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第一話 巻き戻り、そして吐血

「ぴぃぃぃいぎゃあぁっぁぁぁぁぁあ!?」


 自分自身の悲鳴で目を覚ました。


「ひぎぃいいいぃいいっ!? ぽぎょうほぅぅおぉぅぉぉう!?」


 悲鳴と絶叫は一度だけでは終わらず、絶叫を続けながら頭や首や全身を触り続ける。無事だ。砕けていない。首だって胴体と繋がったままだ。


「な、ななな何だったんだ今のは!? オ、オオオォォオレはどうなったんだ!? どうなってるんだ、確かに死んだと思ったんだがっ」


 不意にマルセルの視線が手に落ちる。追放を受けて長い逃亡生活を経て、硬くひび割れてしまっていた手も、本来のものに戻っていた。支配者に相応しく、白く柔らかく、美食による脂でふっくらとしている。


「そうだ……これがオレの手……だよな…………?」


 そんな疑問が酸素不足の脳内を襲う。疑問に襲われたことで、混乱がより深くなった。


「……そ、そうだよ、な……ぁ、れは、あんなのは夢ぇ、だよな……うん、ぅん」


 まじまじと手を見、ペタペタと全身を触る。


「て、手ぇっ!? ちっさ! 小さすぎるだろ!? なにこれ子供!?」


 荒い息のまま、鏡で確認しようと動き出、そうとして足がもつれた。


「ぐぇ!」


 寝起きなのか、夢見のせいなのか、体の動きが鈍い。受け身に失敗して、顔から落ちる。首と頭に衝撃を受け、衝撃の影響でちぐはぐだった神経が少し繋がったような気がした。


 頭の回転もマシになったのだろう、マルセルは自室の様子を思い出す。金銀細工の施された小箱、金にあかせて買った長剣を掛けている壁、高名な画家に書かせた己の肖像画。


 だがいずれもどうでもいい。体のあちこちを確認しながら、少しずつ疑問を溶かしていく。転倒前よりも動かしやすくなった足を回転させて、姿見の前に立つ。


 そこには――――


「ど……どどどどどういう事ぉ……? いやでもこの体は」


 身長が低い。最後の記憶(?)だと、死んだときには十代後半にはなっていたはず。


 だが姿見に映っているのは、どう見ても十代前半。公爵家の人間として、あまりにも早すぎる人生の絶頂期の姿がそこにあった。


 公爵家がまだ十分すぎるほどの権力を持っていた頃。マルセルがもっとも輝いていた時期。まさにこの世の春を謳歌していた。


「くぅっ」


 権力を失い、取り巻きだと思っていた連中も離れていき、住み慣れた家や王都の邸宅からも追われ、追い詰められていく。


 貴族として当然のように魔法騎士団に入団し、努力などせずとも出世コースに乗るものと確信していた。


 それがある日突然、名誉と歴史に彩られた魔法騎士団から追放され、実家からも追放され、次には王国からも追い出された。


「ぐづっ」


 瞬間、頭を叩き割るような、万力で締め付けるような激烈な痛みが走った。痛みに対し、グツグツとした怒りが内側から湧き上がってくる。


「くそぉっ! オレは貴族だぞ! 由緒正しい最高位の貴族だ! それをよくも、あんのクサレゴミ平民めぇぇえあっ!」


 殴られたりボコボコにされたり魔法で焼かれたり殺されたりゾンビにされたりすり潰されてミンチにされたり、絶対にしないんだ。されていい身分ではないと強く確信している。


 悪いのはすべてアイツ、オレを殺し、ゾンビになったオレを砕いた、あの胸糞悪い平民。


 間違いなく奴こそが諸悪の根源。オレの輝かしい人生を滅茶苦茶にした、許すべからざる怨敵。奴が分際を弁えずにオレの前に現れたことがそもそもの始まりだ。


「ヒュー! ヒュー! ヒュー!」


 荒れた呼吸をなんとか抑えながら、ギリギリギリと親指の爪を噛む。ポタリ、と布団を濡らした涙は赤かった。


「ヒューッス! ヒューッス! ヒーッ! ヒーッ!」


 赤いシミが一つ二つと増えてい度、マルセルの血圧が上がっていく。


「ォオオオォオレの血ぃぃいい高貴なオレの血ぃィいいが流れてるぅうぅぅうおおォオレの血がぁぁぁいつのせいでぇええぇぇぇぇ」


 爪を噛む力は強くなり、眼球の毛細血管は破裂した。


「そう言えば……国を追い出されてその後は……」


 終いには悪の組織に転がり込んだ挙句、その組織からすらも追い出された。


 最後に逃げ込んだのは、はて、どこだったか。


 怒り、嘆き、憎み、呪った。しかし状況は何一つ好転することなく、最後には体を焼き尽くされて砕かれてすり潰されて――――


「ぴぃぃいいぃぃぃいっっ!?」


 その瞬間を思い出してしまい、またもや悲鳴が口をついて出る。


「あれは夢あれは夢あれは夢あれは夢なんだよぉぉおおぉぉぉっ!? ああぁっぁああんな出来の悪い夢、ぁぁっぁあああぁぁあんなこと、あんな死にぃいぃい方、こここのオレがするはずがなななななぃいいのになぁぁ、はは、は、ひゃっ」


 混乱と恐怖と安堵に同時に襲われ、精神の平衡を保つためと逃避のために神に祈る――いや縋るために両手を胸の前で組んだ。


 ふと目に入ったものがあった。右手人差し指の指輪だ。確か六歳の誕生日に散々、ワガママを並べて貰った指輪で、公爵家に伝わる由緒正しいものだ。


 刻印の刻まれた銀色に眩しく輝く指輪、だったがしかし、どうしたわけか赤黒く汚れてしまっている。長い年月を血と苦難と怨嗟と共に歩んで来たかのような、そんな風合いだ。


 ガクガクガク、と全身が震えだす。


「! ぅ、げぇ……」


 嘔気にも襲われ、思わず口を抑える。


 一度目の死でも、二度目の死でも、三度目の死でも、最後の瞬間で見た指輪だ。権力と栄光の象徴であり、死と破滅をも表している。


 震えはピーク。歯の根は合わず、眼球は過剰に運動し始める。どんな理由があって過去に戻ったのかはわからない。確かなのは、このままだと、また殺されてしまう。延々と繰り返す時間の中で、ひたすらに殺されるだけの時間を過ごす。


「あばばばばっば! 冗談ではなひいいいぃぃいぃい! たたた対策を。どうすればいい? どぅぅうすればあの結末から逃れることができる!?」


 強い震えが全身を襲う。歯の根が合わなくなり、指先が冷えてくる。体を抱きしめても布団を頭からかぶっても少しも震えはマシにならない。


 嫌だ嫌だ嫌だ。


 もう嫌だ死にたくない。


 何度も何度も殴られて死ぬのは嫌だ。目の前に砕かれた歯や爪が飛び散る様なんて見たくない。


 零れ落ちた目玉を拾おうと伸ばした手を眼球諸共踏み潰されるなんて嫌だ。


 頭の骨が折れる音も頭の中でなにかがぐちゃりと潰される音を聞くのも嫌だ。


 ゾンビになるなんて絶対に嫌だ。


 ズタボロにされてもされてもすぐに再生させられて繰り返される絶望がわかるか?


 生身ではできない無茶な動きで骨が砕けて筋が千切れても無理矢理動かされる痛みは想像を絶する。


 魔法で吹き飛ばされて腐った肉体と魂が引き裂かれていく最中も最後まで意識が残ってるんだ。


 意識だけで泣き喚くってことがどんなことだかちょっとでもわかるか?


 生きたまますり潰されていくのは苦痛なんてもんじゃない。


 一思いに頭を潰してくれたら楽なのに、足の先からじわじわと潰されていくんだ。


 痛みと恐怖で発狂しそうになっても、精神だけは最後まで残される。


 体の半分が潰されても死ぬことを許されない。自分の体が潰されていく最後の最後の瞬間までをオレ自身の目に焼き付けさせられる。


「なんでオレがこんな目に遭うんだ。一体なんでオレだけがこんな不公正な目に遭わなければならない。なんだってこんな不正義がまかり通るんだ」


 そしてここにいるということはまた、またあの三度の死を繰り返すということなのか。


「嫌だ嫌だ嫌だ嫌だぁぁぁぁぁああ! おおぉぉおオレはオレはオレはオレはぁぁぁあああっ! ブグ」


 強烈な嘔気が喉を駆け上ってくる。思わず口を抑えた。


「ゲパゲポ!」


 無意味だった。こみ上げてきた嘔気は、抑えた手を弾き飛ばす。驚きがマルセルを強かに叩く。吐いたのは胃液ではなかった。吐血だ。


「血を吐いたのか? オレが? まさか、どうし――――!? ゴホゴホッ!」


 痛烈な苦しさと嘔気が止まらない。肺の中からすべての空気が失われても、容赦のない嘔気は襲い続けてくる。あまりの苦痛にシーツを滅茶苦茶に掻き毟る。口を抑えても、指の隙間から血や涎や胃液がとめどなく流れてくる。


「ゴホッゴホッ! ゴボボッ!?」


 全身が痛む。腹も背も肋骨も、内臓も、頭にも、鋭くも締め上げてくるような痛みに襲われる。


「ゴハッ!?」


 吐いたのは血ではなかった。血塊だ。


 一瞬にしてマルセルの意識は、闇の中へと転落していった。

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