第三十八話 例の組織の嫌な影
そうして繰り広げられたのは、一方的な蹂躙戦だった。
原作でも卓越した技倆の持ち主だったラウラの技の冴えは、賊風情が対抗できるものではなかったのである。
投じられたナイフは正確に眉間を貫き、巻き起こる風の刃は頸動脈を易々と切断し、逃げる賊の背中にはナイフが深々と突き刺さる。
俺の戦果よりも、ラウラの戦果のほうが圧倒的に多いんですけど。しかも叩きのめすのではなく、実に手際よく命を奪っていっている。
ケル商会の人間たちは加速度的に減っていく。ラウラはさながら人間の形をした暴風だ。その辺のチンピラなどに太刀打ちできる相手ではない。
うん、このままラウラに任せておこう。俺の活躍がない点なんか些細な問題だ。
「うん? ワルサーの奴がいない?」
いつの間にかワルサーの姿が消えている。機を見るに敏、とはこのことか。敗色を嗅ぎ取るなり、さっさと逃げ出したらしい。
ワルサーは原作にはほとんど登場しない。逃がしたところで今後の展開にそれほどの影響はないだろうが、例の組織の手掛かりを得たいとは思う。
なにより人身売買の首謀者を野放しにするなんてこと、不愉快極まりない。絶対にひっ捕らえて罪を償わせてやる。
俺は蹂躙戦の現場から遠ざかる目的も兼ねて、アジトの建物の中に入った。キャラ名鑑に載っている情報通りだと、ここには例の組織との接点になるなにかがあるはずだ。
マルセルがどうやってあの組織と繋がりを持ったのか、あの組織とどうやって出会ったのか。手掛かりの一つでも入手できれば御の字だけど。
そして手掛かりがあれば、金輪際近付かないようにしよう。
例の組織の手掛かりを探そうとしているのか、あるいは近付かないようにしているのか、そんなどっちつかずの中途半端な考え方がまずかった。
壊れた木戸の向こうから飛び掛かってきた人影への反応が、僅かに遅れてしまう。
「おらあ! クソガキが!」
「うお!?」
異音を発して袈裟切りに振り下ろされる斧。
ボゥ、と炎が躍る。あらかじめ仕込んでいる、自動防御用の魔法が反応したのだ。
「くわぁっ!」
斧を装備した粗野な男は、炎に焼かれて床を転がる。ワルサーだ。唸りながらワルサーは立ち上がる。美形とは程遠かった顔は火傷で更に酷いことになっていた。
俺としては警戒するしかない。俺はワルサーの戦闘方法を知らないからだ。原作には出番のほとんどなかった雑魚だとしても、現時点での俺にとってはどうかはわからない。
読み込み過ぎてボロボロになったキャラ名鑑。ここに載っている全メンバーの顔と名前と主な能力なら覚えている。けどワルサーの情報はさすがにない。
だったら先手先手を打つ。さっきの不意打ちは仕方ないとして、ここからは相手に攻撃させる隙を与えない。
でも接近戦は斧が怖いから遠距離攻撃中心で。右手を銃に、人差し指を銃口に見立て、威力を押さえつつ連射性能を上げた《火球》の魔法を間断なく打ち続ける。
「はべ! ぷぺ! ぽふぉ!? やべ! ろも! べふぃ! ぼご! けご!?」
どうやらワルサーに魔法の素養はないようだ。《火球》に晒され続けながら斧を振り回すだけ。これだけ攻撃されて尚も斧を手放さないのは、天晴れとさえ思える。
「ひぐぅっ!?」
珍妙な悲鳴を上げてワルサーが吹き飛ぶ。ゴロゴロと床を転がり、腐っていたのだろう床に穴をあけてハマってしまう。実に滑稽で、思わず吹き出してしまった。床に片足を突っ込んだままのワルサーが、物凄い形相でこっちを睨んでくる。
「クソッタレがぁ……調子に乗りやがって。これで一気に片付けてやる!」
ワルサーがズボンのポケットから取り出したもの。それは黒い怪しい光を放つ石だ。吹き上るような尋常でない魔力。あれは、
「魔瘴石!?」
うっそ、こんな序盤から存在するものなの!? てかワルサーが魔瘴石を持ってるってことは、ワルサーの裏に例の組織が隠れているという明確な証拠じゃん。
「ちょ、魔障石があるってことは、もしかして近くに瘴気溜まりができてないないだろうな?」
『アホか。んなもんがそうそうできるかい』
「あの石があるとできるんですよ」
魔障石は摂理を外れて人の負の感情を増幅する。増幅された負の力は周辺の土地に浸潤し、徐々に汚染地域を拡大していく。
汚染が一定範囲を超えると、瘴気溜まりと呼ばれる負の力が特に集中する場所が発生し、近付く人や獣を魔獣化させたり、人の感情を攻撃的にしたりといった効果があるのだ。
『なんちゅう碌でもないアイテムや』
まさしくその通り。
碌でもないアイテムから黒光がワルサーの全身を包み、光は一瞬で全身鎧化した。騎士の鎧のように大きく、だが蛮族を強くイメージさせる形状だ。
「しゃぁぁぁああっ!」
予想通り、身体能力の大きく向上したワルサーが突っ込んでくる。放たれる左フックは虚しく空を叩き、その先にあった壁を破壊した。
「はははははは! このパワー! 素晴らしい! 最高だ! ママぁぁっぁぁあああ!」
おい、こんなところでマザコンぶりを発揮するな。
魔瘴石とは例の組織――原作における最大の敵役、黄昏の獣たちの連中が使うアイテムの一つで、これを埋め込まれたり使用したりした人間は魔瘴化と呼ばれる変異を起こし、強大な力を手に入れるのだ。
だが魔瘴石の力に耐えられなかった人間は理性を失い、魔物に姿を変える。
黄昏の獣たちは悪役三人組とも密接なかかわりを持っていて、三人組の行う悪事には大なり小なりラグナロクの資産を使っていたことが明らかになる。
悪役三人組は作中の中ボスという立場でありつつ、黄昏の獣たちにいいように操られて捨て石にされた、という側面があるのだ。
原作ではマルセル死亡後に資料が見つかり、クライブが倒される前後から少しずつ干渉してくるようになり、シルフィード死亡後からは真の敵として姿を現す。
後になって振り返ると、マルセルにはかなり大っぴらに力を貸していたとわかる。そうか、グラードで出会ったとあったが、厳密には黄昏の獣たちの構成員と接触したのではなく、黄昏の獣たちの持つ力と接触したのか。
魔瘴石のことを知ったこと。これが後々の接触に繋がったということか。
ともあれ、あれが本当に魔瘴石だとすると、かなり厄介だぞ。ボコボコにされていたマルセルは魔瘴石を使うことで、一時的にとはいえ、主人公たちを圧倒するのだから。
ワルサー程度でも油断できない力を手に入れる可能性が高い。とも思っていたら、
「うごごご」
「おい」
ワルサーはあっさりと魔瘴石の力に飲み込まれた。
「ば、ばかな、なんだこれは!? 聞いてないぞ! だ、騙しやがったぁぁぁああうごごぎゃぴいいいぃいいぃっ!?」
法と良識が眉をひそめる行為を繰り返してきたワルサーだ。抗議する資格などあろうはずもない。
全身鎧は再び黒光へと分解され、ワルサーが光に飲み込まれた、かと思うと、光は蛇のようにうねりワルサーを締め上げていく。
ベキとかミシとかの異音を発し、破裂した光の後には巨大化したゴブリンのような魔物が立っていた。
胸元の魔障石だけが怪しく輝き、体表を覆う皮膚は鋼のような光沢を放ち、耳まで避けた口角からは滝のような涎が落ち、黒い瞳は左右でまったく別の方向を向いている。
『ウゴゴゴ』
絞り出す言葉はもはや人間のものではない。
『なんやあれ、ほんま気っ色悪い石ころやの』
「あれも一応は持ち主に力を与えてくれるんですよ。そこらの雑魚でも、魔獣と呼べる程度の変異を果たすほどの力をね」
『どう見ても力に飲み込まれとる感じやな』
「マルセルの最期の姿そっくりですよ」
『なんでやねん。マルセルは仮にも貴族で強い魔力を持っとるんやぞ。あないな石ころに飲み込まれるて、んなことあるかいや』
「追い詰められてからの最後の手段として使ってましたからね」
言われて、マルセルの最期を思い出す。魔瘴石の力を使ったマルセルは石の力に飲み込まれ、最後にはマルセルの意思とは関係なく魔瘴石に仕組まれていた機能で自爆させられるのだ。
マルセルは自爆では死ななかった、が自爆では誰も巻き込むことができなかった。
要するに無駄に自爆させられた挙句、魔力も権力も財力も、命以外のすべてを失い、滅多打ちエンドまで一気に進むのである。