第三十七話 作戦開始
その建物はグラード地方の平均的な家屋からするとかなり大きい。元はどこかの商家が倉庫として用いていた建物で、今はケル商会という新興商人が所有する物件だ。
敷地内には別に倉庫がもう一つあり、他にも手作り感の強い地下室もあるという。アリアたちからの情報によると、子供たちはそこに閉じ込められている。
ラウラの手持ちの情報では、ケル商会は奴隷を主力商品として扱う商会で、元は王都を中心に活動する犯罪集団だった。有力者や富豪の子供を誘拐して、身代金をふんだくるというのが得意の手口だ。
それが最近になって、サンバルカン公爵領内で勢力を拡大してきているらしい。
なんでも王都では取り締まりが厳しくなってきたとかで、より活動しやすい場所を求めて移動してきたとのこと。何たる不名誉か。
ケル商会以外の他の奴隷商人たちも、続々とサンバルカン領に参入してきている、とラウラは付け加える。人身売買をするにあたって、公爵領は勝手がいいということなのだろう。
経済活性化には他にいくらでも方法があるだろうに、奴隷商を誘致する経済政策でも採っているのか、あの親父殿は。
俺がどれだけ脱悪役を目指したところで、親父殿が原因となって悪役ルートに引きずり込まれそうだ。
貧困層、特に浮浪児たちは公爵家に税を納めない、つまりは生産性がなく公爵家や領に対する貢献がない。見下している獣人が奴隷になるのは喜ばしい。こんなところだろう。なにそれ、最悪じゃねえか。
「ここだ。今更、逃げ腰になっていないだろうな?」
ジロリとしたニーガンの視線が俺を貫く。同行しているのはアリアとニーガンを含めた六人全員だ。
六人とも、公爵家で用意した衣類ではなく、元のぼろきれに身を包んでいる。設定としては「公爵家に助けられた後は、直ぐに怖くなって逃げ出した。見かけた商人の子供を、隙をついて殴り倒して攫ってきた」だ。
提案者はラウラである。
――――おいちょっと待て。隙をついて捕まえた、でいいじゃないか。わざわざ殴り倒す必要はないと思うんだが!?
――――なにを仰いますか。無抵抗で捕まるなど、不自然な話ではありませんか。殴って気絶したから捕まえることができた、と設定するのは説得力を出させるために必要な要素かと思います。
――――そうなんですね、さすがラウラ先輩。
――――ちょっと、カリーヌ!?
――――こういう細やかな心配りがメイドには欠かせないのですよ。それではニーガンさん、こちらをどうぞ。
――――これは……棍棒? なんでこんなものがお屋敷に?
――――細かいことを気にしてはいけません。ささ、思う存分どうぞ。
――――そこはせめて思いっきりどうぞ、だろ!? 思う存分だと滅多打ちにしろと言ってるのと同じじゃないか!?
――――貴族には恨みがあるんだ。悪いが手加減しねえぞ。
――――しろよっ!? 演技なんだから!?
以上が俺の後頭部にたんこぶができるまでの顛末だ。縄で縛り上げられて、捕まったふりをして連れてこられた俺の目の前に立つ、築ン十年の建物。
キャラ名鑑に出てきた建物にそっくりだ。例の組織とマルセルが最初に接点を持った建物と書かれていたっけか。原作では敗死間近のマルセルが立ち寄り、八つ当たりで破壊する描写がある。
そんな美しくも嬉しくも楽しくもない、思い出の建物のドアが勢いよく開けられた。笑顔満面で現れた凶悪な人相の男、こいつがワルサーだろう。ワルサーに続いてぞろぞろと野卑な男たちも湧いてきた。
「おお! そいつが言ってたガキが。なるほど、確かに金を持ってそうな格好だ。よくやったじゃねえか、ニーガン。おい、てめえら、さっさとこのガキを檻に放り込んでおけ!」
「わかりやした。おら、来い!」
「ひ、ひぃっ」
身なりも人相も悪い男に引っ張られていく哀れな富裕層のガキ、それが俺だ。
わざと捕まったふりをすることで、相手の油断を誘うのが目的である、のだが、俺を縄で縛り上げているときの皆さんの顔が晴れ晴れとしていたのはどういうわけだろうか。深く考えるのは止めよう。
「待ってくれ。クリスはどこだ? アリアと会わせてやってくれ」
前に出たニーガンの声はかすかに震えている。ニーガンの服の裾を掴むアリアは、懸命に震えをこらえていた。
「金持ちのガキを連れてきたんだ。もう俺たちは用済みだろ」
用済み、かよ。これだけでも「保護」の言葉から程遠いことがわかる。
「ああ? うるせえんだよ、薄汚ねえ獣人のガキが!」
「ぅあ!?」「きゃっ」
ワルサーが荒っぽくニーガンを突き飛ばす。拍子に、ニーガンにしがみついていたアリアも吹き飛び、二人は地面に転がった。姉妹の再会というささやかな願いは果たされることなく、どころか、最低の形となって二人の上に降り注いだのだ。
ニーガンは地面に倒れたまま拳を握り込み、強く歯噛みし、強い眼力でワルサーを睨み付けた。
「儲け話を持ってきたら交換してやるって話だったろっ、騙したのか!」
「は! 騙されるほうが悪いんだろうがよ! てめえら役立たずのガキ共に飯をくれてやっただけでもありがたく思え」
「て、てめえ……」
「うるせえ、ガキ共がどうなろうと知ったことか。所詮、獣人なんざは使い捨ての道具だろうが。いや、てめえらに使った飯代ぐらいは稼いでもらわねえとならねえからな、全員まとめて奴隷として売り払ってやるぁ! おい、てめえら!」
ワルサーの声を合図に、ぞろぞろと人相の悪い連中が現れる。ロープを手にしていることから、アリアたちを捕まえることが目的だ。地面に倒れたままのニーガンが叫ぶ。
「逃げろ!」
「ひ! な、なんでっ」
ニーガンの叫びに弾かれ、逃げることを試みるアリアだった。が、辛うじて走り出すことができただけで、身を翻すや否や転んでしまう。助けを求める声に大人を責める声、それらを抑え込む男たちの乱暴で野卑な声。
「ぁっ」
短い悲鳴はアリアのものだ。転んだまま動けずに震えている幼い少女に、脂ぎった男の手が迫る。逃げられることはないと確信し、嗜虐的な笑みが浮かんでいる顔に、
「《火球》!」
「ぶげぇっ!?」
俺の放った魔法が直撃した。マルセルの本気の魔法だと人間の頭くらいは簡単に吹き飛ばしてしまうので、威力を抑えての一撃だ。
「大丈夫か?」
「は、はい、貴族様!」
「なんだぁっ!? 捕まえてねえじゃねえか! 騙しやがったなガキ共ぉっ!」
「アホかお前は! お前らのほうが騙してたんだろうが!」
思わずツッコんでしまった。
「つか貴族だぁっ!? おい、何の冗談だ!」
「冗談ではありません!」
ワルサーの狼狽をぶった切ったのはカリーヌだ。物陰に潜んでおくよう言っておいたのに、丸っと無視して出てきている。メイド服のまま腰に手を当て、なぜか得意気なドヤ顔を披露していた。
「こちらのお方はサンバルカン公爵家が次男、マルセル様。坊ちゃまが来られた以上、悪党に栄える道はありません!」
俺も悪役なんですけどね!
「サンバルカン!? クズのハゲセルか! あいつが人助けたぁ、血迷ったか!」
お前が俺のなにを知ってるんだよ! そこは人生を見つめ直したとか、考えを改めたかとか言って頂きたい!
「貴族が獣人を助けるたぁ、なんの冗談だ!?」
この世界の人間からすれば至極真っ当なセリフを撒き散らしながら、男の一人が向かってきた。ひゅ、と短く空気を裂く音がしたかと思うと、その男の胸部には深々とナイフが突き刺さっていた。
「すまん、助かったラウラ!」
「いたいけな子供たちを騙し利用するなど言語道断。更にそこのアリアとニーガンは当家の使用人となる予定でもあります」
「そんな話は初耳なんですけど!?」
「使用人を傷つけたことはサンバルカン公爵家への反逆行為。天が見逃してもこのラウラが許しません。子供たちの未来はラウラが守ります」
俺の未来が含まれていないのは気のせいだと信じたい。最近、気のせいが多いような気がしてならないんだけど。