第六十四話 うっかりマルセル
風を纏って速度を向上させたクライブたちの背中が、急速に小さくなっていくのを確認して、俺は安堵の息を吐いた。
「待っていてくれたんだ、ありがとうよ」
「あいつらに興味はないからな」
「てことは、俺には興味があるってことか」
いや、俺の中にいるアディーン様が興味の対象か。
「マルセル……マルセル、ね。貴様がマルセル・サンバルカンか。聞いていた話とは随分と違うな」
どんな話を聞いていたのかは、想像に難くない。特に情報収集に力を入れなくても入ってくる情報だろうし。
「十二使徒の宿主か……確保しておきたいところだが、今は別の命令を受けているからな。それに」
「わ、若君! 逃げてください、そいつは、《スレイヤーソード》は危険です!」
気絶から覚めたコンセゴが刃物のように鋭く、しかしひび割れて薄く脆い声で叫ぶ。俺に攻撃を受けたにもかかわらず、俺を守ろうとしている。
やはり原作で描写されるよりも忠誠心が篤いような気がして、魔法をぶつけたことが悪かったように感じてしまう。
「ち、禁じておいたにもかかわらず、我の名を呼ぶか……無能の上に、最低限の約定すら守れぬとは。まあいい。どうせ始末するつもりだったんだ。ここで片付けておくか」
苛立ちと共に《スレイヤーソード》の右手がゆっくりと持ち上げられる。
バチィッ。
一際激しい音が響く。《スレイヤーソード》の放った《水槍》を、俺の《火球》が迎撃したのだ。
互いに無詠唱。《スレイヤーソード》の術式構築速度も並を遥かに凌ぐ。こんな序盤に出てきていいレベルの敵ではない。前世チートがあるからって、展開がきつくないですかね?
どうやらこの襲撃占拠事件、この《スレイヤーソード》と、こいつを抱える組織が絵図面を引いたのは間違いないらしい。
「邪魔をするな、マルセル・サンバルカン。余計なことを喋るリスクもあるこいつは、貴様にとっても邪魔だろう? 我が片付けておいてやると言ってるんだ」
「片付け、ね」
連中からしてみれば、コンセゴたちなどそれこそ消耗品でしかないのだろう。しかも片付ける対象が、コンセゴだけであるはずがない。コンセゴの部下も、村人たちも、残らず鏖殺の憂き目に遭う。
「いらん世話だ。俺の部下に手を出すんじゃねえよ」
「わ、若君ぃ……」
仮にも不意打ちを仕掛けてきた俺に、喜びと感動で潤んだ目を向けてくるなよ。
やったことは許せないけど、こいつはこいつなりに俺のことを考えて動いたんだよな。一番悪いのは、どう考えてもマルセル・サンバルカンである。
動いた理由というか原因も俺にあるし、ニコルも無事なことだし、あの組織なぞに殺させるつもりはない。
「随分と聞いていた話と違うな。公爵家の名を穢すだけのクズだとの評判の貴様なら、コンセゴのような奴は、むしろその場で殺していたはずだ。自分との繋がりの露見を恐れて、有無を言わさずに殺して、山賊討伐の手柄を吹聴して回るはずだと考えていたのだがな」
「悪意と偏見に満ちた欺瞞情報だな。そんなものに踊らされるなんて黄昏の獣たちも高が知れている」
「っっ!?」
あ。
しまった。思わず口をついてしまった。
俺のうっかり発言に、《スレイヤーソード》の雰囲気が明らかに変わった。
それにしても、本当にこんなところで黄昏の獣たちがかかわってくるとは。
黄昏の獣たちとは『アクロス』におけるラスボス、すべての黒幕ともいえる秘密結社のことだ。『アクロス』はバトル漫画らしく、ごく序盤から戦闘シーンがあるが、登場する敵キャラたちは大なり小なり、この黄昏の獣たちと関係がある。
といっても、中盤までは黄昏の獣たちと取引をしていたり、支援を受けたりしている程度の連中ばかりで、そういった連中を倒していった結果、主人公たちと黄昏の獣たちとの因縁ができあがっていく。
同時に黄昏の獣たちは十二使徒を手中に収めようとも暗躍していて、マルセルに代わってアディーン様の宿主となったアクロスは、因縁とは別に狙われるようになるのだ。
なにを隠そう隠しませんが、マルセルを含む悪役三人組も黄昏の獣たちとは関係がある。
構成員や幹部などではなく、単に利用されるだけの存在でしかなかったが――マルセルはあくまでも自分が組織を利用しているとの考えを持っていたが――人手や技術についての支援を受けていた。
ああ、そうか。人望のないマルセルが作中でどうやって人手や物資を手に入れていたかがわかった。
公爵家の財産もあるだろうが、黄昏の獣たちと繋がっていたからなんだ。「漫画だから」と深く考えなかったけど、現実に当てはめて考えると、資金に人材に場所といったもので協力してくれる後ろ盾がないと、マルセルがあれだけの活動できるはずもないよな。
マルセルが黄昏の獣たちと繋がりを持ったタイミングが気になっていたけど、多分、このときに接点を持ったんだな。なるほどなるほど、納得だ。いや待て。納得している場合じゃない。
「小僧……なぜその言葉を……」
やっば! どこか余裕のあった、俺たちを見下していた雰囲気が消し飛び、剥き出しの殺意に取って代わられる。
「貴様には聞きたいことができたぞ……」
「いやいやいや! 情報源についてはすぐにでも白状させてもらう! アディーン様から聞いたんだよ!」
「十二使徒!? 貴様、十二使徒と意思疎通ができるのか!」
あ。
「十二使徒を宿しているだけのぼんくらかと思っていたら、まさか内にいる十二使徒と接触できるとは」
そういえば、マルセルにはアディーン様と会話をする描写はなかった。アクロスにしたところで、アディーン様の信頼を得るまでは相当に切羽詰まった状況下でしか不可能だった。
他の十二使徒にしても、限られた人としか会話をするシーンはなかったな。
「それにしても、十二使徒が我が組織のことを知っているとはな」
「黄昏の獣たちの歴史は古い、んだろ? 遥か昔からこの世界に存在している十二使徒が知っていても不思議じゃないだろ」
危うく、黄昏の獣たちの歴史は古い、と言い切ってしまうところだった。原作知識があると、すぐに余計なことを口走りそうになる。
作中では黄昏の獣たちは十二使徒を探してはいたが、主人公がアディーン様を宿していると知ったのは偶然によるものだった。
サンバルカン家の人間が宿主であることは周知の事実だとしても、公爵家の誰が宿しているかは一応、秘匿している。
あくまで、一応、のレベルだ。
事実として知っているのはマルセルの両親兄弟なのだが、あの親父殿は使用人たちの前で俺のことを「十二使徒様を宿しているのだから気をつけろ」と叱ってくる。
だから使用人たちを通じてかなりの人数が知っていることだ。黄昏の獣たちが知っていても不思議はないが、意思疎通ができることまでは知らなかったようだ。
不必要な情報を俺が自分から提供してしまったわけで、自分の迂闊さを呪いたくなる。
「くくく、それにしてもマルセル・サンバルカン、まさか自分からのこのこ来てくれるとはな」
のこのこ、か。うん、まったくもって否定できません。ニコルの件がなければ、ここに来る予定ではなかったのだから。
「まだ公爵家と事を構えるつもりはなかったが……」
まだ、ねえ。マルセルのせいでサンバルカン公爵家の評判はすこぶる悪いが、どんなに悪くともそこは公爵家。王国でも高い魔力を持ち、高い魔力を有することはすなわち、戦闘力が高いということだ。
魔法騎士団への影響力も強く、いかに黄昏の獣たちといえど、正面衝突はリスクが大きい。
いや、まあ、むしろそのリスクが面白い、と哄笑する戦闘狂もかなりいる組織ではあるのだが。最終的には世界を敵に回して、平然としているような組織なんだけど。
今はまだ、リスクのバランスを考えている状況であるのに、十二使徒の宿主が碌な護衛もつけずに療養に来たのだ。
まさに腹をすかせた獣の前に餌が無防備にのこのこやってきた図。千載一遇の好機と言わずしてなんというのか。




