第六十八話 似て非なる展開
この時期の主人公とライバルの関係はわかりやすく反目している。
ライバルが主人公のことを「平民風情が運に恵まれただけで魔法騎士を名乗る愚か者」と罵れば、主人公はライバルに対し「潰れた家にいつまでも縋りついて前を向いていない」と言い返す。
物語開始間もない時期の主人公は、抱く理想と主張ばかりが立派で、行動力はあっても空回りが目立つ上に結果は乏しく、視野が狭いこともあって、せっかくの光の魔力をまったく使いこなせていない。
宝の持ち腐れとはまさに主人公のことだ。
ライバルにとって今の主人公は、友人にも敵にも目標にもなりえない。見下すだけの存在であり、自分の背中に近付いてくるなど思いもよらないほどの小者でしかないのだ。
その程度にしか過ぎない、煩わしいだけで眼中に入っていなかった相手、己よりも明らかに弱い格下の主人公に庇われた。信じられないとの思いも、自失に陥るのも無理はない。
貴族としての誇りも、落ちぶれてしまった家を再興するとの目標も、己は主人公より強いという自負も、自分ならできるという自信も、根こそぎ吹き飛んでしまっている。
己の中の一切が吹き飛んだあとは表情も気概も失い、まさに空虚そのものといった態で突っ立ったまま。
ライバルはゆっくりとした動作で両手を持ち上げ、自らの掌を見る。ライバルの手は赤くなっていた。庇いに入ってきた主人公のものだ。
色を失っていたライバルの瞳でも赤だけは認識できるらしい。両手は小刻みに震え始め、両手の震えは徐々に全身へと広がっていく。
俺はこのシーンを知っている。目の前でニコルを失った衝撃からライバルが覚醒するシーンだ。
本来なら、ニコルに庇われた主人公も同時に力を解放させることになるが、その主人公は甚大なダメージを受けて倒れている。
ニコルを助けることができても、対象が主人公になっても、多少の展開が変わっても、流れ自体は変わらない。
ゴゥッ、と突風が生じた。あまりにも突然に、唐突に、ライバルを中心に魔力を多分に帯びた風が生まれる。
「あああぁぁぁぁっぁぁあああぁっぁあっぁぁぁあああっ!」
嵐を生み出しながら、ライバルは慟哭に一切合切の空気を吐き出す。整った顔が無念と怒りと涙に歪み、風が渦巻いた。うねる風は竜巻というよりも大地を引き裂く竜に似る。
「おい、あれはまさかっ」
原作にもある、ライバルの覚醒だ。闇の魔力にではなく、ビスターリオ公爵家が持つ風の魔力の真なる覚醒。
風の精霊の祝福だ。精霊の加護とは違い、血統に与えられるより強力な力。原作ではニコルの死をきっかけに、今世では主人公の死をきっかけにして覚醒するのか。いや、主人公はまだ死んでいない筈。
吹き荒れる風が一瞬にして凪を思わせるように止まる。半瞬の後、ライバルの両手には風剣が生じていた。《祝福の風剣》だ。
この《風剣》自体は風の魔法の中にもある。だが祝福によって生まれる《風剣》は、魔法の剣とはワケが違う。込められている魔力の量も質も、比較するのもバカバカしい。汎用性も同様だ。
通常の《風剣》は剣として振るうことしかできず、射程距離も精々が槍ぐらいのものでしかない。
対して《祝福の風剣》は数百メートルの射程を持ち、剣の魔力を開放することで風の砲弾や竜巻を起こすこともでき、習熟すれば風を鎧のように纏うこともできるようにもなる。
出鱈目な性能を持つ、確かにあれはビスターリオ公爵家が持つ風の祝福だ。
近しい相手の死を目の当たりに覚醒するのは原作と同じ……違う。あれは俺が知っている覚醒とはちょっと違う。原作では覚醒に際し握るのは、右手に風剣を一本だけだ。今は二刀流。この最初の覚醒は、明らかに原作よりも強い。
しかし。しかし、だ。俺は知識として知っている。二刀を携えるライバルでも《スレイヤーソード》には尚も届かない。ライバルの覚醒は大きな力となり、《スレイヤーソード》をもたじろかせるだけの威力を発揮する。だがそこまでなのだ。
如何にライバルの才能が優れていようと、現状ではまだ覚醒したての、未熟な雛鳥に過ぎない。
つまりは原作と同じ流れになってしまう。覚醒したライバルは、《スレイヤーソード》に戦いを挑み、《スレイヤーソード》を驚かせるに十分な攻撃を見せ、敗れるのだ。
「許せない」
右の風剣の切っ先が《スレイヤーソード》に向けられる。
「こんな平民が……力を大して使いこなせない雑魚に守られるなんて。オレは、オレ自身を許せそうにない」
「やめろエクス! お前じゃ」
勝てる相手じゃない。俺の忠告が声の形になる前に、ライバルは飛び出した。
「絶対に許せない!」
風剣二刀流のエクスが戦場を駆ける。《スレイヤーソード》は《祝福の風剣》の発現にこそ驚きを見せたものの、迫るエクスに対しては口の端を吊り上げた笑みを向けて迎え撃つ。
剣片がうねり、数百の切っ先がライバルに襲いかかる。
ライバルが左の《風剣》を振るうと、剣片は風の圧力に潰された。岩石でも貫く殺意の塊が、覚醒したての子供の魔法に競り負けたのだ。驚くべき風の祝福であり、祝福を使いこなすエクスである。
「ほう! これが《祝福の風剣》か! 我の剣片を歯牙にもかけぬとはなっ」
「驚いている暇はないぞ!」
ライバルは右の《風剣》を振り上げ、振り下ろす。風を切る音さえなく、恐ろしいほどの静かさで鋭利極まりない刃が《スレイヤーソード》の首筋を襲う。
《スレイヤーソード》の剣片が岩をも貫くなら、ライバルが振るう《風剣》は鋼をも斬り裂く。
ましてや鎧も身に着けていない《スレイヤーソード》など、わけもなく袈裟切りにできる。ライバルの確信は火花と共に弾け飛んだ。《スレイヤーソード》の首元と《風剣》の間にある剣片が小さく渦巻いていた。
「な!?」
「驚いている暇はなかったんじゃないのか?」
《スレイヤーソード》の右拳が突き上げられる。拳が纏う剣片は激しく回転し、さながら削岩機だ。殺傷の意思に染まり切った拳がライバルの腹に突き刺さる。
「やばい!」
思わず駆け出した。あれはダメだ。ライバルの腹に風穴が開く、程度で済むはずがない。腹の肉をすべて削り飛ばし、背骨だって吹き飛ばす。血を撒き散らしながら放物線を描いたライバルは大きな音を立てて地面に落ちた。
駆け寄る。おい、やめてくれよ。主人公もライバルも、こんなところで死ぬ運命じゃないだろ。《スレイヤーソード》に殺されるなんて流れ、あってたまるか。
倒れ伏すライバルは小刻みに痙攣し、吐血し、意識は混濁している。両目は開かれていても、焦点は合っていない。傷の具合を確かめる。
「ほんとかよ……センスの塊だなこいつ」
即死止む無しとしか思えなかった《スレイヤーソード》の一撃は、ライバルの腹を抉ってはいても、命や背骨を奪うことはできていなかった。
あの一瞬でライバルは、《祝福の風剣》を盾代わりにして剣片を纏った拳を受け止めていたのだ。
だとしても、楽観視できる状況ではない。ライバルのダメージは深刻そのものだ。早急な治療が必要で、この場にシルフィードを連れてくる必要がある。
まったく、遠ざけようとした主人公もライバルも、友人も本当に考え通りに行かない。
倒れる主人公に目を移す。こちらも意識を失い、見る限りでもダメージ量は深刻だ。原作中盤以降でアディーン様の宿主になった状態なら、再生と言って差支えない桁違いの回復力を見せる主人公も、今は未熟なりの生命力しかない。
「庇うというのなら好きにしろ! 諸共に八つ裂きにしてやる!」
剣片が唸る。瀕死の主人公とライバルを殺すには、あまりにも過剰な攻撃力。殺意と、勝利の確信に満ちた剣片が空間を埋め尽くし、降り注ぐ。
炎の盾が間に合わない。魔装を纏う暇などない。主人公たちを守るにはこの身を盾にする他ない。
「くそったれ!」
「万難排せよ 我が光 《守護閃盾》!」
そしてまた、予想外の、起きて欲しなくない防御が俺を守る。