第三十三話 獣人も大事です、けどね
「公爵家の大事な領民になにをしている!?」
「り、領民……? こぃ、つは獣人で」
「だから何だ?」
俺の言葉に、場の全員が驚く。「アクロス」の世界において、獣人を庇うような発言や態度を示す貴族はいない。平民にだってほとんどいない。
数少ない例外が主人公で、主人公の影響を受けて仲間たちも差別感情を失くしていくのだ。
そう、主人公と仲間たちであって、マルセルたち三悪人は最後の瞬間まで獣人を蔑み、ゾンビ化したときですら同じだった。死んでも治らないバカというのは、確かにいるのである。
「平民だろうと奴隷だろうと獣人だろうと関係ない。俺にとってその子たちは守るべき大切な民だ。虐げられているのなら、見過ごすつもりはない!」
ティアお姉たまを除く一族全員が、獣人を差別していることが広く知られている公爵家の人間、それも、弱者とあれば容赦なくいびり倒す俺が獣人を助けるなど、まさに青天の霹靂。
虐げられているものを見過ごさない、などとどの口が言うのか。むしろ積極的に虐げていた側だろうが。けれども、そんな正論を吐いて反発する気概を、暴漢たちは持っていないようだった。
「ど、どうすんだよ?」
「どうもこうもねえよ。き、貴族様を傷つけちまったらもう、しし、処刑されちまうよぉ」
強い恐怖が暴漢たちを襲う。こっちには別に罰するつもりなどはなく、獣人たちを助けたいだけなので、さっさと立ち去ってくれればありがたい。
というのに、男たちの間から、不穏な空気が立ち昇ってきた。
「なあ、どうせ殺されるんならよ、今までの恨みを晴らしてみねえか?」
はい?
「おいおいおい! いいのか?」
「いいに決まってんだろが! 公爵家やハゲセルがどれだけのことをしてきたか知ってるだろ!」
「た、確かに、俺の叔父の店が重税で潰れたけど」
「従妹が身売りするって言ってたな」
弁明の余地なくクソだな、我が一族は(お姉たまは除く)。
「でもそんなことすれば今度は俺たちが殺されるんじゃ」
「拷問の実験とかに使われるかもしれねえぞ」
俺はどんな風に思われているのだろうか。公爵家とマルセルのこれまでの所業が知れ渡っているせいで、暴漢たちはやる気を上昇させた側と逃げ腰の側にわかれていた。
「け! じゃあ、こいつを人質にしちまえばいいだけだ! やるぞ!」
「ぉぉおおうさ!」
暴漢二人が襲いかかってきた。破れかぶれといった態だ。魔法を見て逃げ腰になっているのなら、さっさと逃げてくれればいいのに。
今度はちゃんと動いて見せる。
二人の突進を透かし、一人を火力を抑えた《火球》で吹き飛ばす。もう一人、どころか他の連中は、吹き飛んだ仲間を見て、武器を捨て、恥も外聞も捨てて、大声を上げて逃げ出した。
人質がどうのとか、妙なやる気を出していたのは何だったのか、と思うくらいの逃げ足だ。
「大丈夫だったかい?」
暴漢共が走り去ったのを確認し、フードを被ったままの獣人たちに手を差し出す。
「ひ」
だが差し出した手は正しく報われなかった。パン、と乾いた音と共に叩きのけられた。
「うるさい、貴族が!」
フードを被った子供を庇って、もう一人の、体格に勝るフードの獣人が前に出てきた。声の質からして少年だろう。
何ということでしょう、人助けをしたはずなのに、嫌な予感がヒシヒシと迫ってきます。往々にして嫌な予感というものは当たるもので、今回もそうだった。
獣人の子供に手を払われた直後、物陰から数人の獣人たち――いずれも子供――が出てきたのだ。こんな短時間の内に、二度も複数の相手と向き合う事態に恵まれるなんて。
恵まれたってなんだよ、巻き込まれた、だ。
「おい、こいつ本当に貴族の子供らしいぞ!」
「こいつらのせいで、公爵家のせいで俺たちは……っ」
相手は全部で六人、全員が子供だった。身なりは汚く、痩せていて、栄養状態が悪いことがわかる。浮浪児というやつだ。
政治にはかかわらせてもらっていない俺だが、親父殿の基本姿勢として「復権を諦めていない」ことくらいは知っている。
しかし兄が時々漏らす言葉、ラウラやカリーヌたち使用人から聞くことができた話、これらから少しばかりは外の世界を知ることはできていた。
つまり俺が採るべき行動は、
『蹴散らすんやな?』
脱悪人を目指しているのに、子供を蹴散らしてどうするのか。
(待て待て待て待って下さい。こいつらはもしかしなくてもうちの被害者じゃないですか)
サンバルカン公爵領では現在、浮浪児が増えている。
景気後退と税負担の増大が原因で、子を養うことができなくなる家庭が徐々に増えているからだ。一家離散も増え、金策のために売られる子供も増えていると聞く。
『公爵の増税のせいで彼らが浮浪児になったとは限らんのとちゃうか?』
(本当にそう思いますか?)
『いんや』
フォローめいたセリフの直後に叩き落とさないでほしい。上げたら落とすのは基本とはいえ、せめて落とすのならもっときっちり上げてくれないかな。
まあ使用人たちのように、恐れと怯えからなにも言ってくれないよりかは、ずっと気楽なんだけど。
大人は盗賊や傭兵や冒険者になれるからまだいい。しかし子供たちの採れる道は更に狭い。盗賊や物乞い、あるいは捕まって奴隷として売り払われる。
『最近では公都ローアでも、裏通りに入ると目に入るようになっとるようやからの。そう考えると、めっちゃ増えとるんとちゃうか』
(こいつらにとって、俺は憎い仇ってわけなん……少年? 獣人?)
『どないした?』
俺の手を叩いた少年を見る。フードに隠れてよく見えないが、あの鋭い眼光は記憶にある、気がしてきた。マルセルの本拠地グラードと獣人。この組み合わせ。
いやいやいや、重要な出会いがあるかもと思っていたけど、予想外の出会いもこのタイミングなんじゃないだろうな。
猛烈に嫌な予感が俺の背筋を駆け上がってきた。もしかすると。
「だ、大丈夫ですか、坊ちゃま?」
カリーヌが心配そうに寄ってくる。
「ぁぁぁああ俺は大丈夫だ。そっかぁ、そっかそっか、余計なお世話だったかぁ。それは悪いことをしてしまったね。心の底から悪いと思っているからね、これ以上、君たちの邪魔をするのもなんだし、それじゃあ、俺たちはこれで。さあ、行くぞ、カリーヌ。今すぐここからできるだけ遠くへ行くぞ!」
「え? ぇええ? よろしいんですか、坊ちゃま?」
よろしいに決まってる。暴漢たちから子供たちを助けることはできた。それでいいじゃないか。他になにが必要だっていうんだ。いいや、必要なものなど断じてない。ないに決まってる!
彼女との接点ができないのは無念の限りだが、できなかったことを悔やんでも仕方ない。
獣人たちにもケガはないようだし、早々にこの場から離れるようにしよう。厄介事やトラブルには破滅の臭いが付きまとう。
つまり厄介事には近付かない。もし近付いてしまったら速やかに立ち去る。
厄介事に首を突っ込みはしたが、目の前の問題だけは解決して見せたのだから、立ち去っても構わないんじゃないかな。
俺は未だフードを取らない獣人たちから、一歩二歩と距離をとる。
背中を向け、ようとしたところで風が吹いた。
「「あ」」
俺と女の子の声が重なった。はらり。取り払われたフードの中から現れたのは、銀色の髪を持った獣人の少女。原作で知っている顔によく似ていた。えーと、お久しぶりですね、初めまして。
「ぁっ!」
少女は素顔を晒したことをやばいと判断したのか、慌ててフードを被りなおす。彼女は俺の知っている顔ではあっても、原作で見るよりもずっと顔色が悪く、小汚い上に痩せてもいる。
ピコン、と音を立てて選択肢画面が浮かんできた気がした。
破滅から遠のくために、痩せて栄養不良も明らかな弱い立場の女の子と、女の子の仲間である獣人たちを放っておく。
論外だ。立ち去ることを考えたばかりの俺が言うのもなんだが、論外だ。彼女は間違いなく、また暴漢たちに暴力を受け、搾取されるだろう。
そうなると彼女は原作通りの運命を辿ることになる。不平等な社会を憎み、不平等な世界に君臨する貴族を打倒し、世界を良くするための戦いに身を投じる。
闘争の最中、彼女は主人公らと出会い、マルセルを倒すことにも協力するのだ。つまりここで彼女から離れることは、破滅フラグを固定化させることに繋がりかねない。
では彼女をきっちりと助けるとどうなるか。
そんな展開は原作にないのだからわかるはずもない。吉と出るか凶と出るか、まったく読めない。破滅行きか、カンニングのできない道に足を踏み入れるか。