押し通すだけの実力を持っている。
王国の治安を暗部から担うシャールズベリの人間としては、大きな問題を抱えることになったわけだ。
「本当にこの人は、どれだけの厄介事をこちらに回してくるのか」
意識のないマルセルに、警戒と困惑の視線を向ける。
悩み事のなさそうな顔。本当はかなり色々と考えていることを知ってはいるが、一見すると悩み事がなさそうに見えて、少しだけイラつく。
小突くか、支えを解いて投げるか、どっちにするか考えて、鼻をつまむことにした。眉をしかめる雇い主の顔を見て、少しだけ溜飲が下がった気がする。
どこからどこまでを上に報告するべきか、頭を悩ます。
実習に正体不明の男が乱入してきたこと、は報告しなければならない。本来の実習からはまったく違うものになったこと、アクロスたちの判断は任務放棄に繋がることだった、指揮系統を考えずに勝手な行動が目立ったこと。
これらは報告する必要がある。
マルセルが属性融合を使ったことは、判断に迷う。性格の腐っているマルセルが十二使徒の宿主であること自体、王国は危険視している。
加えて属性融合魔法だ。一体、どう報告しろと言うのか。
あんな、伝説や英雄譚の中でしか存在しないような、ふざけた魔法。報告したところで信じてもらえるとも思えない。
証言があれば別だろうが、すっとぼけられたら終いだ。厳しく追及するよりも、「そうだよな、属性融合なんてありえないよな」と納得する方向に傾く可能性のほうが圧倒的に高い。
属性融合というのは、言葉だけが存在する、夢物語のような技術なのだ。現実に目の当たりにして尚、信じられない。それほどの技法を、マルセルは習得している。
仮に信じてもらえたならどうなるか。マルセルの過去の言行から封印指定は避けられそうにない。
以前のマルセルなら、封印指定を受けようとどこかのサナトリウムに生涯幽閉をされようと、知ったことではなかった。これで一つ、王国が平和になったと高く評価しただろう。
だが今のマルセルは、変わろうと必死になっている。文字通りの必死だ。なにかに追い立てられているかのような切迫感や、ある種の悲壮感すら漂っている。
年齢的なことも考慮して、変わろうと努力し、実際に少しずつでも変わっていることを知っている身としては、封印などの処理は些か可哀そうだと思う。
驚くべきこととして、マルセルはアディーン様との意思疎通を図ることができる。過去の宿主の中にも十二使徒と会話ができたものは、ほとんどいない。歴代の中でもマルセルは異例中の異例だろう。
どうにも、十二使徒様への敬意に著しく欠けているが。
「……属性融合についてはまだ報告はしないでおきましょう」
懸念がある。属性融合は史上に使えた例はほとんどない。
一説には十二使徒から授けられる魔法だとも言われている。つまり、マルセルはアディーン様から属性融合は授けられたのではないか、とも考えられるわけだ。
通常なら十二使徒がマルセルを助けるために動くとは考え難いが、それだけの信頼関係を築いたのなら、強引な封印処理が暴発を招かないとは断言できない。
少なくとも今はまだ、マルセルに封印や隔離などの処理は必要ないから、とラウラは自らを納得させることにどうにか成功した。