第三十六話 悪役は引き受けた
「本当に、助けてくれるのか?」
ニーガンは今にも噛みつきそうな目だ。原作でもそうだったが、男の獣人は体格がいい。ニーガンも俺よりも頭三つ分は大きい。後で聞いた十三歳という年齢が信じられない。高校生の中に入っても十分に通用する。
「ああ、約束する」
このニーガン、恐らく「銀仮面」だろう。原作では二メートル以上の堂々たる体躯を誇る、圧倒的な身体能力の持ち主だった。
(今度はマスクマンかい。で、誰やねん、そいつ)
(天敵です)
(……自分の人生、犠牲者と天敵以外の要素ないんかい)
重ね重ね、返す言葉もありません。
銀仮面は原作において、主人公たちに協力してマルセルを追い込む男だ。立ち位置は主人公の協力者であり、あくまでもクリスと共に行動するのがメインだった。
凄まじいまでの執念と実力でマルセルたちを追い詰め、主人公たちの窮地を切り抜ける助けをする。その際の飛び蹴りで、マルセルのあばら骨は木っ端微塵になり、派手に吹っ飛んでいた。
悪役三人組の最後の一人、シルフィードとの戦いで仮面が破壊されて初めて、銀仮面が獣人であると判明するのだが、どことなくニーガンに似ていた。マルセルや組織を追うあの執念。このときの怒りが源泉というわけか。
完全に俺が原因じゃねえか。
『さ、もうわかったやろ? 現状に不満があるんやったら、うちのマルセルに任しとき。なんとかしたるさかい』
さすがは十二使徒というべきか、アリアとニーガン、のみならず他の獣人たちにラウラとカリーヌの目にも信頼の光が宿る。
代わりに俺の目は点になった。待ってくれ。子供を助けることは心に誓ったけど、不満をすべて解消するとは言っていないですよ!?
俺の内心のツッコミを無視して、アディーン様は子供たちに続ける。
『自分らを苦しめたんは公爵家なんやから、責任取るんも公爵家がすることや。そこの嬢ちゃんの妹ちゃんだけやのうて、捕まっとる他の子たちも全部助けたる。せやからもうちょっとだけ、待ったってくれへんか』
なにその盛大な丸投げ。俺の身にのしかかってくるリスクがハンパないことになってるんですけど?
『なに言うとんねん。この子らが追い込まれとるんは公爵家のせいやろ? 公爵家の自分が責任を取ることに何の不思議があるねん?』
「は、欠片の不思議もありませんな」
マルセルが心底から毛嫌いする高貴な義務、というやつだろうか。アディーン様は更に言葉を続ける。
『それにや、自分、破滅エンドたらいう終わりを避けるために生まれ変わるとか言うとったやないか。これはそのために必要なこととちゃうか? せやろ?』
まさか断ったりはせえへんやろ、とばかりに爽やかな笑みを向けてくるアディーン様と、縋るようなアリアたち獣人の子供たちを前に
「ああ、任せろ」
俺は決め顔と共に、ビシ、と親指を立てて見せるしかなかったわけで。カリーヌ以外の誰も安心してくれなかったけどね。
風雨を凌げるだけの機能しか持っていない、辛うじて部屋と表現できる程度の薄汚いスペースに、子供たちが閉じ込められていた。押し込めると表したほうがより適切であろうか。
破損の目立つ板と藁敷きだけのそこでは、痩せて、傷ついている彼ら彼女らが身を寄せ合ってすすり泣いている。同情もしなければ心も痛まないのだろう、様子を見に来た人相の悪い男が忌々しげに舌打ちを響かせた。
「うるせえぞ、ガキ共! ちったぁ静かにしろ!」
人相の悪い男が作りの悪い木戸を、威嚇目的に派手な音を立てて蹴りつける。子供たちは反射的に体を震わせた。それは見張り役の男たちも同じで、酒で緩んでいた背筋を伸ばす。
筋骨たくましい体と、右肩から胸部にかけて彫られた大蜘蛛の刺青が特徴の男――ワルサーはギロリと見張りを睨み付けた。
「異常はねえだろうな」
「へい、何一つ問題はありません」
緊張感の欠ける声に、しかしワルサーは満足気に頷いた。必死に泣き声を抑えようと努力する子供たちを見下ろし、
「け、鬱陶しいガキ共だ。まあ、あと少しの間だけだ。馴染みの奴隷商がもうすぐ来るから、そしたらすぐに売っ払ってやるからな」
「ええ!?」
「そんな! 騙したの?」
「おじさん!?」
唐突に突き付けられた絶望に口々に騒ぐ子供たち。子供たちにとってワルサーは、一応は救いの手の持ち主だった。待遇は悪かったし暴力も受けたが、救ってくれたことには変わりがなかった。
これからも保護してくれるものだと信じていて、こんな汚い部屋に放り込まれたのもなにかの間違い、自分たちこそが失敗をしてお仕置きに閉じ込められているんだと考えていた。
悲痛な声を上げる子供たちにワルサーは声を荒げた。
「うるせえガキが。てめえらを食わせてやっただけでもありがたいと思え。借りを返してもらうだけだ。ひゃっはっは!」
荒げて、子供たちの行く末に思いを馳せて豪快に笑い飛ばす。
その中で一人の少女だけが泣きもせず、ワルサーを睨み付けていた。
クリス。
猫人族の一つ、獅子人の少女で、父親は獅子人の村の一つを治める長だった。
「んだぁ、このガキ。姉に似て相変わらず気に食わねえ目付きだ、な!」
ガン、とわざと大きな音を立てて木戸を蹴るワルサー。しかしクリスは僅かにびくつきはしたが、そこで怯みはしなかった。
一層、目に力を込めてワルサーを睨む。長の血を引いている故か、獅子人の意気がそうさせるのか。怯えない少女に、ワルサーの気分は非常に害された。
転がっていた棒を拾い取り、明確な害意を持って木戸に掛けられている鍵を外す。
「ぁう!」
棒切れを弄びながら、粗末な部屋に入ってきたワルサーの左手がクリスの髪を掴み、クリスは苦痛にたまらず声を上げた。
「いい声で泣くじゃねえか! ガキはガキらしくもっと泣き叫びやがれ!」
棒切れを振り上げるワルサー。だが棒が振り下ろされることはなかった。ワルサーの腕を止めた要素は二つある。
一つは懐に捻じ込んでいる売人リストだ。獣人の子供たちを買い取る商売相手たち。下手に傷つけると商品価値が下がってしまう。
金銭への執着こそがワルサーの手を止める。奴隷にも良し悪しがあって、目的によっても価格は上下するものだ。その中で獣人は売りやすい商品といえる。特に獅子人の女は戦闘用と性処理用の両方に需要がある。
「下手に傷をつけるのはよくねえやな」
奴隷はワルサーの商売の主力商品だ。他に武器を扱うこともあるが、売り上げがもっともいいのは人身売買による。獣人の少女は大事な金づるだ。商品価値を下げるような真似をするのはよろしくない。
もう一つがクリスの目だ。苦痛に声を上げた少女は、顔を歪めはしても眼光を弛めようとはしなかった。こんな奴に負けるものか。そんな決意に満ちた目は、暴力と劣悪な環境、姉のアリアと引き離されても折れることはなかった。
「ちっ」
クリスから放たれる気概に、ワルサーは気圧される。気圧されていることを自覚したくないワルサーは、虚勢を張る。
「けぇっ! 生娘がいいって客は多いけどな、別にどうしてもってわけじゃねえんだぞ? 俺の部下にも子供じゃねえと興奮しないって奴はいる。そいつに渡してやろうか?」
嘘である。手に入る金は多ければ多いほどいい。使い捨ての手下などに商品を台無しにされてはかなわない。
「お頭! ニーガンの奴が戻ってきた。身なりのいいガキを連れてるぜ」
「本当か!」
ワルサーの顔は一瞬で喜びに歪んだ。奴隷売買もいいが、身代金もいい稼ぎになる。闇の世界でのし上がっていくためにも、欠くことのできない要素だ。
どれだけの金額を搾り取れるか、金を手に入れた後のガキは奴隷として売る。どう転んでも金になるじゃないか。
気になるのは、マルセル・サンバルカンの名前だ。逃げ戻ってきた手下どもの話によると、クズの代名詞ですらあるあの男が、何の冗談か獣人を守ったという。
「まあ、いいさ。金さえ渡せば、なんとかなるだろ」
懸念などほっぽり投げて、ワルサーは足取り軽く駆け出した。