第七十二話 とりあえず良し、ということで
音を立てて倒れる《スレイヤーソード》の姿と、炎で解けた剣片の数々が動かないこと。この二つをどうにか、且つ三度確認してから、俺の膝も力を失う。
膝だけじゃなくて全身から、スッキリはっきりと力が抜け落ちた。
「ちょぉっ、マルセル殿!?」
「シルフィード様は治療の継続を」
ラウラが駆け寄ってくる、が俺は膝をついたまま、ラウラを手で制した。戸惑うラウラをそのままに、文字通り這いずってシルフィードたちに、正しくはニコルに近付く。めっちゃしんどい。
ラウラを警戒しての行動だったけど、こんなことなら大人しく肩でも借りればよかったかな。
時間をかけてやっと近付き、未だ倒れたままのニコルを覗き込む。
少なくとも顔色は、土気色ではなく生気が見てとれる。
「彼女の様子は?」
「ぶふぅ、僕は正式な医者というわけではないけどね、それでも問題はないと判断するよ」
魔力糸を使って体内部の出血箇所の縫合は終わり、体腔に溜まっていた体液の排出も済んだ。脳や他の臓器にも重大な損傷はないとのこと。呼吸に心拍も落ち着いていると言う。
「君が敵を引き受けてくれたおかげだ。命の危機は脱している。アクロス君もエクス君もなんとかなった。クライブ殿も意識を失っていても命に別状はなさそうだし、僕の見立てだと一番の重傷はマルセル殿、君だと思うよ」
医学や救命については素人の俺でも、ニコルの顔色が良いものだとはわかる。服は赤く染まっているし、地面にも赤いシミがあるけど、ニコル自身の出血は止まっている。ドラマや映画で見るような痙攣もなく、呼吸も落ち着いている、ようだ。
視線を移し《スレイヤーソード》に返り討ちにあったクライブを見るが、ダメージが大きいのか気を失っている。失っているだけで、こちらもシルフィードの見立ては正しいようで、素人目で見る限りでも、命に別状はなさそうだ。
「ぶひ、それにしても」
「うん?」
顔を上げる、といつになく真剣な顔をしたシルフィードと目が合う。こいつのこんな顔、原作でも人工生命の研究に勤しんでいる時くらいしか見たことがない。
真剣な顔つきなのに、誠実さを感じ取れないのは、原作知識がいらんバイアスをかけてきているからだろうか。
「どうかしたか?」
「先程のマルセル殿が使った魔法……もしかしてあれは属性融合なのかな?」
「! わかったのか、さすがだな」
「ぶふ! さすがなのはマルセル殿だよ。まさか伝説の魔法にお目にかかれるとは!」
「秘密にしておいてくれ。ばれると色々と厄介そうだ」
確実に厄介なことになる。
実家に知られると、間違いなく兄デュアルドの不興を買う。公爵家の後継を自任している兄にとって、属性融合という伝説の魔法は脅威に映るに違いない。ましてや、使用者が愚弟と軽んじていた相手なら尚更。
跡目を巡って血で血を洗う展開など、それこそエンタメや歴史の中だけで十分である。
悪役貴族の内輪揉めなど、この先の数百年後くらいにはドキュメンタリーで特集されたり映画化されたりする機会もあるだろうが、こっちとしては心底、ご免被りたい展開だ。
親父殿に知られたなら、権力の中枢に返り咲くための道具として、最大限に利用されること請け合いだ。当然、その過程で大量のヘイトを買うことになるだろう。
では王国に知られたら? 脱悪役、脱破滅、脱死亡エンドに近付くか?
とてもそうは思えない。家の権力を使ってこの実習に強引に割り込んだ俺だ。伝説の魔法が使えると知れようものなら、国家からの警戒度が跳ね上がるだけである。
これまでせっせと積み上げてきた悪行もあることだし、封印指定でも受けて幽閉されそうだ。
チロリ、と僅かに視線を動かした。ラウラが怪訝なのか憮然なのか警戒なのか、確かなことは一つ、信頼からはもっとも遠い場所に立って、腕組みをしていること。
止むを得なかったとはいえ、シャールズベリの構成員に属性融合を見られたことは、返す返すも痛恨事。魔装だけで決着がつくならよかった。
でも属性融合を使わなければ《スレイヤーソード》を倒すことはできなかったし、《スレイヤーソード》を倒せない場合はこっちが皆殺しにされていた。命、大事。
「ぶひ、君のご家族のことを考えると確かに、秘密にしておいたほうがいいかもね。けど僕はいいとして、彼女はどうするんだい?」
シルフィードの視線もまた動く。視線だけが動いたのは、脂肪が多すぎて首が動かなかったのかもしれない。
「ラウラか……彼女なら問題ない。俺から言い含めておく」
「なら安心だね」
どこにも安心できる要素がない!
どれだけ脅し付けようが命令しようが、ラウラは間違いなく上に報告する。これが悪役三人組みたいな連中だったら、金に飽かして買収することもできるのに。仕事に対して真面目なラウラを買収することは不可能だ。
必死に頼み込んだら口外しないでいてくれ、そうもないな。
懸命に戦った結果がこれってどういうことなのよ。
カリ、と音がした。音源に首を向けると、倒れ伏した《スレイヤーソード》がカッと目を見開いた。
「づ、……く、そ……」
なんという生命力。原作終盤のものと比べると低威力にしろ、属性融合魔法の直撃だぞ? 奴の武器である剣片は一つ残らず溶けたというのに、奴自身の肉体は魔力で覆われて何とか守り切ったのだ。
守ったとしても一時的だ。致命傷であることは変わりない。全身の皮膚は焼け爛れ、気管も焼かれていてまともに声も出ていない。
恐ろしいのは両目だけ。奴の両目は、死を目前にした今でも爛々と殺意に輝いている。
「小僧如っき、に不覚を取……とは、な。だが安、心などすっなよ……俺の敗、北は直、に知られ…………ること、なる。貴、様が十二使……徒を宿してい、限り…………貴に……安息の日が訪れ…………こと、どない……と知、れっ!」
それで終わった。
最後の力を振り絞り、《スレイヤーソード》は絶命した。
何度でも返り討ちにしてやる、とは言えない。俺の目的は世界の平和ではなく、あくまでも俺自身の安寧だ。破滅からも死の恐怖からも逃れ、伯爵位程度の地位で安穏とした生活を送りたい。
アディーン様からは伯爵の地位でも大それたものであると言われたし、結構な努力を積み重ねてきたつもりでも、破滅フラグをへし折ることはできていないし、フラグから遠ざかることができたとも断言することができない。
なんて微妙な状況だ。なんだろう、限界まで力を振り絞ると死亡する気がしてきたよ。
黄昏の獣たちが相手にするのは破滅フラグ持ちなんかじゃなく、主人公だと教えてやることができれば、どんなにか楽なことか。
教えたところでアディーン様が俺の中にいる限り、狙われ続けるだろうけど。
かくして、村を占拠していた悪漢どもと、それを利用していた黄昏の獣たちの目論見を食い止めることができた。
しかし俺は知っている。今回の件は世界を巻き込む巨大な災厄の端緒でしかないことを。
黄昏の獣たちの尻尾があれば避けるようにしたかったのが本音。よもや尻尾を踏みつけてしまうとは。黄昏の獣たちそのものと正面からぶつかることは、もはや避けられない運命にでもなりそうだ。
いや、アディーン様の宿主が俺であることを考えると、遅かれ早かれ、直接対決は避けられそうにない。ちょっと前倒しになっただけだと考えることにしておこう。
……ダメだ、吐きそう。
とりあえず、この場でもっとも喜ばしいことを挙げるとするならそれは一つ。俺の、俺たちのすぐ近くで、落ち着いて穏やかな呼吸をしている少女のことだ。
「ニコルが助かったんだ。それだけで、良しとするべきだよな」
自分の中で及第点をつけ、俺の意識は暗闇の中に転落していった。




