第五十五話 実習は継続される
この世界には身分差別が色濃く存在する。少年漫画らしく、話が進むにつれて主人公に影響されて差別の壁は破られていくが、現在の時間軸は序盤も序盤。
平民の主人公が、上位貴族の俺に手を出すなど、許されざる暴挙だ。
杖を持つシルフィードとクライブの目付きは冷淡そのものだし、それに反発する主人公の雰囲気は攻撃的だ。ビヴァリーたちもハラハラしている。
俺は軽く手を上げて目配せすると、二人は不満気だが杖を下ろしてくれた。ラウラだけは軽く目を見張って驚いている。
「それで、なにか言いたいことでもあるのか?」
あるに決まってるよな。実習に割り込んできた挙句、その中止を進言したんだから。
主人公の目には怒りの炎が宿っていた。
「勝手に中止なんて言ってんじゃねえよ。このまま続ける。一度度引き受けた仕事を途中で投げ出すわけにいくか!」
ほらな。とりあえず、俺の胸倉を掴んでいる手を強引に引きはがす。
「確かに受けた仕事を途中で止めるのは問題があるけどな、危険性を考えて判断するのも大事じゃないか? 冒険者ギルドの基準じゃ、荷物の配達は低難度の仕事だ。それこそ学生の身で受けてもいいくらいに。けど野盗退治や、盗賊とか魔物からの護衛ともなると難度が二つ三つ上昇する。ギルドの基準でも、ある程度の経験がないと扱わせてもらえない仕事だぞ」
「ぐ、そ、それは」
「クズセル様の言葉もわかりますが」
あのビヴァリーさん? わかるんならクズセル呼ばわりは止めていただけませんか? 無理ですかそうですかわかってましたよ。
「中止にするということは、この実習は失敗、ということになるのではありませんか」
「そんなのダメ!」
ビヴァリーの指摘にもっとも過敏に反応したのは、意外なことにニコルだった。声を上げようとしたのだろう、エクスも口を半開きにしたまま固まっている。
「うちはどうしても魔法騎士になりたい! こんな、最初の実習でつまずいている場合じゃない」
これは予想外だ。原作のニコルは、無茶をする主人公のブレーキ役であり、反目する主人公とライバルを仲裁する役目ばかりが描写されていて、彼女の内面については詳しくはわからなかった。
でも、そうだよな。魔法騎士になりたいって気持ちがあるから学院に通ってるんだ。俺はニコルと目線を合わせる。
「ニコルさん、実習中止が失敗とされるわけじゃない。危険と利益、班員の安全を天秤にかけて最適な判断を下すことが重要なんだ。任務だからとこのまま強行して、取り返しのつかない事態になったらどうする。人死にが出ることだってあるんだぞ」
「マルセル殿?」「マルセル氏?」
俺の様子に、仲間たちも驚いている。生まれ変わると宣言したにしろ、いくらなんでも変わりすぎではないかと、自分でも思う。
「なら、もっと慎重に動けばいいだけだろ? 違うか、マルセル、様」
とってつけたようなライバルの様付けである。男爵家と、公爵家の俺とでは身分に大きな差がある。だからおかしくはないのだが、様付けをする度に眉をしかめるのはやめてほしい。
「いいだけだろって、お前は動けなかっただろうが」
「っ、次はちゃんとやる。問題はない!」
「ないわけないだろ!」
「!」
このライバル、魔法の才に溢れ、成長も早いという天才なのだが、貴族という家柄と才能から、特に作中序盤では油断を見せることが多くある。根拠のない自信に溢れている主人公と合わせて、無茶をしてピンチに陥る展開が何度もあった。
原作では、その最初のピンチがこの後に待っているのである。
「ち、だがこの実習は元々、おれたちのものだ。実習を続けるかやめるかはおれたちが決める。後から割り込んできたあんたらに指図されるいわれはない」
「む」
それを指摘されると辛い。最悪、「おれたちの班は実習を続ける。お前たちは勝手に帰れ」なんて方向になったら、本末転倒もいいところだ。
「実習を続ける。いいな?」
ライバルの問いかけは俺に対してものものではなく、班員に向けてのものだ。
なんとかピンチ――ニコルの死――を回避したい俺の考えとは逆に、班長であるライバルが実習継続を主張し、主人公もヒロインたちも賛成する。いずれの目にも顔にも決意が満ちていた。ラウラは微妙だけど。
「結論は出たようだね」
対照的に主要キャラの声にはやる気は欠けている。声にやる気がなくとも、作中の主要キャラは一貫して主人公側の人間であり、強キャラとして数多くの活躍をこなす。
つまり、一貫してマルセルの敵だということだ。盗賊や魔物程度、主要キャラの実力からすると、大して脅威ではない。実習はそのまま続けられることになった。
もどかしい。見張りを兼ねて御者の隣に座りながら、俺は頭を捻っていた。
こいつらの正体と目的、今後の展開を知っているのに口にすることができないなんて。下手なことを言えば、俺がこの襲撃に関わっているように受け取られちまうからな。関わってはいなくても関係者である点が悩ましい。
「随分、悩んでいるね、マルセル殿」
ぶひぃ、と神妙な面持ちでシルフィードが話しかけてきた。
「シルフィード君……少しな」
「なにを気にしているかはわかりかねるが、いっそ悩みの種ごと吹き飛ばしてみるのはどうかな?」
「魔力も権力も財力も十分あるでおじゃる。麿たちも協力を惜しむものではありませんぞ……でもそんなことをすれば、ニコル嬢に嫌われてしまうかもしれないでおじゃるかな」
馬車の中からクライブが言葉を繋ぐ。惚れた女のことを考えて悪事を躊躇う。脱悪役に向けていい傾向じゃないかな。
それにしても、なるほど。いっそ先回りしてコンセゴたちを倒してしまおうか。
いやダメだ。コンセゴたちがどこに潜んでいるかがわからない。それに魔力はともかく、権力を振り回すのはマズい気がする。この実習への参加を捻じ込むだけでも大概だったのだから。ならどうするか。
「シルフィード様、前方に子供が」
「子供?」
マーチ侯爵家の御者の言葉通り、前方をふらふらとした足取りの子供が一人、歩いていた。よほどに疲れているのか、数歩歩いたところでばたりと倒れてしまう。
後部座席を確認すると、主人公たちはまだ気付いていない様子。主要キャラは、気付いた上で対応をこちらに任せるつもりらしい。
「放っておくわけにはいかない。馬車を止めてくれ」
「承知いたしました」
「どうしたでおじゃる、マルセル氏?」
「子供が行き倒れてる。様子を見に行く。二人は周囲を警戒してくれ」
「ほ? 罠の可能性は?」
「もしそうなら任せる。子供救出が優先だ」
シルフィードとクライブに警戒と対応を任せ、俺は倒れた子供に駆け寄る。抱きかかえると、随分と弱っていることがわかった。
呼吸は早く浅い。テレビドラマの真似をして手首に指を当てると、少年の脈拍は力強さがないにもかかわらずかなり速い。意識もはっきりせず、素人目にも衰弱が見てとれる。
「大丈夫ですか、マルセル様」
気付いたのだろう、馬車から降りたニコルが心配そうに覗き込んでくる。少し遠巻きにして主人公たちが立っていた。馬車が停まって慌てて下りてきたのだ。
「今すぐ命がどうこうってものじゃなさそうだが、かなり衰弱している。回復魔法が必要だが」
主人公たちは、俺の視線から顔を背けていた。
彼らはいずれも攻撃寄りの魔法ばかり習得していたし、ラウラは効率よく人を殺す魔法が多い。ニコルは本格的な魔法習得前に死亡している。
そもそも、学院一年生の時点では、大した魔法を習得していないのが当たり前だ。主人公とライバルのに至っては、作中終盤でも回復魔法を使った描写がない。
今の俺? 属性融合やらのチートに夢中でして……その、すまない。
「なら僕が診るよ。任せてくれ」
どっすんどっすんとした足取りはシルフィードだ。「生命を弄ぶ悪役」担当に相応しく、シルフィードは生命に関する技術が高い。回復魔法が使えなくとも、卓越した魔力操作で相手の魔力に干渉、魔力の流れを操作して病気やケガの治療をわけなく行う。
キャラ名鑑情報だと、魔法の才能は最低でもライバルに匹敵するかそれ以上とされ、作中でも一・二を争うレベルだ。回復系に関しては史上屈指のレベルとのこと。更に目標に向かってひたすら邁進する行動力と根性を持ち合わせている、と書かれていた。
他に目もくれずに目標だけに向かって爆走し続けた結果、主人公たちと激突するのだ。