第二十九話 新たな破滅の種に気付く
思って、少し振り返る。マルセルが真剣になったのって、最後に追い詰められてからだ。というより、追い詰められたまさにその瞬間だ。
それまでは敗北しようと逃走に追い込まれようと、斜に構え、格好をつけて、余裕ぶって、更に追い詰められていくのだ。
うん、命がかかった最後の瞬間まで本気にならなかったマルセルだ。急に真面目になったら、そりゃあおかしいと思われるよな。納得。
納得したけど面と向かって言うなよ。一応、こっちは血を分けた息子だぞ? 中身は違うけど。
「だから療養してこい。命令だ」
「はい。わかりました、父上」
「用件はそれだけだ」
結局、親父殿は俺を一瞥することもなかったとさ。正念場だと思って努力していただけなのに、別の場所に飛ばされるなんて。
「グラードでしっかりと心も体も休めて、元のお前に戻れ」
元の俺って……あんなのに戻っていいのか、本当に。
親父殿の言うグラードというのは、王都からさほど離れていない位置にある公爵領の飛び地だ。なんだ、血も涙もない親だと思ったら、多少は気にかけているらしい。
呑気にそんなことを考える。グラードでのんびりしながら破滅回避について策を練ろう、か……な…………
「?」
なにか引っかかる。のんびりしていると破滅に向かってまっしぐらになりそうな、そんな感覚が首筋をチリチリさせるのだ。
グラードになにかあったかな? キャラ名鑑のマルセルの項の内容はあまりはっきり覚えていないことが悔やまれる。
「いや、マルセルの項じゃなかった気が……確かあれは」
あ。
「ああああああ!」
思い出した! 思い出した思い出した! あれだ。マルセルの項じゃなくて、もっと別の項に書いてあったあれだ。
そうか、このタイミングでマルセルと接触するのか! 冗談じゃない、のんびり考えてる暇なんかないじゃないか。早急になんとかしないと、かなりまずい。
「ど、どうしたマルセル!?」
突然の大声に、遂に親父殿の目が書類から上げられた。
どうするどうするどうする? 早く、マジでなんとかしないと。今までの努力なんか木っ端微塵になってしまう。その場に突っ立ったまま、頭だけをフル回転させる。間違いなく大学受験のときよりも頭を使っているぞ。
「そうか! 逆手に取ればいいのか!」
名案だ。てかこれしかない。
「父上! 早速療養に行ってまいります!」
「ぉ、おお」
親父殿もあっさりと快諾してくれた。
「……激しい吐血による心身激しいダメージを受けた可能性も否定できない、か。医者が言っていたがこれがそれか? 景色と空気の良い場所で療養に集中してくるといい…………もう手遅れかもしれんが」
最後の呟きはいらないと思う。まあ、この親父殿のことだ。腹の底でなにを考えているか知れたものではない。
元の状態に戻れ? 家の役に立たないので遠くへ行け? 出て行った先でなんらかの利益を見つけるのなら上出来?
こんなところだろうか。もしかすると本気で病院への長期入院を考えているかもしれない。それよりも、
「しっかりと、くれぐれもしっかりと休んでくるんだぞ?」
いくらなんでも念押しのし過ぎではなかろうか。うんざりしながも俺は返事をし、やる気に満ちた足取りで療養に向かったのである。
王国の東側に広大な領地を持つ公爵家には飛び地があり、そこは王都から馬車で日帰り移動ができる。
静養と言うなら、本来は本領に戻るところなのだろう。しかし今のタイミングは原作第一話終了後だ。
登校禁止処分を受けているとはいえ、学期中に本領に帰るのは非現実的。学業のことも考えなければならず、飛び地への移動が精々だったということだ。
アクロスを主軸にしたら既に数話分が済んだ頃。しかし原作でマルセルが次に登場するのはもう少し先の話で、このときにマルセルは「彼ら」との接点を作ったのだろう。
現実を直視して対策を練るのはまた別の機会に。夏季休暇のようにまとまった時間ができれば、本領に戻ることもできるだろうから、そのときにしよう。
今は目の前の問題に全力で取り組まなければ。貞子並の勢いで破滅が這い寄ってきている気がする。ダメだ、逃げ切れる気がしなくなってきた。
グラードへの移動は視察を名目としている。療養でもいいと思うが、サンバルカン公爵家のような大貴族にとっては、病気療養というのは見栄えが良くないらしい。
ただし家族、特に親父殿の本音は療養であることは確かだ。
吐血からの意識消失以来、人が変わったように――実際に変わっているのだが――剣に魔法に学問に打ち込んでいる俺を見て心配になった、と堂々と口にするくらいだ。
真面目に取り組んだら他人から心配されるんだから、世の中、間違っているとつくづく思う。いや間違っていたのは今までの俺なだけなんだけど。
公爵家とマルセル、両方の悪い評判は広まっている。飛び地とはいえ領地での静養には、少なくない危険が付きまとうだろう。
目的があるのでグラードには俺一人で行きたい。そんな俺の願いは当然のように聞き入れられることなく、お付きの人間が用意されてしまった。俺専属となっているメイドのカリーヌだ。
よかった、ラウラとかキャロラインをつけられたらどうしようかと思った。
美少女二人を侍らせての旅路、と言えば聞こえもいいだろう。実際は、美少女メイド兼暗殺者と家庭教師兼監察官である。俺の心が休まることなどあろうはずもない。
また俺が胃を痛めていようと、優しい気遣いなどあり得ないというのも、考えるまでもないことだ。
仮にラウラとキャロラインが同行していたら、美少女二人と一緒にいるのにもかかわらず、心が浮くどころか警戒値だけが上がっていくだけ。ついでに血圧とか心拍も上がりそう。
なにその異世界転生、どっかバグってるんじゃないの? よかった、同行するのがマイヒロインで。
馬車の窓を開け、外を見る。馬車の周囲には、馬に跨ったそれなりに立派な服装の騎士たちが並走していた。公爵家の親衛隊だ。これでも公爵家子息なので、親父殿が付けてくれたのである。
護衛の隊長と視線が合うと、隊長は強張った表情を返してきた。気晴らしに会話すら難しそうだ。ふ、毛髪を失った頭部が寒いぜ。
「こんなことならシルフィードたちに頼めばよかったかなぁ」
「なにか仰いましたか、坊ちゃま?」
「いや、なにも」
生涯初めての遠出にはしゃいでいるカリーヌの笑顔を前に、俺に言えることはなかったわけで。
何というか、最近の彼女は俺に慣れてきたようだ。最初の頃のように過剰に怯えるようなことはなくなり、多少なりとも、敬意を持ってくれてもいるらしい。ただし、扱い方が少しぞんざいになっているような気もする。
深く考えても仕方ない。せめて、せめて名目だけとはいえ視察だけでもしっかりしよう。と、思い勇んだまではよかった。
「う、ぷ」
しかし、十二歳児というのは俺が思っているよりも体力も耐久力もなかったのだ。気分が悪い。嘔気が腹の底からせり上がってくる。脂汗が額を伝う。
あまり経験のない馬車移動のせいで、三十分もしないうちに俺の意識はブラックアウトしていったのである。
再び俺が目覚めたとき、そこには知らない天井がまたも広がっていた。異世界転生なんだから当たり前とはいえ、知らない天井が多すぎないか?
「ああ! お目覚めですか、坊ちゃま!?」
「ああ……目覚めてしまったのですね、マルセル様」
「ラウラ先輩、選ぶ言葉が間違ってますよ!」
貴様ぁ、なぜここにいる!?
俺の目の前には、俺のことを心配してくれる心優しきマイヒロインと、柔らかくも薄い笑顔に冷えきった目付きの暗殺者であるラウラ。
ラウラの言葉には相変わらず棘がある。棘しかないような気がする。ついでに棘は釣り針のように返しがついていた。この分だと、俺の評価が修正されるのは当分、先のようであった。
「どうしてお前がここにいる、ラウラ?」