第三十話 療養、してる場合じゃない
死と破滅を呼んでくるラウラを呼んだ覚えは断じてない。マルセルなら「なぜお前がここにいる。呼んだ覚えはない。さっさと失せろ」あたりのセリフを飛ばすだろう。
でも俺には無理だ。「どうしてここにいるんですか?」と低姿勢にならなかっただけでも褒めてほしい。
「経験の浅いカリーヌだけに坊ちゃまをお任せするのは早い、との旦那様の判断です。粗相があるといけないからすぐに追いかけるようにと命令を受けまして。昼夜を徹して追いかけてきました。以後、坊ちゃまのために全力を尽くさせていただきます」
絶対に嘘だ。百二十パーセントの確信を持って言える。俺のために全力を尽くす人間が、「目覚めてしまった」などと口にするのはおかしいだろ。実家の許可をきっちり取っている点が呆れる限りだ。
あの親父、絶望的に人を見る目がない。使用人は他にもいるのに、なんだってよりにもよってラウラを送り込んでくるんだよ。
もはや追及の無意味さを悟った俺は横になったまま首を窓に向けた。王都の邸宅とは似ているようで違う景色が広がっている。これで真っ青な海が広がっているのならリゾート気分にでも浸れたろうに。
「ふむ、どうやら無事に別荘に着いたようだな」
「療養……名目は視察ということですが、坊ちゃまはこんなところで、なにかするつもりなのですか」
「俺という人間を見直すためにも、少し屋敷の外に出てみようかと思ってな」
本当は親父殿の命令である点については、あえて語るまでもないことだ。
「実質的な療養を命じらたということは、基本的に屋敷の外には出てはならないということ。外に出ることは旦那様からの不興を買うことにもつながりかねないことぐらい、聡いマルセル様なら当然、ご存じのことと確信いたします。ご存じの上で、自らを見直すためにリスクをお取りになるとは、このラウラ、感動で胸が打ち震えております」
フッ、今日もまた冷たい視線がこの身を苛むぜ。振るえるような立派な胸をしてないだろ、お前は。怖いから胸に視線をやるような真似はしないけどね。
おかしいな。これでも結構な努力をしているつもりなのだが、脱悪役どころか、悪役ルートから抜け出すきっかけさえ掴めていない気がする。
「いや、諦めるにはまだ早い。てか諦めてたまるか」
「坊ちゃま?」
原作知識は持っていても、生の経験が少なければ世界は狭いままだ。それでなくともマルセルの交友関係は、「狭く浅く、金づく力づく」だから、こんなときに協力してくれそうなのは極めて限られる。
具体的には悪役三人組の同志だけだ。その同志たちも少し用事があるとかで、今回は頼ることはできない。そもそも療養に同行させるわけにもいかない。
カリーヌは数少ない信用できる――信用できる可能性が他よりも高いという程度――人間だが、戦闘力は皆無。ラウラは頼るどころか、むしろ俺を追い詰める側の人間だから論外。
いや、話の持って行き方次第で協力を得るくらいはできるかもしれない。前世知識と俺だけで、このイベントをクリアすることができるかどうかは不透明だしな。
そう。イベントだ。ただし原作で描写されたことのないイベントである。
ここが重要な点だ。
原作「アクロス」においてマルセルたち悪役三人組がピックアップされることはほぼない。三人組で最後まで生き残っていた、「命を弄ぶ担当」のシルフィードの出番が多かったくらいで、マルセルに至っては負けたり逃げたりするときに大ゴマを割り振られていたくらいだ。
同様にサンバルカン家の領地のことも作中にほとんど出てこない。数少ない例外がこの飛び地、グラードだ。
サンバルカン公爵領グラード地方。公爵領の飛び地であり、人口も経済も公爵領の中でも最低ランクの土地だ。
王国からすると重要でもなんでもないこの地は、マルセルにとってはキーとなる場所であった。ターニングポイントというべきかもしれない。
キャラ名鑑のマルセルの項には「本拠地で完全敗北を喫し、逃走途中に殺害された」とだけしか書かれていなかったが、とある組織――原作「アクロス」における最大の敵――の項に別の記載がされていた。
マルセルに協力し、マルセルを操っていた組織の項に、僅かにこう書かれていたのだ。「マルセルの本拠地であるグラードで初接触をした」と。
グラードは原作におけるマルセルの出発点であり、この地での出会いがマルセルのその後を決定付けたと言ってよい。
出発点、本拠地、そして終末の地だ。
武器や財産を隠し、奴隷たちを酷使していた場所にして、マルセルが死んだ場所。
主人公アクロスたちに追いつめられたマルセルはグラードに逃げ込み、必死の抵抗の末に――読者の目からは、無様な悪あがきであるが――完膚なきまでに負けるのだ。思い出すだけで気が滅入ってくる。
一応は登校禁止措置期間中、曲がりなりにも療養に来ているのに、どうせならもっと別の場所に行きたかった。
いや俺だってこんな縁起の悪い場所に愛着なんかない。本拠地だか何だか知らないが、この場所での出会いがマルセル破滅の歩みを加速させるのだ。できることなら近寄りたくないですよ。
うん、場所に罪はないことは承知しております。承知しておりますので、ちゃんと目的をもってグラードに来たのである。
正確には親父殿の命令という、逃れえぬ運命力によって来たわけであるが、来た以上は、できるだけのことをしなければ。
すべては運命を変えるため。破滅ルートを脱し、平凡な伯爵ルートに入るため。「あの組織」との関係とか繋がりを作らないため、療養を名目に来たのです。
は? 逆行ものとかにありがちな主人公ルート? 正義の味方ルート? そんなものに興味はない、と言ったら嘘だけど、それよりも自分自身の命と安全が大事なんです。
グラードの屋敷は一般人からすれば大きく、公爵家の財力からすれば小さい。三代前のサンバルカン公爵が戯れに立てた別荘で、常駐する使用人もいない。
つまり今現在、この屋敷内にいるのは、俺とカリーヌとラウラの三人だけだった。
「あれ? これってもしかして、実家追放イベントなんじゃ」
少し冷静に振り返り、俺は軽いショックを覚えた。いや、親父殿は療養を名目にしただけであって、実家追放イベントではない筈、なんだけど。
ファン必携、と銘打たれたキャラ名鑑には、マルセルが魔法学院入学後に実家から出されて、グラード地方の別邸で療養した、との一文が記されていた。
名目は素行不良を正すため、本音は、学院でアクロスにやらかしたことを揉み消すまでの間、マルセルが余計な動きをしないように遠ざけたというわけだ。
仕返しを考えて暴走したら、優秀な長兄や、復権を狙う家の足枷になるんじゃないかと思われた、とのことだ。
ここへ来たのは俺にも思惑があっての行動とはいえ、表面だけを掬い取れば、原作通りに実家を出てグラード地方に来たことに変わりがない。
もしこれが実家追放イベントであるなら、歴史の流れから未だ外れていないことを意味している。
「これでも結構頑張っているんだけどな……もっと死ぬ気でやれということなのかなぁ」
俺の溜息を受け止めてくれた家財道具の類には、埃の欠片らすらついていない。俺が意識を失っている間に、屋敷の掃除を終えたらしく、しばらく使われていない割には、室内はピカピカだ。
ラウラの優秀さがうかがい知れる。カリーヌはまだまだドジっ子の側面が強いから、ラウラほどの家事能力は期待できないし。
「坊ちゃま、この後はどうなされるおつもりですか?」
「うん、ちょっと外を歩いてみようかと思ってるよ。カリーヌはラウラと一緒に屋敷の片付けをしておいてくれ」
「かしこまりました」
「……」
あの、ラウラさん。その「さすがはマルセル様。雑事を下々の人間に押し付けて、自分だけは気分転換ですか」とでも言いたげな目は止めていただけませんかね。
一応、こっちは遊びに出るわけじゃないから。目論見通りなら人助けになるはずだから。