第七十話 切り札を切る
『『『ニコル!?』』』
口々にニコルの名を呼ぶ、がニコルはダメージのショックなのか、半ば以上の意識を手放している。「ニコル嬢!」と呼びかけるクライブの声に、僅かながら視線を向けるが、目蓋が少しずつ閉じられていく。
「ニ、ニコル嬢! しっかり! しっ、かり……」
クライブが声を張り上げて呼びかけ、ニコルの肩を揺さぶる。だが半分ほど閉じられたニコルの目に残る光もまた、徐々にだが確実に弱くなっていく。
「ニコル嬢!?」
クライブの必死の呼びかけも、流れていくニコルの命を繋ぐ留めるには足りない。
凶刃からシルフィードを庇って数十秒。誰の目にも、ニコルの命が急速に尽きそうになっているのは明らかだった。
くそったれ、なにをどうやっても運命や流れには抗えないってことなのか。
俺自身は原作の流れを超えることができているかもしれないが、俺以外の人間については、こっちの努力も思惑も一瞬で蹴散らされ、無力感が圧し掛かってくる。
「お」
ニコルを見下ろしていたクライブの目が、《スレイヤーソード》に叩きつけられた。
「おのれ下郎がぁぁああああぁっ!」
ビリィッ! 咆哮と共にクライブの衣服が裂け飛んだ。
急激な筋力強化と筋肥大、拳を握りしめて《スレイヤーソード》目掛けて突進する。振り下ろされた拳の威力は凄まじく、地面は陥没し吹き飛び、直径三メートルに届く大穴を作った。
「学生如きが!」
動かぬ地面なら砕けても、経験でも実力でも勝る《スレイヤーソード》には届かない。余裕を持って回避され、振るわれた無数の剣片がクライブを貫く。
「ぐふっ、お、おのれ!」
「なに!」
血を吐きながら振り回されたクライブの腕が《スレイヤーソード》の右腕を叩く。規格外の筋力強化が施された腕だ。クライブの一撃は《スレイヤーソード》の右腕を、握る柄諸共に砕いた。
倒れるクライブ、を人形セルベリアが救いだし、《スレイヤーソード》から十分な間合いを確保する。
「シルフィード!」
「ぶふ、クライブ君は僕が診る! ニコル君もまだ何とかなる! アクロス君たちも僕が診よう!」
「!?」
信じられないセリフを聞いた。原作の流れ通りにニコルを失うのか。ニコルの死は避けられないことなのか。俺を苛む無力感を、同志の言葉が斬り裂く。
「本当か、シルフィード!?」
「十分に間に合う、がここからの僕は回復にかかりきりになる。邪魔をされると……っ」
「わかった。ラウ」
「承知しました」
俺の言葉を最後まで待たずに、ラウラはシルフィードの護衛に入る。
「頼むぞ。俺は」
背後に守る相手がいる。《スレイヤーソード》を睨み付ける目に、より力を込める。動揺はした。後悔にも襲われた。でもその間にだって集中を、準備を途切れさせてはいない。
「炎熱の織り手 編み上げろ 『炎帝の衣』!」
ゴゥ、と炎が噴き上がり、俺自身を飲み込む。次の瞬間には俺は真紅の魔装に身を包んでいた。
「ぶひ!? あれはまさか、魔装!?」
「マルセル様、そこまでっ」
シルフィードとラウラの驚く声が耳に届く。確かにこの年齢での魔装の展開は異例、ではあっても、敵も魔装を使うとなればアドバンテージとは断言できない。
ローブと表現したが、厳密には「魔法騎士が纏う魔力で編んだもの」であって、ローブやマントの形状であるとは限らない。
マルセルの魔装は、炎を模したローブと軽鎧が合わせたようなものになっている。
原作ではエクスは黒い鎧のような魔装に身を包み、黒騎士などという恥ずかしい名前で呼ばれてもいた。他にもビヴァリーなんかは完全に騎士鎧だったし、ラウラはどう見ても忍者だった。
三人組はどうだったって?
シルフィード(理法習得後)は贅を尽くした豪奢極まりない、自身の身長の三倍はある金色の外套。クライブは体にぴっちりとフィットした真っ白タイツに棘付き肩パットだった。マルセルの『炎帝の衣』のように名前もあったけど、うん、そっちは忘れたな。
「っっ! 魔装まで使うか、このガキが! 羽ばたき 切り刻め 『千篇万刃』!」
力ある言葉が紡がれ、《スレイヤーソード》の無数の剣片にさらなる力が張り巡らされていく。
魔装は解放の言葉と、魔装の名を呼ぶことで十全の力を発揮する。だが魔法というものには無詠唱魔法なるものが存在し、魔力によって編まれる魔装もまた、言葉がなくとも発動させることができる。
発動させるだけだ。発動はできても本来の威力を発揮できないのだが、使い手によってはこの限りではない。《スレイヤーソード》ほどの実力者なら、後付けの、後述詠唱であっても本来の力を発揮可能となる。
原作で、主要キャラをはじめとする魔法騎士チーム二つを、同時に敵に回して一歩も引かなかった力。それが俺の目の前で解き放たれたのだ。よりにもよって俺に向けて。
「くたばれ小僧!」
振るわれる、いや、撃ちだされる剣片。銃弾どころか、機関銃めいた速度と威力を有する数百の剣片が襲い来る。巨大な岩が削られ、数瞬で跡形もなく消えた。
「こんなところでくたばる予定はない!」
ついでに原作上のどの地点でも死ぬつもりはない。
俺は右手をかざす。地面を砕き炎の壁が吹き上がる。土砂の混じったマグマのような高音の壁、に剣片が次々に突き刺さっていく。
魔力を帯びた剣片でも、質量を伴う炎の壁を突破するのは困難。
防げた、とは決して思わなかった。《スレイヤーソード》は中距離戦を主戦場とし、しかし魔装を全力展開しているときには近接戦も達人級の戦闘力を示す。
己の周囲一メートルに舞わせた数百数千の剣片を自在に操り、凄まじいまでの攻撃力を発揮する。
中距離戦時よりも高密度になった剣片は、まるで極小規模の台風だ。剣片は《スレイヤーソード》自信を強固に守る鎧になりつつ、熱したナイフでバターを切るように、分厚く硬い岩盤さえも削るのだ。
炎の壁に桁違いの衝撃が叩き込まれた。湖沼の表面に生じた気泡が破裂するかのように、炎の壁の俺の側が大きく膨らみ、そして異音と共に破裂した。
破裂の向こう側からは、殺意ごと剣片を纏った《スレイヤーソード》。突き出されたのは台風の力を持った左拳。
咄嗟に身を捩り、避ける。
回避できた拳は地面に炸裂し、炸裂と同時に拳を覆っていた剣片が渦巻いて拡散、半径二メートルに及ぶ範囲の地面が一瞬で削り消えた。
こんな一撃、直撃すれば人間など一欠片も、DNAすら残らないような気がする。
巨大な穴の中心に《スレイヤーソード》が立ち、まるで勝鬨を上げるかのように左腕を高く掲げた。周囲を舞っていた剣片が再び、《スレイヤーソード》の右腕に集まる。
「背筋が寒くなるな」
無数の、高密度の剣片が光を反射し、不気味に輝く様が否応なく恐怖を掻き立てて――いや、さっきより光が鈍くなっているような気がする。
最高位貴族のマルセルの魔装ならまだしも、と考えたが、《スレイヤーソード》の力には抗しきれない。正直、予想の範囲内とはいえ、もう少しは戦いになって欲しかった。
『なんや、切り札も大して役に立っとらんのとちゃうか』
「今から役に立つんですよ。アディーン様、協力をお願いできますか?」
『ああ、そういうことかいな』
アディーン様は空中で頷いて見せた。どうやら俺が考えていることを正確に把握してくれたようだ。
『結局、属性融合を使いたい言うんやな?』
あっさりと見透かされている。
『確かに、自分の考えてることやったら、うまくいきそうや。事情が事情やさかい、力を貸したってもええんやけど』
「けど?」
『いつになったらアンパンができるんやろうな~』
「王都に戻り次第、全身全霊で探します」
『よっしゃ、取引成立やな』
抉られた大穴の縁に立つ俺と、大穴の中心に立つ《スレイヤーソード》の視線が空中で衝突する。《スレイヤーソード》の顔に、ニタァ、とした笑みが浮かぶ。
勝利でも確信したか? でもそれはこっちも同じだ。