第五十四話 最初の襲撃と衝突
睨んだところで、決壊間近の尿意を我慢しているので迫力には著しく欠ける。
ビヴァリーは大きなため息をついていた。原作のメインヒロインであるビヴァリーだが、この時点では主人公への評価が低いんだよな。むしろ同じ貴族で、天才と名高いライバルへの好意が高い。
「もう、アクロス君てば、仕方ないな」
ニコルは受容を示し、俺としても主人公に我慢を強いるつもりはない。ラウラもなにも言わないし、シルフィードも「汚されてはかなわない」という理由から、高級馬車が停車した。
停車の二秒前には、必死の形相となった主人公が飛び出していた。「うおー、漏れる漏れる!」とか叫びながら茂みに向かって猛ダッシュだ。
ニコルは乾いた笑いを、他の班員は呆れの息を吐き出し、シルフィードとクライブは我関せずとばかりに資料に目を落としている。主要キャラは腕組みをして眠っていて、俺はというと、
「外の空気を吸ってくる」
馬車から降りて、大きく伸びをした。元が小市民なので、豪華な車内に缶詰めにされることに気疲れするのだ。気分転換、と合わせてしなければならないことがある。
「『探れ』」
周囲を探るべく感知魔法を使う。魔法使用が悟られないよう、魔力の動きをできるだけ抑えながらだ。
こういうのはクライブが得意なのだが、一応、俺も使うことができる。広範囲高精度が必要な状況になったら、クライブに頼むとしよう。
馬車内で僅かに身動きした反応があったが、これは主要キャラだとわかる。寝たふりなのか、眠っていても反応できるだけなのか、凄腕だというのがよくわかる。できれば敵対方向にならないよう祈る。
「! いた。五人、いや一人はアクロスの奴だから、全部で四人か……」
原作では主人公が近くの茂みでの用足し後、馬車に戻るために背中を見せたタイミングで襲撃者が現れる。
主人公は簡単に捕まってしまい、ライバルとビヴァリーは反撃を試みるも通用しなかった。結局、主要キャラが襲撃者を捕縛するのだ。
しかもこのときは、近くを通りかかった兵士に簡単な事情を説明しただけで犯人を引き渡してしまい、村がならず者――コンセゴたちのこと――に占拠されている情報を手に入れるのが遅れることになる。
今回は果たしてどうだろうか。
対象の見た目は豪奢な貴族の馬車。貴族を正面きって襲ってくるほどキモの座った犯罪者がいるだろうか。この点だけならかなり微妙。
しかし、見るからに平民の男子がのこのこ馬車から降りてきたらどうだろうか。それもコンセゴから、雇い主に恥をかかせた相手として主人公の人相を聞いていたら。
「ふぅ、スッキリした。お待たせ……てまたお前かよ」
茂みから出てきた主人公は、俺を見て露骨に眉をしかめる。ズボンぐらい、しっかりあげてから出てこいよ。そう言いたくなったが、今は別のことを口にする必要がある。
「後ろに注意しろ! 迫ってるぞ!」
「え?」
感知魔法には、使用時のみ効果を発揮するタイプと、使用中は継続的に感知し続けることが可能なタイプの二種類があり、俺は後者を使っている。
その感知魔法には、四人が隠れながらも走りながら近付いてくる反応をしっかりと捉えていた。
茂みの奥から武器を携えて飛び出てきたのは三人。長剣、手槍、鉄爪をそれぞれ構えている。
「ヒャッハー!」「覚悟しやがれ!」「げぇっひゃはっはははぁっ!」
めっちゃ雑魚っぽい!
こんな、魔法も使わずに仕掛けてくるような奴ら、原作でも序盤にしか現れない。雑魚っぽいというか、正真正銘の雑魚だ。
「っうわ、うわ!」
しかし主人公も反応できない。話が進むと世界を救うほどの魔法騎士へと成長する主人公も、今はまだ大したカリキュラムもこなしていない学生だ。体は硬直して意味のない単語を漏らすことしかできない。
俺は杖を振るう。無詠唱で発動した炎の礫が、振り回される長剣の刀身と鉄爪を装備した男の腹に直撃する。長剣が賊の手から弾け飛び、鉄爪の男は呻き声を上げてうずくまった。
「え? え? え?」
武器を失った賊は立ち竦み、
「ちぃっ! 俺がやる!」
その横を滑るようにして手槍が突き出される。それなりにプロフェッショナルなのか、邪魔をする俺ではなく、碌に動けていない主人公を狙っていた。
「甘いな」
俺の無詠唱魔法なら十分に間に合う、が、俺がなにかするまでもなく、手槍が斬り飛ばされる。
馬車の開かれた車窓からは、杖を構えるクライブが身を乗り出していた。《風刃》の魔法を使ったのだ。
窓の奥には、動けないながらも杖を握るライバル、剣を持って立ち上がるビヴァリー、落ち着いて状況を伺っている主要キャラが見えた。
あれ、シルフィードは? あ、いた。サイズ的に窓から身を乗り出すのは無理と判断したのか、ドアから外に出ていた。ラウラもナイフを両手に外に飛び出している。
ヒュ、と短い音が聞こえる。奥に残っていた最後の賊が矢を射ってきたのだ。
主人公を狙った矢は空中で魔力弾に撃ち落とされ、更に茂みの奥からは短い悲鳴が上がる。シルフィードの魔力弾は一度の発動で二つの標的を撃破したのだ。
シルフィードは魔法スキルがないので魔法は使えない。ただし有する魔力は莫大で、魔力を操作する技術は作中屈指。魔力そのものを糸や弾丸にすることは容易い。
補足しておくと、マーチ侯爵は土の魔法を得意とする一族で、シルフィード自身も土を第一属性に、第二に水、第三に風、そして第四属性に空を持っている。
空の属性は瞬間移動や空間収納を得意とし、シルフィード以外の空属性の持ち主は敵味方問わず大活躍だった。理法習得後は、この有り余る才能が大爆発するのである。
「助かったよ、二人とも」
「ほほほ、麿の手助けなど必要なかったようでおじゃるがね」
「マルセル殿が抑えていたようだから殺さないように手加減したのだが、よかったのかな?」
「ああ、助かるよ」
悪役三人組は三人が三人とも、魔法の使い手としては非常にレベルが高い。
マルセルもクライブも神童やら天才やらと評される才能の持ち主で、設定上でも「かつては次代の王国を担う逸材として期待されていた」と書かれていた。
現時点では、まだ成長前の主人公たちよりも、遥かに強力な力を行使できる。武器だけで襲ってきた盗賊など相手にもならない。俺の戦い方を見て、手加減をしてくれた判断に感謝だ。
この程度の相手ばかりなら、切り札を出すまでもないんだけどな。
「しっかし、なんなんだ、こいつら」
ロープでがんじがらめに縛られて地面に転がされている襲撃者、を見下ろすのは主人公たちだ。四人の班員で襲撃者たちを取り囲んでいる。
「貴族を狙った盗賊でしょう。この時期は魔法騎士学院の生徒を狙う痴れ者が多いと聞きますし」
「そ、そうなんだ」
「ち」
ビヴァリーの指摘にニコルが驚く。不愉快そうな舌打ちはライバルのものだ。シルフィードとクライブは大した関心を持っていないように見える。
貴族に恨みを持つ連中や、生活苦にあえぐ人たちの中には、経験と実力に乏しいながらも実習で外に出る生徒を狙うケースがある。
生徒たちの、任務外での不測の事態への対応力を見るために、学院側が利用している側面もあるのだが。それに、万一に備えて教員が配置されていることもあって、学生側もギリギリまで自己で対応することが求められる。
ま、そんなことはどうでもいい。原作通りに襲撃があったということは、この後の展開も原作通りである可能性が極めて高いということだ。
なんとしてもニコルを守らないと。実習中止が一番、手っ取り早いのだけど。一応、話を振ってみるか。
「エイナール先生、実習はこのまま続ける気か? 中止も判断の一つだと思うが」
「これはお前らの実習だ。続けるかやめるかの判断もお前らがしろ」
話を振ってみても、主要キャラの返事は予想通りだ。と考えていると、
「お?」
いきなり俺の体がガクンと揺れる。主人公の腕が俺の胸倉を掴んでいた。
「「!」」
素早く動いたのはシルフィードとクライブだ。
主人公の顔に突き付ける杖はいずれも学院で支給されるような汎用品ではなく、親や実家が作って渡す特注品だ。高純度ミスリル製で、シルフィードの杖には琥珀が、クライブの杖にはエメラルドが魔法発動体として取り付けられている。
それにしてもシルフィード、お前、あんなに素早く動けたんだな。
「ぶひ、その手はなんのつもりかな」
「早々に離したまえ、アクロス氏」
ぴり、と空気が緊迫する。