第二十八話 馬車に乗ることになった理由
サンバルカン公爵領では今、かつてない水準の税率になっているらしい。もちろん、公爵領は元からかなり豊かであるので、多少の税率アップは受け入れられるだけの余地がある。
人口と経済規模の大きい公爵領で商売をしたい人間は多くいるからだ。
しかし、それにも限度がある。
自分の地位やプライドのために領民を苦しめることが常態化するなら、親父殿だけではなくサンバルカン公爵家自体が、悪徳一族としての評価を確固たるものにしてしまう。
ただでさえ、かなり悪役寄りだというのに、加速させたり補強したりしてどうするというのか。
当然、俺もセットだ。血筋と権力と財力とを併せ持っていながら破滅に向かってひた走る。歴史を紐解けばいくらでも実例を知ることができるだろうに、公爵家はなにも学ばないつもりのようだ。
そこで俺が思いついたことが、
「ずばり、世直しをしようと思う」
『それが自分の考えかい。自分、ほんまに異世界人なん? なんや疑わしなってきよったわ』
「失礼な」
勧善懲悪という言葉がある。弱きを助け、強きをくじき、民衆から感謝される素敵なお仕事だ。ごめん、勧善懲悪は職業じゃなかった。
だが俺が生き延びるためにはかなり有効な策ではなかろうか。なにより条件も揃っている。印籠を振りかざす、ご隠居なあんちくしょうのように今の俺には権力がある。
『自分の権力やのーて、家の権力やけどな』
公爵家の血筋による高い魔法の才能も。
『自分で高いいーなや』
細かいツッコミが多いことは気にしない。一緒に行動してくれる仲間には今のところ、心当たりがないことも残念だ。
『悪役三人組の二人を引っ張り込んだらあかんのけ?』
「考えたんですけど、アイツらが協力してくれるかどうか微妙ですしね。シルフィードなんか、商売優先しそうですし」
貴族三人で世直しってのもどうなんだろう、との思いもある。
『まあの、この国がいくら平和ゆーても、探せば悪事を働いとる奴なんかいくらでもおるさかいな。奴隷を扱うやつとか、ヤバイ薬を扱うやつとか、権力振り回して庶民から税を絞るとるやつとか、おっと、べつに自分らのことを揶揄してんのとちゃうで?』
「めっちゃ揶揄してるということぐらいはわかります」
少なくとも悪党がのさばっていることがわかれば十分だ。のさばっている悪党の中に自分の家が含まれていることを除けば。
『つーかやな、自分、冒険者にはならへんのかいな? 異世界転生した連中ゆーんは冒険者になるんがパターンなんやろ?』
アディーン様は俺の記憶からそのあたりの事情を読み取っていた。
この世界にも冒険者という職業は存在する。主人公も物語の主軸となるのも魔法騎士だが、魔法騎士になれなかったものたちが夢を追い続ける職業、として冒険者が描かれているのだ。
中には魔法騎士から冒険者になっているケースもある。ケガをして冒険者に転身したエイナールの友人もいるし、魔法騎士を追放されたせいで強く敵視してくるものもいた。
「確かにそれは鉄板ではあるんですけどね」
破滅エンドがせめて国外追放で収まったときは、第二の人生として冒険者になろうと思っている。
ただし、前提条件として、チート保有者であることが挙げられることが非常に多い。経験値が十倍入ってくるだとか、モンスターの持つスキルを奪うだとか、その他神様からふざけた能力を貰う奴らが辿る道だ。
そしてやることなすことすべてはいい方向に転がり、手当たり次第に手柄を立てまくって活躍しまくり、可愛い女の子たちとハーレムを作るのが、現代日本を席巻する異世界転生チーレム無双というやつなのである。
「十二使徒のアディーン様からなにか特別な能力を授けていただけたら、と愚考するところでございます」
『ほんま、愚考やな』
実に容赦のないバッサリである。
『せやけどまぁ、わいと自分の仲や。椅子に座るたんびに切れ痔になるスキルやったらプレゼントしたる』
「あ、断じていりません」
なんだそのゴミスキルは。スキルレベルを上げると切れ痔が大きくなるのか? レベルをマックスにしたらどうなるんだ? 痔出血を起こして貧血にでもなるのか?
『いや、肛門周囲の細胞が腫瘍化する』
「尚更いりませんよ!」
神様から有力スキルやアイテムを授けられる、なんて展開は諦めよう。
しかし世直しを行うというのは、我ながらかなりいいアイデアではなかろうか。
公爵家の生まれであるだけでも十分なアドバンテージ。融合魔法の使用はアディーン様に禁じられてしまったが、他にも原作知識から得た技術はある。
意図せず、キャロラインという優秀な家庭教師も付けられてしまったのだから、知識も加えれば魔法の腕もかなり向上する、と期待してもいい筈だ。
この魔法の実力(予定)と、魔法には及ばないが積み重ねた剣の練習の結果(もちろん、予定)があれば、本当に諸国を巡るご隠居的な立ち位置を確立できるかもしれない。
諸国放浪の魔法剣士。実力と公爵家の権威でもって悪人たちを平伏させ、力なき庶民たちからは涙ながらに感謝される俺。ふうむ、日本人から長く愛される理由がわかるというものだ。
『つまり死亡エンドも破滅エンドも没落エンドも回避するゆーことやな?』
「ぅう!」
改めて指摘されると、そびえ立つフラグの数々に、気が遠くなりそうだ。気のせいかな、貧血を発症したかもしれない。フラフラしてきた。
『それに自分は今、魔法騎士学院に通ってるやないか。無事に卒業したらやけど、王国に仕える魔法騎士になるとこまで決められとるからな。諸国放浪なんかでけへんで』
「そうでしたぁっ!」
マルセルの設定は覚えていたのに、肝心の舞台となる『アクロス』の設定を忘れていた。
いっそのこと、わざと失敗して魔法騎士を追放されるというのはどうか。これなら主人公との接点がきっちりとなくなりそうだが……いや、親父殿が許してくれるとは思えない。
どんな悪行を積んでも、公爵家の権力に物を言わせて、揉み消してしまうだろうな。ダメだ、かえって悪役度が上がってしまいそうでならない。
夢は所詮、夢ということか。
なら夢ばかりを見ているわけにはいかない。
まずは現実をしっかりと見つめようと思った矢先、親父殿から呼び出されたのだ。
「マルセル、療養してこい」
「ホワッツ?」
ある日、親父殿の執務室に呼び出されたと思ったら、挨拶もすっ飛ばされて告げられた。親父殿、挨拶はまあいいとして、話をする時くらいは書類に落としている目をこっちに向けようよ。
「あの、父上、療養とはどういうことでしょうか? 体調はもうよくなっていると思うのですが」
事実、肉体的にはすこぶる健康だ。未来を変えるためにと訓練にも励んでいる。
原作マルセルにはあった好き嫌いというか偏食っぷりも俺にはない。出された食事をきっちり食べて、美味しかったと感謝の言葉を口にしたところ、気でも狂ったのかとの目で見られた。
好き嫌いもせず、早寝早起きで生活リズムの乱れもなく、訓練による運動もこなしている。はっきり言って、体力面では転生前も含めてもっとも豊富と評価できるのではなかろうか。
「体調面を言っているのではない」
「えっと、精神的にも安定しているかと……」
待ち受ける破滅が見えているため、多少は追い詰められた感はあるにしても、病んでいるわけではない。原作を思い出そうとするあまり、ブツブツと独り言を呟いて周囲から距離をとられた記憶はあるけどね。
「問題なのは、頭だ」
「…………」
どういう意味だ、親父殿。言うに事を欠いて頭とはなんだ頭とは。
「聞くところによると、マルセル、お前は最近、剣に魔法に学問にと真剣に取り組んでいるようだな」
「え、ええ。これまでの自分を顧みまして」
顧みたのではなく、実際に読んできた結果です。
「そこだ」
「はい?」
「お前が自己を振り返ることなどこれまでにないことだし、これほど真剣に物事に取り組むのも明らかにおかしい。異常だ」
待てこらクソ親父。俺が真面目にするのはそんなにおかしいことなのか。異常ってなんだよ異常って。