第五十六話 悪役に流れを決める権利はない
シルフィードの右掌に魔力の輝きが生まれる。最初は透明から白色だった魔力は、琥珀色の温かな輝きへと変わる。土系統の魔力であることの表れだ。魔法が使えなくとも、生まれ持った属性の色が魔力には備わっている。
琥珀色の魔力は少年の体を覆うように広がっていき、徐々に体の中に染み入っていく。
損傷した内臓や血管を、魔力糸で縫合したり修復したり補強したり、あるいは足りない魔力を充足させ、消耗した体力を補わせるのだ。
知識として知っている俺からしても、とんでもない技倆としか言いようがない。なにしろ、俺にはとてもじゃないが、できない。
本来、土属性は水属性と並んで回復魔法が多い。わけても土属性回復系統中級《悠久の癒し手》という術は、重病人ですら治癒可能な魔法である。ケガを治すのではなく病気を治すこと、失われた体力も回復させることから、チート魔法だと呼ばれている。
今のシルフィードには使えないが、理法習得後には不治とされる病ですら治癒させていた。
シルフィードが行っていることは、限りなくこの《悠久の癒し手》に近い。衰弱した少年の治療にはうってつけの魔法、いや、施術だ。
「ぅ」
治療を受けた少年はうっすらと目を開ける。首が傾いていたせいで、少年が最初に見た相手は少し離れた位置に立つ主人公たちだった。
次いで動いた視線が俺とシルフィードに向くと、ギョッと目を見開く。悪役面二人がすぐ傍にいるんだ。気持ちはわかる。
「大丈夫か? 一体、なにがあったんだ?」
「ぇっと」
俺の質問に少年の口は中々開かない。警戒している様子だ。どうやって安心と信頼を得たものか、と考えていると、ニコルが近付いてきた。ちょこんと座り込み、少年と目線の高さを合わせて話しかける。
「うちたちは魔法騎士学院の生徒なの。力になれるかもしれないから、話してみて。ね?」
「お姉ちゃんたち、魔法騎士様なの!?」
……お姉ちゃんたち、ねえ。軽く落ち込んでしまいそうだよ。
衰弱が改善したことと、ニコルという安心できる相手が出てきたこと、魔法騎士という看板を知ったことで、少年は落ち着きを取り戻した。
抱き起した以外、俺の果たした役割は何だったのだろう。気のせいかな、ラウラの視線が生暖かいような気がする。
少年はピートと名乗る。近くの村の住人だがその村が賊に襲撃されたのだという。賊は村人たちを捕らえていて、助けを求めようにも勝手に動こうものなら激しい暴力を加えてきた。
ピートを含む子供たち数人は隙を見て抜け出し、だが途中で賊に見つかってしまい、ここまで逃げることができたのはピートだけだったのである。
「助けに行こう!」
主人公が勢い良く宣言する。さすがの主人公力。
魔法騎士を目指す身として行われた初めての実習。予想外のアクシデントに見舞われ、それが実戦。しかも賊退治に人質救出という名目まであるとすれば、逸るのも無理はない。
さすがに主要キャラも寛いでいるわけにはいかないと判断したのか、馬車から降りてきた。
原作通りなら、主要キャラは降りてきただけで口出しはしないだろう。まずは俺たちの間での意見のすり合わせだ。
俺がもっとも警戒する事態――ニコルの死――を避けるために、俺は主人公に拒否を示す他なかった。
「実習の趣旨から外れている。それに危険だ」
「マルセル殿の言う通りだ。情報が少なすぎてあまりにも危険だよ」
「麿も同じ意見でおじゃるよ」
シルフィードとクライブも俺の意見に賛同してくれている。俺の意見に賛成なのか、悪役貴族としての立場からの態度なのかは微妙だが。
作中序盤に出てくる貴族はとにかく名誉にうるさい。名誉にうるさいからこそ、戦場で華々しく活躍することには夢見ても、薄汚い平民のために動くことを良しとしないのである。
さて、今の二人はどんな立場から俺に賛同してくれているのか。
「危険でも! 助けを求める人たちがいるんなら、応えるのが魔法騎士ってもんだろ!」
「ああ、そいつの言う通りだ。魔法騎士として、正しい判断だ」
主人公の反論にライバルが賛成した。この二人は同じことを口にしていても、動機には差がある。
主人公は単純に困っている人たちを助けたいと考えているだけなのに対し、ライバルは人を助けることを通じて没落した家を再興したいとの思惑があるのだ。
両者は動機に差こそあれ、実習を続けたいという点については一致している。
「むろん、わたくしも救出に賛成します。ウォリッド伯爵家の剣技は力なき民を守るためにある。ここで振るわずしてどこで振るうというのか」
ビヴァリーが立てた剣は、シンプルな拵えの鞘に納められている。この時点ではまだ伯爵家に伝わる家伝の宝剣を受け継いでいないので、持っている剣はそれなりに業物であっても、無銘の一振りだ。
無銘であっても、ビヴァリーが振るうと大型の魔物を一刀両断にできるのだから恐ろしく、彼女の斬撃を向けられるマルセルはもっと恐ろしかったろう。
「うちも助けたい。こんな小さな子が助けを求めてるのに、応えられないなんて……何のための魔法騎士だ」
小さめの声に反比例するように、ニコルの目には決意が漲り、拳はきつく握られている。
主人公の班員は誰もがピート少年を助けたいと願っているが、俺の見る限り、もっとも強く願っているのはニコルのようだ。
ライバルは手柄を欲しがっているし、ビヴァリーは剣を振るう戦場を欲しがっている風なのが見てとれる。主人公は深い考えもなく助けたがっているだけだ。
「ふうむ! 確かにニコル嬢の言う通り! 力なき民を守るのは魔法騎士の役目。そしてもちろん貴族の役目。貴族であり、魔法騎士を目指す身として、麿も救出に行くべきだと強く確信するでおじゃるよ!」
ムキン、というポージングと共に、つい先程の意見をあっさりと覆しやがったよ、この盟友。ある程度予想のついた反応とはいえ、手首が捩じ切れんばかりの鮮やかな掌返しには、感嘆の溜息しかない。
「ぶひ、今日もクライブ殿のテンションが上昇しているような気がするが……」
「麿はいつも通りでおじゃるよ。マルセル氏もそう思うでおじゃろう?」
「あのね、クライブ君」
俺はというと、主人公たちは無謀だと確信する。コンセゴの手勢は多く、コンセゴ自身もそれなりの手練れ。原作では主要キャラの助力があって尚、ニコルを失うのだから。
原作にないラウラの同行があっても、覆せるとの確信には弱い。
悩みどころだ。俺たち悪役三人組が全面的に協力すれば、ピート君たちを助けることは恐らくできるだろう。ただ俺の主目的である「ニコルの死」を避けるためには、はっきり悪手と言える。
いっそのこと、主人公たちにはピート君の保護を頼んで、悪役三人組だけで村を助けに行けばいいのではなかろうか。うん、なんとなく良い考えのような気がしてきた。よし、これで行、
「……皆を助けてくれる?」
俺が慎重意見を口にするより早く、ピート君が縋ってきた。
「大丈夫だ! 魔法騎士は困ってる人を見捨てない! だろ、皆?」
「ふん、当然のことだ」
「魔法騎士としても貴族としても、助けに動かぬ理由がありませんわ」
「そうね」
「約束……してくれるの?」
「もちろんだ。約束する!」
流れが一瞬で定まってしまった。悪役の考え、休むに似たり。こんなところだろうか。
「はぁ、それがお前らの決断なんだとしたら、それでやってみるといい。これは、お前らの実習なんだから」
ため息交じりとはいえ、主要キャラからの了承を得たことで、主人公たちの顔には一気にやる気が満ちていた。
ていうか、誰も俺たち悪役組に意見を求めてくれないんだけど。ピート君なんか俺がまだ抱きかかえているのに、俺のほうを見もしないんですけど。
視界の端では、クライブはニコルへのアピールのためか次々にポージングを決めていて、シルフィードはボリボリとキャンディを噛んでいた。