第三十五話 破滅関係者はそこかしこに
え? なにこの反応? こんな空中にプカプカ浮かぶ食道楽猫のどこに、そんなかしこまる要素があるの?
「マルセル様! 十二使徒様の御前ですよ! いつまで突っ立っているのですか!」
珍しくラウラの顔が真っ青になっていた。
「え? いやでも、こんな猫に」
俺の返答に、ラウラだけでなくその場の他の全員の顔も真っ青になってしまう。
そんなにマズい発言をしてしまったのだろうか? だって猫だよ? 原作でも重要な役どころだとわかってはいるけど、こんな食っちゃ寝が趣味みたいな真ん丸体形猫のどこに敬うべき要素があるのか、かなり疑問である。
『大概、失礼なやっちゃな自分。せっかく助けたろ思て、出てきたったゆーんに。ええわ、ワイはもう帰らしてもらうわ』
「わー! 待って待って待って! ちょっと待って下さい。助けて下さい。それはもう是非! 偉大なるアディーン様に是非に助けていただきたく存じます!?」
『そこまで頼まれたらしゃあないな。よっしゃ、助けたる』
ちょろい、との感想を寸前で捨てることができたのは経験の賜物だ。
『さ、人の子たちよ、悪いよーにはせぇへんよって、包み隠さず話すんやで。ワイを信じるんや』
俺に対しては警戒と憎悪が強かったにもかかわらず、アディーン様、というよりも十二使徒に対しては無条件で尊敬しているらしく、子供たちはぽつりぽつりと話し始めた。
正直なところ、こんな猫のどこに信用できる要素があるのか、まったくもって理解できない。そりゃ、悪役の俺よりかは信用できるんだろうけどさ。
なんというか、こう、「悪人同士の連帯を断ち切るために別々に個室に呼んで尋問して情報を吐かせる」という、テレビドラマ由来の尋問テクニックを発揮できなかったのはちょっぴり悔しい、のは気のせいということにしておきたい。
(この子らは被害者であって悪人ちゃうやろ)
(それもそうでした)
子供たちの話の内容は事前に知っていた、または想像していた通りだった。
ワルサーは、うちの父親が増税を繰り返したせいで生活が困窮し、盗みのような犯罪行為に手を染めざるを得なくなったような人たちに接触してきたのだという。
雨風を凌げる家と質素ながら一日二食を用意してくれたワルサーは、事あるごとに公爵家への不満を口にしていたという。
貧困が広がり、仕事を失い、路頭に迷うようになったのも公爵家が悪い。
自分たちは高騰する物価に苦労しているのに、貴族共は贅沢な食事をして無駄に食材を捨ててもいる。
物価上昇も治安悪化も貧困進行も郵便ポストが赤いのも、すべては統治者である公爵家の責任であると吹き込み続けたのだ。
同時に、「おれについてくれば、おれの言う通りにしていれば大丈夫だ」とも洗脳した。チンピラや獣人たちが公爵家や貴族への明確な反感を抱くようになるまで、大した時間はかからなかった。
もちろん、この世界の真実を教えてくれたワルサーに対する絶対の信頼を育んだことも。
ワルサーと手下たちは貧しいながらも暴力を糧にある程度の勢力を作り、自分たちよりも弱者――獣人含む――を踏み躙ることで生き延びてきた。
今日だってそうだ。獣人の子供たちからなけなしの金を巻き上げる。金がなければ奪ってこさせる。
いつもやっていることを、いつもなら何事もなく小金をせしめて、金額に文句を言うついでにガキ共に暴力を振るって終わるところを、俺に出くわしたというわけだ。
俺が言うのもなんだけど、ワルサーも本当に酷いな、おい。獣人たちも仲間に引き込んでおきながら、より弱い立場の子供を金づるとして踏み躙っていくのだ。
「君たちの意見を聞かせてもらえるかな?」
俺はフードを被っていた二人の獣人に向きなおった。
二人はビクッと体を震わせ、年下の少女のほうが年上の大柄な獣人の裾を掴んでいる。年上の獣人は、年下の子の頭を優しく撫でると、目つきを鋭くしてこちらを睨んできた。
鋭い目つきには、隠すつもりのない怒りが宿っている。うんうん、こいつの目にはやっぱり見覚えがある気がするよ。やだな、怖いな。
「どうしたの、ニーガン……?」
少女が年上の獣人――ニーガンという名前らしい――に疑問の視線を向けた。ニーガンと呼ばれた獣人は、腹を決めるように大きく息を吸った。
「ワルサーって奴には一度だけあったことがある」
「へえ?」
少なくともその一度はいい人そうだった、と言う。困っていたニーガンたちを助けようと、面倒を見てくれようとしたらしい。だがすぐに、奴隷として売り飛ばそうとしている意図を曝け出したため、逃げ出したのだ。
その後は執拗にターゲットにされ、なけなしの金を奪われ続けた。自分たちだけでは立ちいかなくなったところで、さも救いに来ましたよ、と手を差し伸べる算段だったのだと思われる。
強引に誘拐しないだけまだ紳士的だ。
「ワルサーのアジトなら場所を知ってる。教えたらクリスも、他の子供たちも助けてくれるか?」
ニーガンの言葉に、獣人の女の子がビクリ、と体を震わせた。て、クリス!? てことはこの女の子はアリアのほうか! てっきりクリスだとばかり思っていたよ。
彼女との接点ができないのは無念、と考えたけど、彼女というのはクリスのことで、アリアのことは、この瞬間まで思い出しすらしていなかった。
(なんや、この女の子のこと知っとるんか? どないな子やねん)
(俺の犠牲者ですよ)
(……自分、犠牲ばっかり出しとるんやな)
返す言葉もない。このアリアという少女は、何度も言っている「とある組織」に深くかかわりのある人間だ。正確には、マルセルが深くかかわらせるのである。
マルセルに宿っていた十二使徒アディーン様は、マルセルを見限って主人公に宿るようになり、以後は共に成長していく。
だが十二使徒の名が示す通り、アディーン様と同じような存在が他に十一体、作中に登場する。マルセルとかかわりのあったその「組織」は、十二使徒を宿す存在を人工的に作る計画に立てていた。
協力関係にあったマルセルは「組織」に対し、実験材料としてアリアと、妹のクリスを差し出したのだ。
貧しい平民の子供がどうなっても構わない。相手が獣人であるなら、尚のことどうでもいい。実験の結果、クリスは第九使徒の宿主になる――宿主にされたのだ。
今、この場にいるアリアは実験に耐えられずに死亡し、宿主となったクリスは姉の仇を討つため、自分たち姉妹の尊厳を蔑ろにしたマルセルたちを倒すために、立ち上がるのである。
正しくマルセルの犠牲者と言えよう。
「通りでな……てことは、このニーガンはやっぱりあいつだよな」
「え?」
「いや、他にもたくさんの子供がいるのかい?」
俺の質問にアリアがか細い声で答えた。
「うん……クリスとか、まだ小さい子たちは、ワルサーが」
アリアたちは貧困と暴力から逃げ惑う中、仲間や家族と散り散りになってしまう。散り散りになって、それでも逃げ延びることができたのならまだいい。
だが多くの獣人、特に身体能力や経験に劣る子供たちは大半が捕まってしまう。奴隷として売り飛ばされるのか、原作でマルセルがした通りに実験材料にされてしまうのか。
いずれにしろ明るさとは縁のない未来しか待ち受けていないだろう。
同時に人質でもある。お前たちが言うことを聞かないのなら、稼ぎが悪いのなら、役に立たないのなら、捕まえている仲間たちを酷い目に遭わせてやる、とか。
少なくとも、ワルサーとやらは優しくて面倒見のいい好人物、なんてことはありえない。マルセルの仲間に相応しい、悪党っぷりである。俺はアリアの肩に手を置いて、笑いかけた。
「わかった。ありがとう。君の妹も、他の子たちも、きっと俺が助けるから」
「ひっ」
ただしアリアのほうは体を震わせて、俺から体を遠ざけた。
…………やだな、泣いてなんかないんだからね。
事情を聞く限り、これは、助けないわけにはいかない。原作がなんであれ、今世では絶対にアリアもクリスも、子供たちを犠牲者なんかにさせない、と誓う。