第四十七話 変わったこと……髭と、髭以外
だがそれは、俺も同じことだ。
少し前にグラードに療養に行った際の、アリアたちを助けた事実を公にできるのなら、この時点での叙勲も十分に有り得たが、俺としては目立ちたくはない。
それに、勲章が逆にやっかみの対象になることも考えられる。どうせ公爵家の権力にものを言わせたのだろう、と。
日本の祖父が春だか秋だかの叙勲を受けた、と地元の情報誌やテレビ局の人間が来ていたな。あのときも、勲章が綺麗だな、くらいにしか思わなかった。
この世界の勲章ともなると、原作知識があるせいで、あんなものを有難がる気持ちはさっぱりわからない。
原作マルセルも、名誉などとは考えておらず、貴族として受け取るのが当然のものとしか受け止めていなかった。
まったく、どこかがうまくいったと思ったら、余所で足を引っ張る出来事や要素が間髪入れずに顔を出してくる。全部が全部、うまく回らないのは、悪役三人組の宿命であるのかもしれない。
「心配してくれてありがとう。だがまったく問題ないよ。実習も楽勝さ」
「ほほほ、確かに、グラードでの様子を見る限り、実習程度は心配に及ばぬでごじゃろう。それにしても」
「ぶふぅむ」
二人の視線が俺の口元に集まる。わかりやすい変化が俺の身にあった。髭が、生えたのだ。
三悪人の特徴はデブとマッチョ、そして髭。マルセルが髭担当だが、今回、俺に生えてきた髭は原作のようなピンと立ったものではなかった。
何というか、こう、ハイソなダンディが「ハハーン」とか言いながら紅茶をすすりつつ弄るような、そんな髭である。
「ぶっひっひ、マルセル殿が問題ないというのであれば、大丈夫なのだろうね。さあさあ、マルセル殿、今日は君の復帰祝いだ。どんどん食べてくれ」
「どうしても体調が優れないときは遠慮なく言うでおじゃる。最高の薬を用意させてもらうからね」
「もちろんだ」
最高品質の木材と腕利きの職人が彫刻を施したテーブルの上、髪の毛にいいとされる海藻類が多く出されているのは気のせいだと信じたい。後、さっきからクライブが脇に置いてある小箱がチラチラと目に入るんだけど、まさか育毛剤が入ってるとかじゃないだろうな。
気にしていても仕方ないので、素直に祝われていよう。
俺の復帰祝いの看板のわりに、食事を物凄いペースで平らげていくのは美食を趣味に持つシルフィードだ。影でブタ貴族だの脂肪侯爵だの言われるだけのことはある。
クライブはクライブで、筋肉のために必要なメニューのみを迅速大量にかき込んでいた。今日はチートデイではないらしい。
お前ら、本当に俺のこと心配してたの? 見ると厨房にはお代わりもしっかりと用意されている。
事件は、俺がお代わりのために手を挙げたところから始まってしまった。
ガチャン、と甲高い音が食堂に響く。これだけ広い食堂なのに、その音だけがいやに大きく響いたのだ。
「ぁ、あ、ぁ、す、すみません! すみません!」
顔を真っ青にして何度も頭を下げているのは、俺が注文した品を持ってきたメイドさん。それも俺と同い年くらいの女の子だ。いや違う。はっきり言おう。同い年くらいではなく、同い年だ。なにしろ原作に登場する人物である。
ま、原作に出ようと出まいと、学院にいる以上は俺の評判を知っているのは当然。
彼女は最初からガチガチに緊張していて、満足に呼吸もできていない様子だった。もう少しで俺たちの席、というところでトレイをひっくり返してしまったのだ。
緊張以外にも、俺が、俺たちが彼女のことを凝視してしまっていたことも関係しているだろうけど。
「ぶひ?」
「ほっぅ!?」
「も、申し訳ございません! す、すぐに代わりを、いえ片付け? ぁあっ!」
相当な混乱が見てとれる。少女メイドの震えのある細い足がもつれ、彼女は転倒してしまう。過度の緊張のせいか、立ち上がれずに全身を震わせている。顔は真っ青だ。
「アクロス」の世界には多くの差別が存在する。獣人に対するものも、そして貴族が平民に対するものも。悪役キャラたるマルセルもまた獣人や平民に辛く当たることで有名、いや当然だった。
学院に入る前、自分の前を横切った獣人をひどく殴る蹴るした事実は、この場の誰もが知っている。原作でのシルフィードとクライブも同じく暴力を振るう人種だし。
周囲はこれから起こるであろう悪役三人組の癇癪と報復に戦々恐々としつつも、誰も動こうとはしない。
そりゃそうだ。そんなことをすれば、今度は自分がマルセルたちに目をつけられるんだから。
食堂の他の従業員たちも同情の目と声を向けども、助けには来ない。下手なことをすれば、職を失うことになると理解しているが故に。
この場に主人公でも入れば話は違ったろうが、残念なのか幸いなのか、主人公も、その仲間たちも食堂にはいない。この食堂は貴族向けに値段がお高く設定されているので、貧乏人の主人公では手が届かないのだ。
伯爵令嬢のビヴァリーなら食堂にいてもおかしくない、が婚約者と顔を合わせたくない彼女がここに来るとは思えない。
『『『っ』』』
食堂の空気が完全に凍り付く。粗相をした少女メイドがどんな目に遭わされるのか、皆が注目している。恐怖なのか同情なのか、あるいは特権意識の強いものたちからすれば好奇で。
「いや、気にしないでくれ」
『『『……』』』
俺の言葉から送れること数瞬、ざわめきとどよめきが広がる。余程、俺の言動が予想外だったということか。一番、驚いているのは少女メイドだ。零れ落ちそうなくらいに目を大きく見開いている。
今までが今までだからしょうがないけど、でもな? お前らもよく見とけよ。俺は、生まれ変わったんだよ。
「それよりも、君にケガはないか?」
「え? ……ぇぇええっ!?」
『『『えぇーーーーーーー!?』』』
いくらなんでも驚きすぎじゃありませんかねえ! 気持ちはわかるけど!
少女メイドだけでなく、他の生徒や職員も一斉に声を上げ、校歌斉唱でも見かけないくらいの大合唱のせいで食堂が揺れる。
「慌てずにゆっくり、すればいいから。大きな破片は俺が集めておくから、君は箒と塵取りを持ってきてくれないか」
「は、はい!」
少女メイドさんがダッシュで走っていく。ああ、だからそんなに慌てるとまた、て、ほら、転んじゃったじゃないか。ああ、俺に頭なんか下げなくていいから、落ち着いて行動してくれ。それとついでに
「(ギロ)」
『『『!?』』』
ついでに周りは黙っていろよ。俺が周囲を睨み付けると、ざわめきは一瞬で消え去り、視線を顔ごと逸らしたり、大慌てで食堂を出て行ったりする生徒が続出した。
安定の嫌われ貴族だな。
シルフィードとクライブはというと、少しは驚いているものの固まってはいない。どこか温かな目で俺を見ている。おいやめろ、そんな目で俺を見るんじゃない。
さて、彼女が戻ってくる前に少し拾っておくか。俺が屈むと、頭上から話し声が聞こえてきた。
――――はあ!? おい嘘だろ、あのクズセルが皿を拾ってるぞ!
――――ハゲセルじゃなかったか?
――――どっちでもいい! 公爵家がそこまで落ちぶれるはずがない。絶対に何か魂胆があるに決まってる。
――――平民に拾わせて、拾ってる最中に相手の手を踏み躙ってたのを前に見たぞ。
以上が平民生徒のセリフ。せめて人の名前はちゃんと呼ぼうよ!?
――――マルセル様に皿拾いをさせるとは、あのメイド、分際を弁えろ!
――――粗相に加えて、貴族であるマルセル様の手を煩わせた咎で、あのメイドをクビにするつもりだろ。
――――となると僕の出番かな。パパが学園上層部に顔が利く。
以上が貴族生徒のセリフ。メイドを庇うセリフは一つもないだけでなく、媚びるために利用しようとしている。
こいつらの露骨すぎる媚びにも気付かないのがマルセルなんだよな。マルセルもマルセルだがこいつらも大概だな、ほんと。




