第六十七話 違う犠牲
はあっ!? どういうことだこれは!? 予想外にも程があるぞ!
この短期間に二回目の命令無視。ダメだ、腹が立つが驚いている場合ではない。このままだとこいつらが死にかねない。
思考が脳髄を駆け巡り、炎の火力を一気に引き上げ、剣片を薙ぎ払う。
「な! なんでお前らがここに来る! ニコルたちはどうした!」
「細かい話は後だ! こいつを片付けることが優先だろう、マルセル様!」
堂々と反論してきたのはライバルだ。俺の当惑を余所に、突進突撃突破が揃ったバカ二人はいかにも意気軒昂といった態で、声にも表情にも戦闘意欲が満ちている。
こいつら、実力差を思い知って大人しくしているだろうと思っていたのに、まさかまさか、実戦に参加できることに高揚してやがるとは。
ニコルやクライブが一緒にいてこいつらを見逃すとは思えないことから、なにか正当で適当な理由をつけて別行動をとることに成功したな。状況的に、村人を助けるための効率的な行動、といったあたりか。
一つに固まって行動するよりも、別々に動いた方が早く助けられるとでも主張したんだろう。主張が通るとその足でこっちに来た、と。
「~~~~っ」
なんなんだこいつらは本当に。この実習中、なにかと戦いに参加したがる。
光の魔力に覚醒したからか、家を再興したいからか、魔法騎士になりたいからか、実戦に恋い焦がれているからか、はたまた俺への反発からか。
どんな理由でも、今の自分たちが戦力にならなことくらいは悟っていると思っていた。俺たちが口を酸っぱくして指摘していたし、クライブの拘束魔法からも脱することができなかったのだから。
それでも実力差を理解するには足りなかったようだ。あるいは理解した上で正義にでも突き動かされたのか、どうにかなるとでも思い上がったのか。
どれにしても確かなのは、邪魔であることだ。《スレイヤーソード》は腕利き魔法騎士の主要キャラでも、一度は不覚を取るレベルの使い手。この場には主要キャラはおらず、俺だけで足手まとい二人を抱えて戦わなければならない。
剣片がうねり、鋭い金属片の蛇が宙を疾走する。
狙いはライバル。間合いが開いている俺ではなく、確実に射程圏内にいて、より仕留めやすい相手を狙うのは理解できる考えだ。なにより、ライバルには《スレイヤーソード》の攻撃を防ぐ術も回避する術もない。
おい、嘘だろ。ニコルの死を回避できたと思っていたら、代わりにライバルが死ぬのかよ。
ライバルは原作でももっとも重要なキャラの一人だぞ。闇の魔力に覚醒し、黄昏の獣たちラグナロクとの戦いにも欠くことのできない、主人公と互いに反発しながらも共に成長するライバルだ。『アクロス』という作品は、視点を変えればこのライバルの物語でもある。
そんな超重要キャラがこんなところで死ぬとかあるか? 俺が原作の流れを変えてしまったからか? ニコルを助けずに見殺しにすることが正解だったのか?
「ッッ!?」
俺の思考は時間にして秒にも届くかどうか。
僅かばかりの時間でも《スレイヤーソード》の殺意がライバルに迫るには十分すぎる時間だ。俺の魔法では届かない。《火球》を放っても、いや、放つ以前に魔法を構築するための魔力を練っている間に、剣片の渦がエクスを飲み込む。
「くそぉっ!」
どうにもならないと悟っていても、懸命に手を伸ばす。指の隙間から覗くライバルはあまりにも小さく、頼りなく見える。
過去の中でマルセルを殺した相手がいなくなる、と単純に考えるなら、あるいはいいかもしれない。
破滅と死をもたらす原因が期せずして、しかも俺の手によるものでなく排除できるなら、願ったりと喜ぶところだろうけれど、完全に俺の知らない展開になってしまえば、俺の予想もしない形で破滅がやってくる可能性もある。
こんなのってないだろ。懸命にやってきて、死亡エンドから逃れるために前世でもしたことのないレベルの努力を重ねてきた。
努力の基礎になっているのは原作知識だ。原作知識が通用するからこそ、俺みたいな凡人でも運命に立ち向かう選択肢を採ることができたに過ぎない。
ここでライバルが死ぬということは、原作から大きく外れてしまう事態。破滅から逃れるための指針が失われてしまう。それこそ、嵐の夜の大海原に一人で放り出されるようなものだ。
懸命に伸ばした手など届くはずもなく、ライバルは鋼の蛇に飲み込まれた。
「――――っ!」
主人公たちをバカだと捉え、彼らの力不足、認識不足を何度も突いていた俺が、誰よりも自覚していなかった。ここはあくまで物語の中の世界で、現実のものとの受け止めがあまりにも足りていなかった。
展開に違いがあっても、深く考えずに「原作と違うなあ」と考える程度しかなかったのだ。
原作と違う形で破滅が来たらどうしようと不安に駆られ、原作と違うのだから死亡エンドから逃れられると希望を感じ、このまま原作と違う流れになってくれたらと願うばかりだった。
主人公もライバルもビヴァリーもラウラも生きている。他のキャラも、いや、キャラではなく他の人たちも生きて、この世界で生きているのだ。
原作だとこうだったから、こう描写されていたから、考えていることもわかっているから、などとあまりにもこの世界に生きる人を軽んじる思い上がりだ。
破滅エンド? 死亡エンド? ゲーム的なそんな表現に囚われていたから、命にかかわる事態に動きも決断も思考も鈍るのだ。
ニコルがいないから大丈夫などと、思考停止していた自分が腹立たしい。
剣片の嵐が巻き起こした砂埃が風を受けて晴れていく。薄くなった砂埃の中心には確かな人影。直撃は免れたとは思えない。
俺の回復魔法は未熟なものだ。回復魔法に長じているシルフィードもこの場にいない。エクスを助ける術がないことを表している。
しかし、事態は俺が思っていたものとは違う形になっていた。
砂埃の中の人影は二つあったのだ。
「おいおいおい!?」
最悪の事態が頭をよぎる。原作では主人公を庇ったニコルが死んだ。だからニコルは遠ざけた。
だけどニコル同様に遠ざけたはずの主人公たちがこの場にいる。ならばニコルがこの場にいることもあり得る話だ。
背筋が冷たくなる。主人公がライバルに変わっただけで、結末は変わらないのではないか。過程も、なにより結果も。俺の行動はすべてが無意味だったことになる。
散々に勿体付けていた砂埃が完全に吹き払われた。
「ッッ!?」
眼前には予想外の光景が広がっていた。
ライバルは無事だ。ライバルの前には別の人間が立っている。ニコルではない。あれは、
「アクロスぅっ!?」
ライバルを庇ったのは、あろうことか主人公だった。
思いもよらない展開に、開け放たれた口からは、無駄に呼気を吐き出すだけ。
主人公にはハリネズミという表現そのまま、無数の剣片が突き刺さっている。立っているのは今だけだ。力を失った肉体は姿勢を維持することなど当然できず、小さな音を立ててその場に倒れ伏した。
遠目にも出血が少ないのは、剣片が突き刺さったままだからだ。一つでも剣片が抜かれたなら、肉体からは鮮血が噴き出すだろう。
主人公を助けようとするあまり、ライバルが剣片を抜きはしないかと考えてしまうが、どうやらその発想すらない様子だ。
肉体も精神も完全に動きを捨て去っていて、主人公が立っていた位置をぼんやりと見つめていて、次には倒れ伏す主人公にぼんやりと眺めているだけ。
完全な自失。
無理もない。ライバルに、いや、誰にとってこの状況は予想だにしなかったことに違いないのだから。