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第三十一話 近付きたくない、んだけど

 そう、人助けなんだよ。


 車酔い覚ましをも兼ねて外を歩いてみよう。せっかく、こんな景色のいい場所に来たんだ。部屋に閉じこもっているなんて、もったいなさ過ぎて罰が当たる。


 なんてのは建前だ。外に出れば目当ての人間に会えるかもしれない、というのが本音である。


 これから先の出来事などわかるはずもないので、口にするわけにもいかない。下手に口走ろうものなら、現実と妄想の区別がつかないとの烙印を押されて、本気で長期療養入院を手配されかねない。


 この場合の長期とは、すなわち、一生涯ということだ。


「では、『坊ちゃま、初日の勉強はサボり』と報告させていただきます」

「待つんだカリーヌ! 帰ってきたらちゃんとやるからね!? 世の中には気分転換が重要だという学術的意見が発表されていてだな!?」


 特に物事に取り組んでいないくせに気分転換ですか、とでも言いたげな女性二人である。


「カリーヌ、こっちは任せて。貴女はマルセル様についていきなさい。信用できなマルセル様を一人にさせるわけにはいきません」

「わかりました」


 信用できないって言おうとしたね、ラウラさん。そしてわかるのが早すぎませんかね、カリーヌさん。いかん、カリーヌマイヒロインがラウラの悪い影響を受けている気がする。


 そんな女子二人から発せられる氷点下の視線と心の声から逃げるように、いや事実として逃げ出しました。


 屋敷から飛び出る前に、待機していた親衛隊の皆さんに声をかける。


「警護、ありがとう。ここまで無事に来られたのは君たちのおかげだ。君たちの忠誠に深く感謝する。気をつけて帰るんだ」

『『『え?』』」


 親衛隊の皆さんの顔だけでなく、目の形すらもクエスチョンマークになっている。彼らにしてみれば、公爵家子息である俺の警護は仕事でしかない。ケガをしても、最悪、落命しても、護衛対象からすれば仕事上の役目だと捉えるものだ。


 労いの言葉をかける貴族もいるだろうが、ティアお姉たまを除いた一族すべてが悪役、と言って過言ではないサンバルカン公爵家の人間がすることはなかったと思われる。


「はっ。マルセル様のご回復を心より願っております!」


 警護隊長と、隊長の後ろにいる隊員たちの顔は「療養したらまたあの悪辣なガキに戻ってしまうのか」や「このままでいてくれたいいのに」と物語っていた。ちょっと表情が雄弁過ぎやしませんかね。


 彼らは公爵家の中では腕利きだ。味方か敵か、どっちにするかと問われると、味方以外に有り得ない。作中ではほとんど出てこなかった彼らだが、破滅しそうになったときに助けてもらえるかもしれない、ことを祈る。


 優しい言葉をかけるだけで破滅が遠のくとは限らない。けど声をかけなければ間違いなく印象は悪いままだ。だったら声くらいは掛けようじゃないか。


 俺は屋敷を出た。目的はあるけど、少しは自由とか異世界転生を楽しみたいところ。一応、護身用として小型のナイフを腰に吊っている。いざというときの身分証代わりにと、公爵家の紋章付きだ。


「……逆に紋章のせいで公爵家の人間だとバレて袋叩きに遭ったりしないかな。不安になってきた」


 懸念はともかく、俺は無事に屋敷の外に出ることに成功したわけだ。もちろん二人で。カリーヌは「わたしが坊ちゃまを守る」と使命感に燃えている。


 心配する素振りすらしなかったラウラとは大違いだ。


 いや確かにね? ラウラを連れて行く気は俺にもなかったけど、あそこまであっさりされているとちょっぴり寂しいものがある。でも俺はマゾじゃない。


 代わりに渡されたのは、小さな信号機だ。これがあれば俺がどこにいるかが離れていてもわかるらしい。GPSかよ。もしかすると尾行がつくかもしれない。


 ……深く考えるのは止そう。怖くなってくる。


 予想通りなら、俺にはこの場所で重要な出会いがあるはずだ。破滅フラグを確定させる出会いだ。絶対に近付いてたまるか。


 外に出れば出会うリスクがあるが、家の中にいても向こうから勝手に接触してくるかもしれない。まだ逃げ場のある外のほうがマシだ。


 破滅の臭いがする奴には近付かない、遠ざかる。原作で見知った顔があったら一目散に逃げよう。


 でも悪役の評判を打破するために、助けられる範囲なら人々を助けようじゃないか。原作ヒロインから冷遇されている事実よりも、絶対に重要なはずだ。


「さあて、運命さんよ。頼むから少しは俺に微笑んでくれよ」


 パンパン、と両頬を叩く。


 二十分後、かくして運命様は俺に微笑みかけてくれた。柔らかく魅力的な微笑ではなく、とびきり邪悪な魔女めいた微笑みだったけど。


「坊ちゃま、あれを」

「え?」


 カリーヌの気遣わしげな声と表情の先には、人の集まりが作られていた。原作漫画では二回程、アニメでは主にオリジナルエピソードで何度も見たシーンだ。


 大体はパターンがあって、悪役三人組が仲間や手下たちと弱者をイジメているのである。家柄の低い相手や平民、貧乏人、オドオドしている人たちが対象だ。そこに主人公アクロスたちの介入を受けて、叩きのめされるのである。


 結末は不明として、導入については今回もそうだった。数人の、しかも体格で圧倒的に勝る大人が数人、フードを被った二人の子供を取り囲んでいる。


 振り返ってもこんなエピソードは知らない。そりゃそうだ。マルセルに注目するようなエピソードが原作にあるわけない。


 けど参考にできることはいくらでもある。悪役転生もののラノベとかがそうだ。破滅から避けるため、人間関係を変えたりトラブルに近付かなかったり。


 つまりこの場合は、さりげなく道を変えて厄介事から離れるのだ。主人公なら助けることでフラグの一つでも立つ。一般人でも好感度を上げることに繋がる。


 だがしかし、悪役補正強めのマルセルだとどうなるか。下手に近付けばそれだけで、加害者の枠内に取り込まれてしまうだろう。なにもせずに通り過ぎた場合、運が良ければギリギリ「冷徹な傍観者枠」で済むかもしれない。


 この場合、問題なのは、明確な加害者がいるということだ。子供を取り囲む大人たち、というのが俺の破滅を引き寄せる「例の組織」と繋がっているかもしれない。


 人助けをして好感度を上げることに勤しむか、厄介事の種から徹底的に遠ざかるか。判断を下す前に、じっと目を凝らす。


 助けられる範囲なら人を助ける、と決めはしても、あのトラブルの渦中の中に破滅を呼び込む相手がいるかもしれない。


 破滅の運命から逃れるためには、リスクには絶対に近付くべきではない。


 それとも脱悪役を印象付けるため、無条件で助けるべきか。


 目当ての人物だと確認が取れていないのだから、と距離をとることは、果たして正しいのかどうか。


「???」


 唐突に、俺の迷う心に氷柱が突き立てられた。実際には氷柱ではなくカリーヌの視線だ。なぜか彼女は俺をジッと見ている。どこかそこはかとなく、信頼とか期待が満ち満ちているかのように見える顔。


 どうやって助けるんですか? 剣で追い払いますか? 魔法で散らしますか? それともわたしが先陣を切りましょうか?


 最後のはともかく、カリーヌは俺が助けに入ることを信じて疑っていない。


 あれ? いつの間に俺はそんな立ち位置になってるの?


 信頼されるのは正直、嬉しい。マルセルに対してここまで信頼を寄せてくれる相手など、史上初めてのことだ。信頼には応えたい。そうでないとなけなしの信頼のすべてが失われることになる。


 まさにゼロか百。


 いや考えを変えよう。現状、カリーヌは俺にとって唯一の味方、と言えなくもない位置にいる。カリーヌ以外の人間は、敵か、暗殺者か、悪の道に引きずり込もうとしているか、ぐらいだ。


 迫る、選択のとき。


 破滅を避けるために厄介事を避けるという当初の目的を徹底する=カリーヌからの信頼を失う。


 暴力の現場に介入する=破滅ルートに引きずり込まれる、または厄介事に巻き込まれる可能性が極めて高い。


 何でこんな選択肢が出てくるの!? こんなことなら屋敷に残っておけばよかった。


(止むを……得んっ!)


 どうせここまで、脱悪役の試みは大して成果を上げていないんだ。破滅から逃れるためにも、せっかくの味方を失うことのほうが問題と考えるべき。


 俺は両手で頬を叩いて気合を入れた。

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